「それでも、共におられる神」:2020年6月7日(日)礼拝説教要旨
苦しみや悲しみ、不安や恐れの只中にいるとき、私たちは神様に対する疑問や不満に心が捉えられてしまいます。でも、たとえどんなに状況が悪く見えたとしても、神様はいつも私たちと共にいて、私たちが全く予期しない方法で御自分の計画を成し遂げていかれるお方です。
物理好きの無神論者がキリスト教の牧師になって始めたブログ
苦しみや悲しみ、不安や恐れの只中にいるとき、私たちは神様に対する疑問や不満に心が捉えられてしまいます。でも、たとえどんなに状況が悪く見えたとしても、神様はいつも私たちと共にいて、私たちが全く予期しない方法で御自分の計画を成し遂げていかれるお方です。
人を裁くのは簡単です。しかし、神様の善悪の基準に照らすと私たちは皆、罪人、裁かれて当然の存在です。そんな私たちが本来負うべき罪の罰を神様の独り子イエス様がその身に背負い、十字架に架かって死んでよみがえってくださった。ここに神様の愛が表れています。
神様はあなたが弱く不信仰で間違いや失敗を犯す罪人であり不敬虔な者なのにもかかわらず、十字架で死んでくださいました。それほどまでに神様はあなたを大事に大切に思っていてくださっています。理由や理屈では説明できないほど、神様はあなたを愛してくださっているのです。
神様の前にありのままの自分をさらけ出して自分の罪深さを告白し、神様・イエス様のために自分の人生をやり直したいと、ただただ神様の憐みにすがるとき、あなたはもはや闇の中を歩くことがなく、イエス様という光を得て、イエス様と共に新しい人生を歩み始めています。
神様の恵みの故にイエス様を信じる信仰によって救われた人々に対して神様が望んでおられること、それは神と人を愛すること。そのためにはまず神様の救いの恵みに満たされる必要があります。神と人を愛することに疲れたならば、今一度、神様の恵みを思い起こしてください。
子供の育児に関わる中で今回考えさせられたのは神様の「愛」、特に「身代わりの愛」について。私たちの身代わりに私たちの罪の罰をその身に受け、十字架で死んでいった子なる神イエス・キリスト。そこには私たちが苦しむ姿を見るに忍びない神の愛が表れています。
あなたが必死になって守ろうとしているモノは何でしょうか。たとえ、あなたが持っているモノ全てを失ったとしても、何も持っていないとしても、何もできないとしても、そのままのあなたを神様は愛してくださっています。神様にとってあなたは何物にも代えがたい存在なのです。
子供の育児に関わる中で今回考えさせられたのは神様の「懲らしめ」について。私たちが辛いことや苦しいことを経験するのは、神様が私たちを愛しているからこそであって、神様はそこから私たちに何かを学び取ってもらいたいと思っていらっしゃるのかもしれません。
神様は不完全で弱いあなたを愛し、必要としています。たとえあなたが絶望のどん底にいて人生を諦めそうになっているとしても、イエス様はあなたのことを諦めません。諦めるどころか、あなたの更に下に入って、その深みからあなたを引き揚げてくださるお方です。
Even in excruciating pain on the cross Jesus did not think about Himself, but God’s mission and His people. It was possible because of His love for God and His people. Jesus thinks more about others than Himself, and loves us the way we are. And He wants us to love one another as He has loved us.