「喜ばしい知らせ」:2023年12月17日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です。

  • 日時:2023年12月17日(日)
  • 場所:片柳福音自由教会
  • 説教タイトル・テーマ:「喜ばしい知らせ」
  • 聖書個所:ルカによる福音書1章5-25節1
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導入

皆さんにとって、人生で最も「喜ばしい知らせ」というのは何でしょうか?

恐らく、人生のそれぞれのステージにおいて、「喜ばしい」と感じるものが異なってくると思います。

でも、いずにしても、私たちが「喜ばしい」「良い」と感じるのは多くの場合、

自分もしくは自分が大事に思う他の人の願いや目的・目標がかなえられた

時ではないかと思います。

今日の聖書個所には天使ガブリエルによって、祭司ザカリアに「喜ばしい知らせ」が伝えられています(ルカによる福音書1章19節)。

今日の聖書個所を通して、

聖書の語る「喜ばしい知らせ」とは何か?

について考えたいと思います。

そして、神様がその喜ばしい知らせをどのように実現なさるのかを見る中で、

神様とはどのようなお方か?

を共に学びたいと思います。

個人的に喜ばしい知らせ

今日の個所に出て来る祭司ザカリアとその妻エリサベトは神様の前に正しい人で、神様の戒めや定めを全て守り行っていました(ルカによる福音書1章6節)。

ところが、そんな彼らには子供がいませんでした(7節)。

神様の前に正しく従順に歩みながらも、子供がなかなか与えられないという状況にあって、彼らは子供が与えられるようにと神様に祈ったことでしょう。

そして神様はそんな彼らの祈りを聞き入れられました(13節)。

しかしながら、推測にはなりますが、

ザカリアは祈りが聞き入れられるときまでに子供のことを諦め、祈ることも止めていた

のではないかと思われます。

というのも18節にあるように「エリサベトに子供ができる」という天使の言葉をザカリアは素直に受け入れることができなかったからです。

ザカリアはこの時、子供のために祈ったことさえ忘れてしまっていたかもしれません。

けれども、

神様は彼の祈りを忘れることなく、彼の望むタイミングではなく、神様のタイミングによって、その祈りを聞き入れられました。

民全体の喜ばしい知らせ

今日の個所で注目したいことがもう一つあります。

それは、

ザカリアが神殿内で香を焚いている間、外では大勢の民衆が祈っていた

ということです(ルカによる福音書1章10節)。

このとき、恐らく彼らは

イスラエル民族の解放・救いを祈っていた

のではないかと思います。

なぜなら、当時のイスラエル民族にとっての共通の願い、それはローマ帝国から独立して、自分たちの国を再建することだったからです。

神様に仕える祭司ザカリアもきっとイスラエル民族の解放・救いについて祈っていたに違いありません。

そうだとすれば、神様が聞き入れてくださったザカリアの祈りの中には、

子供が与えられるようにという祈りだけでなく、イスラエル民族が解放される・救われるようにという祈りも含まれていた

と考えてもおかしくないと言えます。

実際、その後の15-17節に記されている、生まれてくる子供の使命を見てみると、

神様は生まれてくる子供ヨハネを通して、イスラエル民族に約束していた救い(の一部)をもたらそうとされている

ことが分かります。

ザカリアが長年祈り求めていた子供が与えられるようになるだけでなく、その子供を通してイスラエル民族全体が長年祈り求めていた神様の救いの計画が完成に向けて動き出す

それが19節で天使の語る「喜ばしい知らせ」と言うことができます。

喜ばしい知らせをもたらす神

この喜ばしい知らせがもたらされた次第を見てみると、

神様が私たちの祈りに答えてくださるタイミングは私たちの願うタイミングとは限らず、あくまでも神様のタイミング

であることが分かります。

また、

神様がどのように私たちの祈りに答えてくださるかについても、私たちの予期・期待する方法とは異なることが多い

と言えます。

さらに、

神様は私たち一人一人の必要に答えながら、全世界の人々に救いをもたらすことができるお方、その約束を必ず守られるお方

であることも分かります。

ここに神様の愛と憐れみ、そして絶対的な主権とその誠実さを見て取れます。

神様というお方は私たち一人一人に目を留め、私たちがどのような苦しみや辱めを受けているかをご存知

です(参考:ルカによる福音書1章25節)。そして、

いつの日か必ずや私たちをその苦しみや辱めから解放してくださると同時に、預言者たちを通して遠い昔に約束された救いの計画を着実に実現していかれるお方

です。

結論

皆さんにとって、人生で最も「喜ばしい知らせ」とは何でしょうか。

2000年前のザカリアとイスラエル民族にとっての「喜ばしい知らせ」とはザカリアが長年祈り求めてきた子供ヨハネによって、イスラエル民族が長年祈り求めてきた神様の救いがその実現に向けて一歩前進しようとしていたことでした。

