キリスト教(聖書)の神はどんな神?①ー造り主なる神の性質ー

よく日本人は「無宗教」だと言われます。1

しかしながら、日本人にとっての「無宗教」とは、神や霊的な存在を全く信じていない「無神論」とは異なり、あくまでも「特定の宗教を支持していないこと」だと思われます。2

実際、大多数の日本人は年明けには寺社に初詣に行きますし、お盆やお彼岸にはお墓参りもします。また、毎朝占いを見てからでないと通勤・通学ができないという人も少なくないでしょうし、必勝祈願や交通安全といったお守りは誰しも一つは持っているのではないでしょうか。

そこには、

理性や論理だけでは説明しきれない「何か」の存在を(ほぼ無意識のうちに)認めつつも、その存在を説明する宗教(思想や考え方)を一つに絞り切る必要がないと考える国民性

が見て取れます。3

これは裏を返せば、

日本人にとって、神や霊という存在(つまりは「宗教」そのもの)は非常に曖昧なものとなってしまっている(伝統や文化という言葉の中に吸収されてしまっている)

と言えるのかもしれません。

と、この記事で日本人の(無)宗教観について考えるつもりはありません。が、日本人の多くが神や霊について非常に曖昧な認識を持っているということは、聖書に出て来る「神」についてのイメージも曖昧になってしまう可能性があります。

実際問題、

キリスト教の神も「八百万の神」の中の一人でしょ

と思っていらっしゃる方も多いかもしれません。しかしながら、キリスト教(聖書)は、

神はこの世で唯一人である

と教えます。

従って、

キリスト教を正しく理解するためには、聖書の語る神がどのような神であるかをしっかりと理解しておく必要

があります。

という訳で、今回のテーマは「キリスト教(聖書)の神はどんな神?」…なのですが、

「キリスト教(聖書)の神」についてとなると内容が大き過ぎますので、このブログではダイジェスト版として、神の以下の三つの側面に絞って紹介したいと思います。

  1. キリスト教(聖書)の神はどんな神?①-造り主なる神の性質-
  2. キリスト教(聖書)の神はどんな神?②-救い主なる神の性質-
  3. キリスト教(聖書)の神はどんな神?③-裁き主なる神の性質-

なお、上記の三つの側面は、聖書全体が語る以下の「神の救いの物語」の流れに則したものとなっています。

  1. 神が人も含めた天地万物を造った。
  2. しかし、人が神に従わなかったため、様々な問題が発生した。
  3. その問題の根本解決(救い)として、神の子イエスが地上に来て十字架にかかり、4死んで復活し、5天に昇った。
  4. イエスが再びやって来て、全てを正しく裁き、新しい天地が創造され、神の計画が完全に果たされる。

「救い主なる神」と「裁き主なる神」の性質については下記をご覧ください。

キリスト教(聖書)の神はどんな神?②ー救い主なる神の性質ー
「キリスト教の神も『八百万の神』の中の一人でしょ!?」と思われている方に「キリスト教(聖書)の神はどんな神?」と題して贈る三回シリーズの第二弾。今回は罪を犯した(神の望まないことをした)人間を見捨てておけなかった「救い主なる神」の性質について。
キリスト教(聖書)の神はどんな神?③ー裁き主なる神の性質ー
「キリスト教の神も『八百万の神』の中の一人でしょ!?」と思われている方に「キリスト教(聖書)の神はどんな神?」と題して贈る三回シリーズの最終回。今回は世の終わりの時に全てを正しく裁く「裁き主なる神」の性質について。これまでの総まとめもします。

それでは、今回は一番目の「造り主なる神」の性質についてみていきましょう。

話の流れ(目次)は以下の通り。

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造り主なる神の超越性(transcendence)


