私は基本的にアクセサリーは身に着けませんが(結婚指輪は除きます)、十字架のアクセサリーを身に着けている人は周りでチラホラ見かけます。お店でも大抵一つや二つは十字架のアクセサリーを置いているところは多いのではないかと思います(とはいえ、私はあまり真面目に眺めたことがないので確証はありませんが…)。
オカルトやホラーが好きな人であれば、「十字架」というとドラキュラ・吸血鬼が怖がるものというイメージを持っている方もいるかもしれません。また、教会に行ったことがなくても、町を歩いていて十字架が屋根の上についていたりするのを見ると、「あっ、あれはキリスト教の教会の建物だな」と思われるのではないでしょうか。
それほどまでに十字架というのは、クリスチャンであるなしに関わらず、世間一般的にお馴染みになってきていますし、キリスト教のシンボルだという認識を持たれている方は多いと思います。
しかし、
もしくは
ということをご存知な方は少ないのではないでしょうか。
その理由を一言で言わせていただくなら、
です。
(こう聞くと「えっ!?『十字架で死んだ』ってどういうこと???ひょっとして、十字架で人が殺せるの?」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。が、実は十字架は、ギロチンや電気椅子と同じように、犯罪人を処刑する死刑執行の道具だったんです。このことについては、以下に詳しく書きますので、そちらを見てください。)
ちなみに、イエスが本当に十字架で死んだかどうかの歴史的証拠に興味のある方は、下記の記事を参照ください。
それでは、
また、
ということで、今回はなぜイエス・キリストは十字架で死んだのか?を考えていきます。しかし、内容が長くなるので、大きく3つに分けるつもりです。その3つとは
- 十字架による処刑方法とその死因
- イエスが十字架で死んだ政治的・ユダヤ教的理由
- イエスが十字架で死んだキリスト教的理由・意味
この記事では最初の「1.十字架による処刑方法とその死因」を扱います。
残りの二つについては、下記の記事をご覧ください。
なお、この記事の内容を基にした入門編・初心者向けの記事は以下になります。ご興味のある方はあわせてご覧ください。
今回の具体的な内容は以下の通りです。
十字架刑にまつわる歴史と文化
皆さんは、以下のような絵を見たことがありますか?
Crucifixion of Jesus By Marco Palmezzano - http://www.virtualuffizi.com/uffizi1/Uffizi_Pictures.asp?Contatore=173, Public Domain, Link
ひょっとしたら、社会科の教科書や美術館などで似たようなものを見かけたことがあるかもしれません。この絵の作者はマルコ・パルメッツァーノ(Marco Palmezzano)、タイトルは「イエスのはりつけ(Crucifixion of Jesus)」です。十字架にはりつけにされているのは、もちろんイエス。そして、その下で泣いているのは恐らくは母マリヤだと思われます。
このような絵をキリスト教の知識が全くない状態で見たとき、どんな感想をもたれるでしょうか?
恐らく、
「ああ、これが十字架か。手や足に釘を打たれて木にはりつけにされてるし、めっちゃ痛そう。周りの人たちも可哀そうに…」
といった感想をもたれる方が多いのではないかと思います。
言うなれば、何となく
「痛そう」
「辛そう」
「可哀そう」
といったイメージをもたれるのではないでしょうか。
しかし、実はこの十字架刑、イエスが生きていた約2000年前のローマ帝国においては、「痛そう」「辛そう」「可哀そう」という表現では決して言い表すことができないほどに人々から恐れられ、忌み嫌われていたのです。
事実、有名な紀元前一世紀の哲学者キケロをして
最も残酷で屈辱的な処罰(a most cruel and ignominious punishment)
引用(私訳):Marcus Tullius Cicero, “Against Verres,” translated in 1903, 2. 5. 64. 165, Wikisource.