この

神様の救いの御業に関する「喜ばしい知らせ」は、イエス様の誕生によって完全に実現されていく

ことになります(参考:ルカによる福音書2章10-11節)。

私たち人類にとっての最も「喜ばしい知らせ」、それはイエス様の誕生の知らせ

です。

イエス様の誕生によって、私たち人類と私たちの造り主なる神様との間で断絶してしまっていた絆が回復する道が開かれた

からです。この

神様は愛と憐れみに満ちたお方、絶対的な主権をもってそのご計画・約束を必ず実現される誠実なお方

です。その

神様・イエス様が、いついかなるときも、どんなことがあったとしてもあなたと共にいてくださる

と約束してくださっています(マタイによる福音書28章20節)。

この世の中は喜ばしいことや楽しいことばかりではなく、悲しいことや辛いことが沢山あります。

それはクリスチャンにとっても例外ではありません。

学校でいじめられることがあるかもしれません。

職場の上司・同僚から様々な理由で不当な評価を受けることがあるかもしれません。

知人や親戚に自分の状況・立場・心境が理解されず、非難や叱責を受けることがあるかもしれません。

そのような苦しみ・悲しみを通して、生きる目的、やりがい、楽しみを失ってしまったという方がいらっしゃるかもしれません。

その状況が少しでも良くなるようにと神様に祈り続けている方がいらっしゃるかもしれません。

たとえあなたの切実なる祈りに神様が直ぐに答えてくれないことがあったとしても、それは

神様があなたを無視しているからではありません。
神様があなたを見捨てたからでもありません。
神様は必ずや神様のタイミングと方法によって、神様の目から見たあなたにとっての最高最善の結果をもたらしてくださいます。

ただ、

神様の目から見たあなたにとっての最高最善があなた自身の思い描く最高最善とは異なる

ことがあるかもしれません。

ここに神様に対する信仰・信頼が必要となります。

あなたはどんなことがあったとしても、神様がいつの日か必ずあなたにとっての最高最善の結果をもたらしてくださると信じているでしょうか?

と言うのは簡単ですが、とりわけ、苦しみや悲しみの渦中にあるとき、神様が必ずや全てを益にしてくださる、自分にとっての最高最善の結果がもたらされると信じることは決して簡単なことではありません。

でも、そんな苦しみや悲しみの中にあるとき、今一度、

イエス様の十字架を見上げてください
イエス様がその十字架の上で経験されたこの上ない苦しみや悲しみを想像してみてください

イエス様は弟子たちに見放され、裏切られ、誰にも理解されることなく、あらゆる嘲り、そしり、侮辱をその身に受けながら、死んでいかれました。

それは

試練を受けているあなたを助けるため、あなたのその苦しみ悲しみ、痛みに寄り添うため

です(参照:ヘブライ人への手紙2章18節)。

イエス様はあなたを助けるため、あなたの今のその苦しみに寄り添うため、この世に来られ、十字架で死んでよみがえってくださった

のです。

この「喜ばしい知らせ」をあなたから奪い去る者は誰もいません(ヨハネによる福音書16章22節)。

クリスマスまであと一週間、今一度、

聖書の語る「喜ばしい知らせ」を思い起こしてください。

そして、この

「喜ばしい知らせ」をあなたの周りの人々にも是非、分かち合ってみてください。

参考文献および注釈

  • Bock, Darrell L. Luke 1:1-9:50. Baker Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Baker Bk House, 1994.
  • France, R. T. Luke. Teach the Text Commentary Series. Grand Rapids, Mich.: Baker Books, 2013.
  • Garland, David E. Luke. Edited by Clinton E. Arnold. Zondervan Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2011.
  •  Green, Joel B. The Gospel of Luke. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1997.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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