分厚い聖書を開いてみると、次のような書き出しで始まっています。

はじめに神が天と地を創造された。【創世記1章1節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉1頁

ここでいきなり神が出てきていることからも分かるように、聖書は神が存在することを証明しようとはしていません。むしろ、神という存在がいることを大前提として、

神はどういうお方で、人間とどのような関係にあるのか

ということを伝える書物だと言えます。

その神が、まずはじめに天と地を創造したと聖書は語ります。このことから分かるのは、

キリスト教(聖書)の神は天地万物が存在する前から存在していた

ということ。

また、「天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも」神にあって造られたと書いてある箇所(コロサイ人への手紙1章16節)もありますので、6

キリスト教(聖書)の神は物理的に見えるものだけでなく、天使や悪霊といった目に見えない霊的な存在をも造り出した

ことが分かります。しかも、天地万物ができる前は神以外には何も存在していなかった訳ですので、

キリスト教(聖書)の神は(神以外に)何も存在していない状態から天地万物を造り出した

といえます。いわば

無から有を造り出した

訳です。

ここで(私のような)科学好きな人なら、

そんな非科学的なことがある訳がない。質量(エネルギー)保存の法則が完全に無視されているじゃないか!

と思われると思います。そして、中には

何も存在していない状態から天地万物ができたのではなく、神様の一部(エネルギーのようなもの?)を使って、万物が造られたんじゃないのか!?

と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、残念ながら(?)、聖書は天地万物が神の一部分を用いて造り出されたとは書いていません。 7

聖書においては、創造主なる神と被造物なる天地万物(天使や悪霊を含む)は立場の全く異なるものとして描かれています。

ちなみに、

キリスト教(聖書)の神が天地万物と全く異なる次元の存在であること

を専門用語で「超越性(transcendence)」と言います。


ただし、キリスト教(聖書)の神は天地万物を超越していると同時に、天地万物に深く関わっている存在(神の内在性[immanence])でもあります。8

ちなみに、聖書とは異なる神と万物の関係の捉え方として、以下のようなものがあります。9

  • 唯物論(materialism; 神は存在しない)
  • 汎神論(pantheism; 万物は神に等しい)
  • 二元論(dualism; 神と万物は対等)
  • 理神論(deism; 神は万物を創造後、万物には関わらない)

さて、神が何もない状態から天地万物を造り出したということは、

キリスト教(聖書)の神は時間と空間を造り出した

ということも意味します。10

それは即ち、

キリスト教(聖書)の神は時間も空間も超越した(時間や空間に束縛されない)存在である

ことになります。が、ここまで書くと

ん?時間も空間も超越した(時間や空間に束縛されない)存在ってどういうこと?

と混乱してくる方は多いと思います。端的に言うと、

キリスト教(聖書)の神に対しては、私たちの時間や空間に関する常識をあてはめることができない

ということです。

具体的には、神にとっては「一日は千年のようであり、千年は一日のよう」(ペテロの手紙第二 3章8節)だとあるように、神の時間間隔は人間のそれとは異なります

また、神は過去、現在、未来といった時間の流れに囚われません。別の言い方をすれば、神は未来のことも過去や現在と同じように知っているということになります(比較:イザヤ書46章9-10節)。11

神は空間的な束縛を受けないということは、

キリスト教(聖書)の神はこの世のありとあらゆる場所に同時に存在することができる

ということを意味します(比較:エレミヤ書23章23-24節;詩篇139篇7-10節)。

言うなれば、今、このブログを読んでくださっている読者のすぐそばだけでなく、見渡す限り全てに神の全注意が向けられているという訳です。

と同時に、

キリスト教(聖書)の神は、たとえ何らかの理由で天地万物が無くなってしまったとしても、それまでと変わらず存在し続ける

ことができます(比較:列王記第一 8章27節)。12

それでは、

被造物とは全く別次元の存在として創造主なる神がいるということは、私たち人間にとって何を意味するのか?

