今回からしばらくの間(一年間くらい)、聖書に登場する特定の人物に焦点をあてながら、聖書の内容および聖書の語る神様について学んでいこうと思っています。
とはいえ、聖書にはたくさんの人物が登場します。このため、
と考え (誰を選ぶか、またなぜ選んだかの説明がラクになるという裏事情もあります)、私の独断と偏見で「神が共におられた人々」をテーマとして、(旧約)聖書の中から下記の人たちを選んでみました。1
- イシュマエル
- イサク
- ヤコブ
- ヨセフ
- モーセ
- ヨシュア
- ギデオン
- サムエル
- ダビデ
- ヒゼキヤ
- エレミヤ
一度は名前を聞いた事がある人物もいれば、初めて名前を聞いた人物もいるかもしれません。が、上記の人たちは皆、聖書の中で神様から直接
と語り掛けられていたり、
と記されている人たちです。2
という訳で、「神が共におられた人々」シリーズの第一回目となる今回は「イシュマエル」という人物を紹介しながら、聖書の神様について学びたいと思います。
今回の話の流れ(目次)は以下の通り。
イシュマエルの誕生
A depiction of Hagar and her son Ishmael in the Arabian desert By François-Joseph Navez - Own work, Michel wal, 2010, CC BY-SA 3.0, Link
さて、このイシュマエルという人物ですが、教会にしばらく通っていて聖書にある程度詳しい人でもあまり聞いた事がない名前だと思います。
それもそのはず、聖書の中にはある意味、「本家」と「分家」のような家柄・血筋があるのですが、このイシュマエルは本家ではなく分家に属する出自なのです。
ここで私が「本家」と言っているのは、聖書の中の最初の書物「創世記」において、後にイスラエル民族(ユダヤ人)と呼ばれるようになる人々の祖先につながる家系のことです。
具体的に言えば、創世記にはアダムとエバから始まって、「ノアの箱舟」で有名なノア、そのずっと後にアブラハムといった人物が出てきます。
そして、このアブラハムの息子にイサクという人物がいて、このイサクの息子のヤコブは後に「イスラエル」と呼ばれるようになります(創世記32章28節)。
このヤコブ(イスラエル)からイスラエル民族(ユダヤ人)の基礎を成す12部族の族長が生まれる訳なのです。
しかしながら、お気付きのように、このアブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)と続く家系の中に「イシュマエル」という名前の人物は出てきていません。
が、このイシュマエル、実はアブラハムに一番最初に生まれた子供なのです。
ただし、彼はアブラハムの正妻であったサラの子ではなく、サラの女奴隷(召使い・侍女のような存在)であったエジプト人ハガルとアブラハムの間に生まれた子供でした(参照:創世記16章)。
と突っ込みたくなるかもしれません。が、その当時(今から4000年以上前だと思われます)の近東地域では正妻の女奴隷との間に子供をもうけることは公認されていたようです。3
実際、アブラハムにハガルとの間に子供をもうけるように勧めたのはアブラハムの正妻サラその人でした(創世記16章1-3節)。
とはいえ、サラはアブラハムを嫌っていたから彼に自分の女奴隷であったハガルとの間に子供をもうけるように勧めたのではありませんでした。
アブラハムは神様からたくさんの子孫を与えられると約束されていました(創世記13章16節;15章5節)。にもかかわらず、アブラハムとサラの二人の間にはまだ子供がいなかったのです。
しかも、そのときアブラハムは85歳、サラは75歳。身体的にも子供を産むことが難しくなってきていました。
そこである種の「苦肉の策」として、サラはアブラハムに自分の女奴隷であるエジプト人のハガルを妻として与えることを決断し、アブラハムもまたその彼女の勧めを受け入れた訳です。
こうしてハガルはアブラハムとの間の子供を身ごもります。この子供がイシュマエルとなります。
アブラハムにとっては自分の血を分けた初めての子供、待ちに待っていた「約束の子供」です。
その喜びと期待は人並みならないものだったに違いありません。
しかしながら、
です。神様に選ばれたアブラハムの家族も例外ではありませんでした。
というのも、イシュマエルを身ごもったハガルは、子供のできないアブラハムの正妻サラのことを軽んじるようになるのです(創世記16章4節)。
面白くないのはサラです。
彼女はハガルに辛く当たるようになり、ハガルはついにサラのもとから逃げ出してしまいます(創世記16章6節)。
日本の歴史でいえば、戦国時代の将軍や天皇の跡目争いを見ているかのような壮絶な人間模様。ある意味、
と言えるのかもしれません。
女主人サラのもとを逃げ出してさまよっていたハガルのところに天使が現れたと聖書は記します(創世記16章7-12節)。
そして天使はハガルにサラのところに戻って従順に仕えるように促すと同時に、生まれてくる子イシュマエルの子孫が栄えるであろうことを告げ知らせます。
この天使の言葉に従ってハガルは家に戻り、無事にイシュマエルを産みます。
イシュマエルが生まれたときアブラハムは86歳(創世記16章16節)。神様が彼の子孫に広大な土地を与えると約束されてから11年の歳月が経っていました(比較:創世記12章7節)。
イシュマエルの追放
The dismissal of Hagar By Pieter Lastman - The Yorck Project (2002) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., Public Domain, Link
イシュマエルが生まれてから13年が経ち、アブラハムが99歳、サラは89歳となったとき、神様は再びアブラハムに現れます。そして、アブラハムとサラとの間に子供が生まれるであろうことを約束されます(創世記17章15-19節)。
このときサラは既に更年期を終えていて、肉体的に子供を宿すことのできる年齢ではありませんでした(創世記18章11節)。
