子育てから学ぶ神との関係:「身代わりの愛」について

子育てに関わる中で神様との関係について考えさせられることが結構あります。

今回は神様の「愛」、その中でも特に「身代わりの愛」について。

ちょっと前になりますが、うちの息子が40度前後の高熱で1週間近くうなされたことがありました。

医者曰く、

恐らくは「突発性発疹」(もしくは「知恵熱」)によるなので、体温が高くなったら解熱剤(座薬)を投与して、しばらく様子を見るように

とのこと。

症状としては、体温が高い時(40度くらい)は苦しそうにしますが、座薬のおかげで37度台に下がってくると食欲もそこそこあって、見た目もそれほど普段とは変わらず元気な感じになります。

しかし、しばらくすると熱が40度前後まで出てきますので、再び座薬を投与して熱を下げるという繰り返し。

その間、体温は37-40度の間を行ったり来たり…。

はっきりとした原因が分からないのでかなり不安に思いながらも、ただただ見守るしかない状態でした。

そして、小さい身体が高熱に苦しんでいるのを見ると

脳に影響があるんじゃないか!?
後遺症が残らなければいいけど…

といった色々な思いが頭をよぎりました。

特に、夜中に高熱でうなされて泣きわめいている息子の姿を見ていると、

ああ、神様、この子の苦しみを取り除いてやってください。その苦しみを私に与えても構いませんから…

と本気で思いました。

我が子のためなら、自分の身がどうなっても構わないという「自己犠牲の愛」

そこに私たち人間に対する神様の愛の一端表れていると思います。

私たち人類を御自分のかたちに似せて造られた神様は私たちのことを我が子のように愛しています

事実、イエス・キリストを救い主と信じる人は神様の子供とされると聖書は語ります(ヨハネの福音書1章12節)。

イエスは言います。

人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。【ヨハネの福音書15章13節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉216頁

そして、その言葉を語って間もなく、

イエスは人々を罪(神様に従わないこと)がもたらす苦しみから救い出すため、自らがその苦しみを担い、十字架に架かって死んでいきました。
私たちの身代わりに私たちの罪の罰をその身に受けた子なる神イエス。

そこには私たちが苦しむ姿を見るに忍びない神様の大いなる愛が表れています。

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