例えばですが、以下のようなことが言えると思います。13

  • 人間が最高・最良の存在とはいえない(善悪、真偽、価値観の基準は人間では定められない)
  • 神は人間の概念で完全に捉えることはできない(神は人間の理解を超えた部分をもっている)
  • 人間の自力で神の(道徳的)基準を満たすことはできない
  • 神と人間の間には決定的な違いがある(人間が神になることはできない)
  • 人間が神に対して畏敬の念を抱くのは自然なことである(神のために人間が存在するのであって、人間のために神が存在するのではない)
  • 人間は神による超自然的な働きを期待することができる(神に対して助けや導きを祈ることができる)

造り主なる神の全能性(omnipotence)


天地万物を「無」から造り出し、時間や空間さえも造り出したということは、

キリスト教(聖書)の神に不可能なことは何もないんじゃないか!?

と思う人は多いのではないでしょうか。事実、聖書にも次のように記されている箇所があります。

神にとって不可能なことは何もありません。【ルカの福音書1章37節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉108頁

これは天使ガブリエルがイエスの母マリアに語った言葉です。このとき、マリアはまだ結婚しておらず処女でした。ガブリエルは、処女のマリアがイエスを身ごもると告げ知らせた上で最後に上記の言葉を告げたのです。

つまり、

キリスト教(聖書)の神はたとえ人間の理性や常識(物理的・生理学的・医学的知見など)で考えると不可能に思えることも可能にする力がある

といえます。

ただし、とはいっても、

キリスト教(聖書)の神が文字通り「何でもできる」訳ではありません。

なぜかというと、神は論理的に矛盾している事柄や神の性質に反する事柄をすることはできないから。

キリスト教(聖書)の神ができないこと。それらは例えば以下のようなことです。

  • 神は頂点が4つある三角形を造れない(「三角形」には定義上、頂点が3つしかない)
  • 神は神でなくなることができない
  • 神は死ぬことができない
  • 神は嘘をつけない(参照:テトスへの手紙1章2節)
  • 神は自分を否むことができない(参照:テモテへの手紙第二 2章13節)
  • 神は人を誘惑できない(参照:ヤコブの手紙1章13節)

しかしながら、上記のような事柄は別として、

キリスト教(聖書)の神は、自分が成そうとすること(論理的にも自身の性質とも矛盾のないこと)は何でも実現することができます。

キリスト教用語では、この神の性質を「全能性(omnipotence)」と呼びます。14

神の全能性に関連して、聖書にはいわゆる「奇跡的な出来事」がたくさん出てきます。

先に挙げた処女マリアがイエスを身ごもる話もそうですが、イエスによる人々の癒しの話や死んだイエスが三日目によみがえる話もあります。

このような非科学的な話がたくさん出て来ると聖書自体の信憑性が疑わしくなってしまいます。

が、しかし、です。

そもそものところ、キリスト教(聖書)の神は「無から有を造り出した」お方で、時間や空間さえも造り出したお方。となれば、ある意味、

人間の目から見て不可能と思われることくらい、やってもらわなくては神ではない

と言えなくもありません。

言い換えれば、

天地万物を「無」から造り出した創造主なる神の存在を認めさえすれば、聖書に描かれている奇跡はそれほど不思議なことではなくなってしまう

のです。15

なお、キリスト教(聖書)の神は無計画に(気が向いたときに)奇跡を起こすのではなく、しっかりとした目的に応じて奇跡を起こします

神が奇跡を起こす目的について、以下が挙げられます。16

  • 聖書のメッセージ(福音)を権威づけるため(聖書の正しさを示す)
  • (病が癒されたり悪霊が追い出されるといった奇跡を通して)神の支配(国)が人々の生活のうちに広がっていることを示すため
  • 困っている人々を助けるため(困っている人に対して神の憐みが現れる)
  • 神のために働く人々の障害を取り除くため(神の支配[国]が広がっていく)
  • 神に栄光をもたらすため(神が褒め称えられるようになる)

語弊を恐れつつも一言で言ってしまうと

神が奇跡を起こすのは、人々に神の偉大さと素晴らしさを知らしめ、神を信じて従う人が少しでも増えるようになるため

と言えるかもしれません。

造り主なる神の主権(sovereignty)