このため、最初はアブラハムもサラも自分たちの間に今更子供ができるはずはないと思っていました (創世記17章17-18節;18章12-15節)
が、しかし、
この子の名前がイサク。このイサクの子ヤコブの子孫が後のイスラエル民族を形成していきます。
イサクが生まれたときアブラハムとサラはそれぞれ100歳と90歳、イシュマエルは14歳となっていました(創世記21章4節)。
に違いありません。
イサクが生まれる前まではアブラハムの血を引く子供はイシュマエルただ一人でした。
しかも、正妻のサラは年齢を重ねて更年期を過ぎ、子供を身ごもることができなくなってしまう訳です。
とアブラハムが思うのは当然のこと(比較:創世記17章18節)。イシュマエルも含め、周りの誰もがアブラハムの跡取りはイシュマエルに違いないと思っていたはずです。
そんな状態にあって、突然、更年期を過ぎたサラの妊娠と出産という超自然的で有り得ない出来事が起こる…。
です。
イシュマエルの立場からしてみればあまりにも理不尽、「はい、そうですか」と簡単に受け入れられるような状況ではないと思います。
しかも、このときイシュマエルはまだ14歳、人格的にも発展途上にあったはずですので、イサクの成長に伴って相当の不満・ストレスが溜まっていったに違いありません。
イシュマエルの不満・ストレスが頂点に達したであろうと思われるのが、イサクが乳離れしたときです。
当時は現代に比べるとはるかに乳幼児の死亡率が高かった時代です。が、乳離れするくらいまで大きくなる(3歳頃だと思われます)と死ぬ確率も少なくなります。4
このため、アブラハムはイサクの乳離れをお祝いする盛大なパーティーを開きます(創世記21章8節)。
イシュマエルからしてみれば、幼くしてイサクが死んで自分が再びアブラハムの跡取りとなるという希望(野望!?)が限りなく小さくなってしまった瞬間です。
イシュマエルは、そんな自分のどうしようもない絶望感、無力感、疎外感をイサクにぶつけてしまいます。
と聖書は記しています(創世記21章9節)。5
その具体的な様子は記されていませんが、他の聖書個所(ガラテヤ人への手紙4章29節)ではイシュマエルはイサクを「迫害した」とも言われていますので、かなりひどい内容であったように思われます。
我が子イサクが女奴隷ハガルの息子イシュマエルにからかわれている場面を目撃したサラは、夫アブラハムにハガルとイシュマエルを追い出すように迫ります。イサクの身の安全を守ると同時に跡取りとしての地位を確固たるものとするためです(創世記21章10節)。
イシュマエルは確かに自分の血を分けた息子です。その息子はまだ16-17歳ですから、ハガルと一緒に二人で生き延びていく保証はありません。これがイシュマエルとの永遠の別れとなるかもしれない訳です。
そんなアブラハムに対して、神様はサラの要求を受け入れるように指示します。そして、イシュマエルは生きながらえて、彼の子孫が栄えると再び約束されます(創世記21章12-13節;比較:創世記16章10節;17章20節)。
そこでアブラハムはハガルとイシュマエルに水と食料を与えて荒野(あらの)に送り出します(創世記21章14-19節)。
Hagar and the Angel in the Wilderness By Francesco Cozza - www.geheugenvannederland.nl : Home : Info : Pic, Public Domain, Link
しかし、案の定、ハガルとイシュマエルは荒野をさまよった挙句、水も食料も底をついて死を待つのみの状態となってしまいます。
と、そんなときです。
と聖書は語ります。そして、神の使い(天使)はハガルに告げます。
「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神が、あそこにいる少年の声を聞かれたからだ。立って、あの少年を起こし、あなたの腕でしっかり抱きなさい。わたしは、あの子を大いなる国民(くにたみ)とする。」【創世記21章17-18節】
出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉33頁
こうしてハガルは井戸を見つけ、イシュマエルと共に生き延びることできたのです。
と聖書は語ります(創世記21章20節)。
イシュマエルは成長して荒野に住みつき、神様が約束されたように、彼から12人の氏族の長が生まれ、137歳という長寿を全うします(比較:17章20節;25章12-18節)。6
まとめ(イシュマエルと共におられた神)
「聖なる書物」という名前の「聖書」ですが、そこに登場する人物は到底「聖なる人物」と呼ぶことはできない人たちばかりです。
今日の話に出てくるアブラハム、サラ、ハガル、イシュマエルはそれぞれに人間的な弱さをもっていました。
自分の女主人サラが子供を欲しいと願っていても身ごもることができなかったため、サラの夫アブラハムに嫁いだ女奴隷のハガル。彼女は自分が身ごもるとサラを見下すようになりました。
そんなハガルを受け入れられないサラは彼女に厳しくあたります。その程度の激しさは、ハガルが家を出てしまうほどのものでした。
また、イシュマエルが自分の子イサクをからかっているのを見たサラは、ハガルとイシュマエルの親子を(生き延びる保証もないままに)家から追い出すようにアブラハムに要求します。
アブラハムはというと、サラとハガルの関係が悪くなっているにもかかわらず、その仲を取り持つことができません。サラに丸投げして自分はただ傍観するだけでした。
イシュマエルは自分の置かれていた立場の変化についていくことができませんでした。
イサクが生まれるまで、イシュマエルはアブラハムの唯一人の後継ぎとして、神様の約束が実現するためになくてはならない存在とみられていました。
しかし、イサクが生まれた途端、いてもいなくてもどうでもよい存在として扱われ始めます。
そのような周りの人々の態度の変化に対して、イシュマエルの心にはとまどい、恐れ、不安、いらだちといった様々な感情が入り乱れていたことと思います。