と言わしめたほどです。
ところで、この十字架刑はローマ帝国が編み出した処刑法ではありません。ローマ帝国以前から、古代のペルシア人、アッシリア人、スキタイ人、インド人、カルタゴ人、ケルト人などの間でも広まっていたようです。例えば、かの有名なアレクサンドロス大王(前356-前323)は、ツロ(Tyre; テュロス、ティルスとも訳される)という町を占拠したとき、生き残った2千人もの人々を十字架刑に処したそうです。 1
また、ユダヤ民族にとって、十字架刑はなじみの薄いものでした。というのも、ユダヤ民族の主な死刑執行方法は石打によるものだったからです。2さらに、聖書には
(処刑後に)木にかけられた者は神にのろわれた者【申命記21章23節】
出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)353頁
とする箇所がありますから、十字架に架けて処刑するという処刑法そのものが、ユダヤ人たちからは忌み嫌われていました。
さらに、ローマ帝国において、十字架刑に処されるのは原則、ローマの市民権をもたない奴隷や罪人たちでした。特にローマ帝国に対する反逆罪で処された者を十字架にはりつけることで、周りへの見せしめの効果も兼ねていました。このため、罪人は裸で十字架にはりつけられ、人通りの多い場所にさらされ、通行人の嘲笑の的となりました。3
十字架刑の処刑方法と死因
さて、この十字架刑の(気になる?)処刑方法についてですが、実は地域差がかなりあったようです。ただ、共通の特徴として、「十字架」と呼ばれるように、垂直に立てられた木の柱に横木が組み合わされた形をしていました。
しかしながら、その組み合わせた形も統一されてはおらず、先に見た絵のように†の形もあれば、Tの字のものやXの形をしたもの、更には横木すらないI字形のもの(もはや「十字架」とは呼べない)まで、と色々あったようです。4
また実際に十字架にはりつけにされる前に、受刑者は様々な拷問を受けるのが常でした。イエスの時もそうでしたが、受刑者は鞭打たれ、自分がはりつけにされる十字架の横木を背負って(横木と組み合わせるもう一方の木の柱は通常、受刑地に絶えず設置されていた)町の外の受刑地まで歩かされました。そして、多くの場合、横木を背負って受刑地まで歩く受刑者の前を罪状書きまたは(反乱者の)肩書を手にした者が道を先導します。これによって受刑者は町中の人々の見世物とされ、はりつけにされようとする道すがら、人々から罵りと嘲りを受けることなります。5
受刑地につくと、受刑者は衣服を脱がされ、横木を肩の下にして寝かせられ、広げた両腕または両手を横木に釘付けにされるか紐で結び付けられます。それから、受刑者は起き上がらされ、地面に据えられている柱に横木とともに固定されます。このとき、足は柱に釘付けもしくは紐で結わえられます。柱には受刑者が少し腰をかけられるような木片が取り付けられている場合もありました。が、これはもちろん、親切心からではなく、死に至るまでの時間をより長くすることで、苦痛で苦しむ時間を延ばすことが目的です。6
受刑者は十字架にはりつけにされた後、十字架上で死ぬまで(数時間から、時には数日間)放置されました。その間、十字架上での動作は制限されていますので、糞尿は垂れ流しです。衣類は着ていませんので、寒暖をしのぐものはありません。食べ物や飲み物も与えられませんので、空腹と脱水症状で身体は衰弱していきます。さらに、鞭打たれ傷ついた身体から流れる血の匂いを嗅ぎつけて集まってくる動物たち(野犬やカラスなど)から身を防ぐことはできません。
その答えを見つけるのは、残念ながら、簡単ではないようです。実際、私が少し調べただけでも、十字架刑の死因について複数の異なる説明が見つかりました。例えば、空腹と疲労 、7出血多量もしくは窒息、4 ショックもしくは窒息8といった具合です。
「うーん、これは困った…一体どれが本当なんだろうか…」とあれこれ調べていくうちに、一つの論文にたどり着きました。
その論文によると、十字架刑の死因に関して、これまでに大きく分けて10の異なる説があるそうです。9 その10の説とは以下の通り。10
- 心臓破裂(Cardiac rupture)
- 心臓麻痺(Heart failure)
- 血液量減少に伴うショック(Hypovolaemic shock)
- 失神(Syncope)
- 酸欠症(Acidosis)
- 窒息(Asphyxia)
- 不整脈と窒息(Arrhythmia plus asphyxia)
- 肺塞栓(Pulmonary embolism)
- 自発的に命を捧げた(Voluntary surrender of life)
- 実際に死んでいなかった(Didn’t actually die)
最後の10番目、「実際に死んでいなかった」という説は、「死因」とは呼べませんので、十字架刑の死因に関しては実際には9つの異なる説があることとなります。これは要するに、専門家の間でもそれだけ意見が分かれているということです。
ちなみに、その論文の筆者の結論は、ローマ時代に十字架刑で殺された人々の死因を正確に記述するに足る十分な証拠は今のところ存在しない、というもの。さらに筆者は、各受刑者は恐らくそれぞれに異なった病理学的原因で死んだと考えられ、どのような向きにはりつけられたか(頭を上に向けるか、下に向けるか、もしくはどこか別の方向に向けるか)が死因を決める際に非常に重要な要因となっただろうと記しています。11
先にも書きましたが、十字架刑の執行方法には非常に大きな地域差があったようですので、その死因を一つに絞るのは実質的に不可能だと思われます。例えば、はりつけ前の鞭打ちがヒドイものであれば、 12出血多量やショック死も考えられます。また、十字架に釘付けされたのではなく紐で括りつけられたのであれば、恐らく、その死因は出血多量やショック死ではなく、窒息や酸欠によるものだったと思われます。13
いずれにしても確かなことは、十字架刑による処刑方法は想像を絶せる苦痛が伴ったということ。さらに、その苦痛が長い間(数時間から数日間)続いた上で息絶えたということです。
まとめ
今回は「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか?」についての三部作第一弾として、「十字架による処刑方法とその死因」をみてきました。
特筆すべきは十字架刑には肉体的苦痛だけでなく、精神的な苦痛も伴うということでしょう。その理由をまとめると以下になります。
- イエスが生きた当時のローマ帝国において、十字架に架けられるのは原則、奴隷や国家への反逆者、つまりは「非国民」とみなされているような人々。このため、十字架刑に処されるということ自体、非常に不名誉なことであった。
- 十字架の横木を受刑地まで運ぶ間中、また十字架にはりつけにされた後も、通りすがりの人々の見世物とされ、罵詈雑言を浴びせかけられた。
- はりつけ時には基本、衣類をはぎとられる。当時も今と同じく、人前で裸にされるというのは非常な屈辱であった。
- ユダヤ人にとって、木にかけられるということは「神に呪われた者」を意味した。よって、十字架に架けられる者は神に呪われた者とみなされた。
なお、十字架刑の死因については、処刑方法が地域によってかなり異なっている事もあり、一つに特定するのは現実的ではないようです。恐らくは、窒息や不整脈、出血多量や心臓麻痺を含む複合的な原因によって死に至ったであろうと思われます。
いずれにしても、想像を絶するような苦痛が長時間続く中、人々からは散々な辱めを受け、肉体的精神的な極限状態をさまよった挙句にようやく息を引き取る十字架刑。
間違いなく、その当時「最も残酷で屈辱的な処罰(a most cruel and ignominious punishment)」であったに違いありません。
三回シリーズの第二弾、「2. イエスが十字架で死んだ政治的・ユダヤ教的理由」については下記をご覧ください。
参考文献および注釈
- Cicero, Marcus Tullius. “Against Verres,” translated in 1903. Wikisource.