世の中には「著作権」や「特許」というものがあって、何かを作り出した人がそのモノを排他的・独占的に利用できる権利が与えられています。要するに

自分が作ったものは(法を犯さない範囲で)自分の好きなように扱ってよい

という訳です。

が、それならば、

この世を「無」から造り出した神がこの世を自分の好きなように扱ったとしても、私たち人間は文句を言える立場にはない

と言えます(比較:ローマ人への手紙9章20節)。

とはいえもちろん、「神の好きなように扱う」というのは、神が自分の身勝手に理由もなく人を苦しめようとする訳ではありません。あくまでも神自身の性質に反しない範囲において神の好きなように扱うという意味です。

もっと別の言い方をすれば、

キリスト教(聖書)の神は王として天地万物全て(霊的な存在も含む)を統べ治める権力をもっている

と言えます。

天地万物の造り主なる神がもつ「王として天地万物を統べ治める権力」を専門用語で神の「主権(sovereignty)」と呼びます。17

神の主権に関して、聖書には次のような記述があります。

まことに主は大いなる神。
すべての神々にまさって、大いなる王である。
地の深みは御手のうちにあり
山々の頂も主のものである。
海は主のもの。主がそれを造られた。
陸地も御手が形作った。
来たれ。ひれ伏し 膝をかがめよう。
私たちを造られた方 主の御前にひざまずこう。【詩篇95篇3-6節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉1034頁

ここで「主(しゅ)」というのは「神」のことを意味します。そして、この箇所で聖書は

天地万物はそれを造った神のもので、神こそが全てを治める大いなる王である

と言っていることが分かります。18

また、新約聖書において、イエスはしばしば「神の国が近づいた」ことを宣べ伝えています(参照:マルコの福音書1章15節;比較:マタイの福音書10章7節;ルカの福音書10章9節)。

この「神の国」の主権者(王)は、言うまでもなく、天地万物の造り主なる神。従って、「神の国が近づいた」というのは、イエスの働きを通して、主権を持った神の(救いの)目的が明らかにされていることを意味します。19

ここで一つ注意点。

確かに、キリスト教(聖書)の神は王として天地万物を統べ治める権力をもっていますが、その権力を用いて人々に無理強いをさせるようなお方ではありません。あくまでも個々人の意思を完全に尊重されるお方です。

キリスト教(聖書)の神の偉大さ(全能性)は、人それぞれの意思を尊重しながらも、神御自身の計画を確実に成し遂げていかれるところ。というのも、世の中には神に従順な人ばかりいるとは限らないから。

神に従順な人々だけでなく、神に逆らっている人々や神の存在すら全く知らない人々の意思をも尊重しながら、自分の計画を確実に成し遂げていく…それはまさに「神業」です。20

まとめ

今回のテーマは「キリスト教(聖書)の神はどんな神?」。その中でも特に天地万物の「造り主なる神」という側面に焦点をあてました。次回と次々回は「救い主なる神」と「裁き主なる神」という側面にそれぞれ着目します。

キリスト教(聖書)の神について、今回分かったことをまとめると以下の通り。

  • キリスト教(聖書)の神は、天地万物が存在する前から存在していた
  • キリスト教(聖書)の神は、(神以外に)何も存在していない状態から天地万物を造り出した(無から有を造り出した)
  • キリスト教(聖書)の神は、天地万物とは全く異なる次元の存在である
  • キリスト教(聖書)の神は、天地万物が無くなってしまったとしても、それまでと変わらず存在し続ける
  • キリスト教(聖書)の神は、物理的に見えるものだけでなく天使や悪霊といった目に見えない霊的な存在をも造り出した
  • キリスト教(聖書)の神は、時間と空間を造り出した(時間や空間に束縛されない)
  • キリスト教(聖書)の神は、未来のことも過去や現在と同じように知っている
  • キリスト教(聖書)の神は、この世のありとあらゆる場所に同時に存在することができる
  • キリスト教(聖書)の神は、自分が成そうとすること(論理的にも自身の性質とも矛盾のないこと)は何でも実現することができる
  • キリスト教(聖書)の神は、王として天地万物全て(霊的な存在も含む)を統べ治める権力をもっている
  • キリスト教(聖書)の神は、人それぞれ(神に従う人や逆らう人、神を知らない人も含め全ての人)の意思を尊重しながらも、自身の計画を確実に成し遂げていく