自分の感情を抑えきれなくなったイシュマエルはイサクをからかう(迫害する)ようになります。
結果、イシュマエルは母親ハガルと一緒に家を追い出されてしまいます。
いてもいなくてもどうでもよい存在から、いてもらいたくない・いてはいけない存在となってしまったイシュマエル…。
しかし、
と聖書は語ります。
神様はある特定の人物・民族ではなく、全ての人に対して憐れみ深いお方であることが示されています。
なのです。事実、
神様はイシュマエルや旧約聖書の人物だけでなく、現代の日本に生きる私たち一人一人とも共にいたいと願っていらっしゃいます。
神様が私たちと共にいてくださるようになるため、私たちは厳しい修行に耐えたり善行を積んで「聖なる人物」になる必要はありません。悟りを開く必要もありません。
私たちに必要なのは、
です。
のです。
参考文献および注釈
- Mathews, Kenneth. Genesis 11:27-50:26. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2005.
- Merrill, E. H. “ISHMAEL.” Edited by T. Desmond Alexander and David W. Baker. Dictionary of the Old Testament: Pentateuch. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003.
- Waltke, Bruce K., and Cathi J. Fredricks. Genesis: A Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan Publishing House, 2001.
- Walton, John H. Genesis. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2001.
- Wenham, Gordon J. Genesis 16-50. Word Biblical Commentary. Waco, Tex.: Word Bks, 1993.
- Whitcomb., R. P. “ISHMAEL.” Edited by D. R. W. Wood, I. H. Marshall, A. R. Millard, and J. I. Packer. New Bible Dictionary. Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996.
- これらの人物は2020年の「バイブルワークショップ」で取り扱う予定の人たちでもあります。バイブルワークショップについての詳細は下記の記事をご覧ください。「2020年の予定:バイブルワークショップ@お茶の水クリスチャン・センター」
- 上記の人物以外にもアブラハム(創世記21章22節)やイスラエルの民(民数記23層21節;申命記20章1節)などに対しても「神が共におられた」と記されています。
- R. P. Whitcomb., “ISHMAEL,” ed. D. R. W. Wood et al., New Bible Dictionary (Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996), 554.
- 下記参考文献の「創世記21章8節」の注解を参照。Gordon J. Wenham, Genesis 16-50, Word Biblical Commentary (Waco, Tex.: Word Bks, 1993); Bruce K. Waltke and Cathi J. Fredricks, Genesis: A Commentary (Grand Rapids, Mich.: Zondervan Publishing House, 2001).
- 創世記21章9節の「からかう」という日本語訳は「聖書 新改訳2017」によります。「聖書 聖書協会共同訳」では「遊び戯れる」と訳されています。ちなみに、ここで「からかう」と訳されている言葉は「笑う」(創世記17章17節;18章12節;21章6節)、「悪い冗談を言う」(創世記19章14節)、「いたずらをする」(創世記39章14節)、「戯れる」(出エジプト記32章6節)などとも訳されている言葉です。イサク(「彼は笑う」という意味)という名前の語源にもなっている言葉ですので、創世記の作者が「言葉遊び」をしていることが分かります。詳細な説明は下記を参照。Kenneth Mathews, Genesis 11:27-50:26, The New American Commentary (Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2005), 268–269.
- イスラム教の聖典「クルアーン(コーラン)」によると、イシュマエルはアラブ人の祖先でイスラム教の神アッラーを崇拝していたとされています。E. H. Merrill, “ISHMAEL,” ed. T. Desmond Alexander and David W. Baker, Dictionary of the Old Testament: Pentateuch (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003), 451; イシュマエルとアラブ人(イスラム教)との関係について、興味のある方は例えば下記参考文献の「創世記20-21章」の注解内"Contemporary Significance: Politics in the Middle East"の項を参照。John H. Walton, Genesis, The NIV Application Commentary (Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2001).