- Dennis, J. “DEATH OF JESUS.” Edited by Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin. Dictionary of Jesus and the Gospels. Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013.
- Green, J. B. “CRUCIFIXION.” Edited by Gerald F. Hawthorne, Ralph P. Martin, and Daniel G. Reid. Dictionary of Paul and His Letters: A Compendium of Contemporary Biblical Scholarship. Leicester, England; Downers Grove, Ill: Inter-Varsity Pr; InterVarsity Pr, 1993.
- Jastrow, Marcus, and S. Mendelsohn. “CAPITAL PUNISHMENT.” Jewish Encyclopedia. New York, NY.: Funk & Wagnalls Co., 1902. Accessed December 9, 2017. http://jewishencyclopedia.com/articles/4005-capital-punishment.
- Keener, Craig S. The Gospel of Matthew: A Socio-Rhetorical Commentary. Grand Rapids, Mich.; Cambridge: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 2009.
- Maslen, Matthew W, and Piers D Mitchell. “Medical Theories on the Cause of Death in Crucifixion.” Journal of the Royal Society of Medicine 99, no. 4 (April 2006): 185–188.
- Strobel, Lee. The Case for Christ: A Journalist’s Personal Investigation of the Evidence for Jesus. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 1998.
- Torrance, J. B. “CROSS, CRUCIFIXION.” Edited by D. R. W. Wood, I. H. Marshall, A. R. Millard, J. I. Packer, and D. J. Wiseman. New Bible Dictionary. Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996.
- J. Dennis, “DEATH OF JESUS,” ed. Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin, Dictionary of Jesus and the Gospels (Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013), 173.
- 他にも限定的な場合で、火刑、惨殺刑もあり。詳細は下記を参照。Marcus Jastrow and S. Mendelsohn, “CAPITAL PUNISHMENT,” Jewish Encyclopedia (New York, NY.: Funk & Wagnalls Co., 1902), accessed December 9, 2017, http://jewishencyclopedia.com/articles/4005-capital-punishment.
- J. B. Green, “CRUCIFIXION,” ed. Gerald F. Hawthorne, Ralph P. Martin, and Daniel G. Reid, Dictionary of Paul and His Letters: A Compendium of Contemporary Biblical Scholarship (Leicester, England; Downers Grove, Ill: Inter-Varsity Pr; InterVarsity Pr, 1993), 198.
- Dennis, “DEATH OF JESUS,” 174.
- J. B. Torrance, “CROSS, CRUCIFIXION,” ed. D. R. W. Wood et al., New Bible Dictionary (Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996), 245–246.
- Ibid., 246.
- Ibid.
- Green, “Dictionary of Paul and His Letters,” 198.
- Matthew W Maslen and Piers D Mitchell, “Medical Theories on the Cause of Death in Crucifixion,” Journal of the Royal Society of Medicine 99, no. 4 (April 2006): 185.
- それぞれの説の詳細については、Maslen and Mitchellの参考文献を参照。
- Maslen and Mitchell, “Medical Theories on the Cause of Death in Crucifixion,” 188.
- 実際、非常な苦痛と出血を伴う鞭打ちが行われていたらしい。詳細は下記参照。Craig S. Keener, The Gospel of Matthew: A Socio-Rhetorical Commentary (Grand Rapids, Mich.; Cambridge: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 2009), 672.
- 十字架上で窒息に至る過程を詳細かつ臨場感あふれる描写で記述したものとしては下記参照。Lee Strobel, The Case for Christ: A Journalist’s Personal Investigation of the Evidence for Jesus (Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 1998), 265–266。日本語訳はリー・ストロベル(訳:峯岸麻子)『ナザレのイエスは神の子か? 』(いのちのことば社、2004年)。