また、聖書が語るように、(人間はもちろん、時間や空間、天使や悪霊も含めた)天地万物を「無」から造り出した神が実際にいる(と認める)のであれば、以下のようなことが言えるであろうことをみました。

  • 人間が最高・最良の存在とはいえない(善悪、真偽、価値観の基準は人間では定められない)
  • 人間が神を完全に捉えることはできない
  • 人間が自分の力や努力だけで神の(道徳的)基準を満たすことはできない
  • 人間が神になることはできない
  • 人間が神のために存在するのであって、人間のために神が存在するのではない
  • 人間は神に対して助けや導きを祈ることができる
  • 聖書に描かれている神の奇跡は、「無」から天地万物を造り出すことに比べると、それほど不思議なことではない
  • 神が王として天地万物を治めることに対して、人間は文句を言える立場にはない

総じて、今回みてきた神の性質は、創造主なる神が被造物である人間(天地万物)とは遠くかけ離れた存在であることを実感させられるものが多かったと思います。

が、しかし、

キリスト教(聖書)の神は被造物と遠くかけ離れた存在であると同時に、被造物に非常に近い存在でもある

のです。

次回の記事では「救い主なる神」の側面を通して、人間に非常に近い存在でもあるキリスト教(聖書)の神の性質を詳しくみていきます。

キリスト教(聖書)の神はどんな神?②ー救い主なる神の性質ー
「キリスト教の神も『八百万の神』の中の一人でしょ!?」と思われている方に「キリスト教(聖書)の神はどんな神?」と題して贈る三回シリーズの第二弾。今回は罪を犯した(神の望まないことをした)人間を見捨てておけなかった「救い主なる神」の性質について。

参考文献および注釈

  • Erickson, Millard J. Christian Theology. 3rd ed. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2013.
  • Fee, Gordon D., and Douglas K. Stuart. How to Read the Bible Book by Book: A Guided Tour. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2002.
  • Grudem, Wayne A. Systematic Theology: An Introduction to Biblical Doctrine. Downers Grove, Ill.; Grand Rapids, Mich.: InterVarsity Pr; Zondervan, 1994.
  • Oswalt, J. N. “GOD.” Edited by Tremper Longman and Peter Enns. Dictionary of the Old Testament: Wisdom, Poetry & Writings. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2008.
  • Macleod, D. “SOVEREIGNTY OF GOD.” Edited by David F. Wright, Sinclair B. Ferguson, and J. I. Packer. New Dictionary of Theology. Downers Grove, Ill.: IVP Academic, February 1988.
  • Thompson, M. M. “GOD.” Edited by Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin. Dictionary of Jesus and the Gospels. Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013.
  • “Religiously Unaffiliated.” Pew Research Center’s Religion & Public Life Project, December 18, 2012. Accessed September 10, 2018. http://www.pewforum.org/2012/12/18/global-religious-landscape-unaffiliated/.
  • “無宗教.” Wikipedia, July 12, 2018. Accessed September 10, 2018. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%84%A1%E5%AE%97%E6%95%99&oldid=69202827.
  1. 日本人の中で「無宗教(religiously unaffiliated)」な人の割合は全人口の約57%とする2012年の調査もあります。“Religiously Unaffiliated,” Pew Research Center’s Religion & Public Life Project, December 18, 2012, accessed September 10, 2018, http://www.pewforum.org/2012/12/18/global-religious-landscape-unaffiliated/.
  2. 詳細は下記を参照。“無宗教,” Wikipedia, July 12, 2018, accessed September 10, 2018, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%84%A1%E5%AE%97%E6%95%99&oldid=69202827.
  3. オウム真理教による「地下鉄サリン事件」以降、一つの宗教に傾倒し過ぎることの「危険性」が強調され、より一層、一つの宗教(思想や考え方)に絞ることに対する意義を見出せなくなった人が増えたように感じます。
  4. イエスの十字架刑について興味のある方は、下記の記事を参照ください。「イエス・キリストはなぜ死んだのか?①―死刑(十字架刑)の方法とその死因―」「イエス・キリストはなぜ死んだのか?②―十字架の政治的・ユダヤ教的理由―」「イエス・キリストはなぜ死んだのか?③―十字架のキリスト教的理由・意味―」
  5. イエスの復活について興味のある方は、下記の記事を参照ください。「死んだイエス・キリストはよみがえった(復活した)のか?①―復活の特徴・性質―」死んだイエス・キリストはよみがえった(復活した)のか?②―復活の証拠(前編)―」「死んだイエス・キリストはよみがえった(復活した)のか?③―復活の証拠(後編)―「イエス・キリストはなぜよみがえった(復活した)のか―イエス復活の意味ー」
  6. 厳密に言うと、コロサイ人への手紙1章16節には「天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも…御子にあって造られた」とあります。ここに出て来る「御子」とは子なる神であるキリスト・イエスのことです。しかしながら、父なる神、子なる神、聖霊なる神は同じ一つの神という三位一体説に基づき、このブログ記事では父なる神、子なる神、聖霊なる神を明確には区別せずに「神」と表します。三位一体説については、「キリスト教の三位一体説とは何か?聖書には書いてない!?矛盾してる?」を参照ください。
  7. なお、人間は「神のかたち」として造られた唯一の存在とされています(創世記1章27節)。
  8. 神の内在性(immanence)については次回の記事で扱う予定です。
  9. 詳細は下記を参照。Wayne A. Grudem, Systematic Theology: An Introduction to Biblical Doctrine (Downers Grove, Ill.; Grand Rapids, Mich.: InterVarsity Pr; Zondervan, 1994), 267–271.
  10. さらに言うと、自然界の物理法則も全て神が造り出したことになります。
  11. 時間を超越した神の特質(永遠性[eternity])について、興味のある方は例えば下記を参照。Grudem, Systematic Theology, 168–173.
  12. 空間に束縛されない神の特質(遍在性[omnipresence])について、興味のある方は例えば下記を参照。ibid., 173–177.
  13. 詳細は下記を参照。Millard J Erickson, Christian Theology, 3rd ed. (Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2013), 288–290.
  14. 詳細な説明は下記を参照。Grudem, Systematic Theology, 216–218.
  15. ちなみに、聖書に描かれる奇跡というのは以下のように定義するのが良いと思われます。「奇跡とは、例外的な神の行為によって引き起こされる出来事・現象であって、人々に畏れと驚きの念を抱かせ、神の存在を明らかにするもの」。詳細は下記を参照。ibid., 354–358.
  16. 詳細は下記を参照。ibid., 359–361.
  17. 造り主なる神がもつ「主権」の具体例として、天地万物に対する神の「所有権(ownership)」、「権威(authority)」、「支配力(control)」などが挙げられます。詳細は下記を参照。D. Macleod, “SOVEREIGNTY OF GOD,” ed. David F. Wright, Sinclair B. Ferguson, and J. I. Packer, New Dictionary of Theology (Downers Grove, Ill.: IVP Academic, February 1988), 654–655.
  18. 王として治める神に関する他の詩篇箇所は、例えば詩篇2篇4節、47篇1-9節、89篇14節、95篇3節などがあります。詳細は下記を参照。J. N. Oswalt, “GOD,” ed. Tremper Longman and Peter Enns, Dictionary of the Old Testament: Wisdom, Poetry & Writings (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2008), 249.
  19. 詳細は下記を参照。M. M. Thompson, “GOD,” ed. Joel B. Green, Jeannine K. Brown, and Nicholas Perrin, Dictionary of Jesus and the Gospels (Downers Grove, Ill.: IVP Academic, December 2013), 317.
  20. 神が人間の意思を尊重しながらも自分の計画を確実に成し遂げていくことについては、次回のブログ記事「キリスト教(聖書)の神はどんな神?―救い主なる神―」で詳しくみるつもりです。
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