「はかり知れない神の計画」:2020年7月26日(日)礼拝説教要旨


礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。

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導入

今日の聖書個所の主役の一人はヨセフの父ヤコブ(イスラエル)です。彼の人生をみてみると現在の私たちと同じく

神様は本当にいるんだろうか…
神様がいるとしたら、一体今は何をしているのだろう…
神様は私を見捨ててしまったのだろうか

と思いたくなるような出来事をたくさん経験したであろうことが分かります。実際、ヤコブはエジプトのファラオに自分の人生は「労苦に満ち」たものだと語っています(創世記47章9節)。しかし、

神様はこのヤコブを通して、神様の祝福を広げていかれました。

今日はヤコブの人生を簡単に振り返りながら、神様がどのようにして御自分の計画を成し遂げていかれるのかを再確認したいと思います。

決断を迫られるヤコブ

ヤコブはその昔、父イサクを騙して兄エサウが受けようとしていた祝福を自分のものとしました(創世記27章)。

そのためにエサウから命を狙われるようになったヤコブは、家族のもとを離れ伯父ラバンの下で生活します。そこで彼は特に報酬のことで何度となくラバンに騙されます(創世記31章36-42節)。

ラバンのもとを離れ、生まれ故郷に帰ってくると間もなく、最愛の妻ラケルが亡くなります(35章16-20節)。

また、長男ルベンにはラケルの側女ビルハを寝取られてしまいます(35章22節)。

さらに、ヤコブは実の息子たちにも騙され、ヨセフが死んでしまったものと思い込んでしまいます。このときのヤコブの悲しみは相当なものでした(37章12-36節)。

それから約20年ほどが経ち、今度はラケルとの間に残された最後の息子ベニヤミンも失うかもしれない状況になったとき、ヤコブは悲しみのうちに死んでしまうだろうと嘆いています(42章38節; 比較:44章27-29節)。

そんなヤコブのもとに信じられない知らせが飛び込んできます。その知らせとは、

死んでいたと思っていたヨセフが生きていて、エジプト全土を治める地位に就いている

というもの(45章25-28節)。

是非ともヨセフに会いに行こうとするヤコブですが、彼には大きな心配事が一つありました。それは

神様が自分と子孫たちに与えてくださると約束してくださった土地を離れてエジプトに移り住むことで、神様との約束が台無しになってしまうかもしれない

というもの(参照:創世記28章13-14節)。飢饉から免れるために一族全員でヨセフのいるエジプトに移住することは、神様が与えてくださると約束してくださっている土地を手放すことになりかねないからです。

神様の約束の地を離れて食料の心配のないエジプトでヨセフと共に暮らすか?

それとも

神様の約束の地に留まりながら飢饉をどうにかやり過ごすか?

ヤコブは非常に難しい選択を迫られていました。

共におられる神

結果、ヤコブは約束の地を離れる決断をしました

そして、エジプトに下る途上のべエル・シェバという場所でヤコブは神様にいけにえを捧げます(創世記46章1節)。べエル・シェバは約束の地カナンの最南端にあたる場所で、べエル・シェバを離れるということはカナンから完全に離れることを意味します。

先にみたように、ヤコブは父イサクを騙して神様からの祝福を奪い取りました。しかし、その後の人生は必ずしも幸せばかりの人生ではありませんでした。

こんなにも苦しいことばかり起こるのは、きっと神様が私を嫌っているからだ
私は神様から見捨てられたんだ

と思うことがあったかもしれません。そんな中にあって、ついにヤコブは約束の地までも離れざるを得ない状況に立たされた訳です。

神様はついに自分との約束さえ忘れてしまったのだろうか…
でも、たとえそうだとしても、神様に対する私の信仰はなくならないし、これからも神様を信頼して生きていくぞ

そのような思いをもってヤコブはべエル・シェバで神様にいけにえを捧げたのかもしれません。

するとその夜、神様は幻の中でヤコブに語られ、

ヤコブと共にエジプトに下り、再び約束の地に彼を導き上る

と約束されます(46章3-4節)。この言葉にヤコブはどれほど慰められたことでしょう。

私たちの人生においても様々な苦しみや悲しみを経験します。イエス様がイエス様を信じる私たちといつも共にいてくださっているにもかかわらず、です。

一向に状況が良くならず悪くなる一方だと誰もが

こんなにも苦しいことばかり起こるのは、きっと神様が私を嫌っているからだ
私は神様から見捨てられたんだ

と思いたくなってしまいます。でも、

たとえどんなことがあったとしても、どんなに状況が悪くなる一方だとしても、それは神様・イエス様があなたを嫌いになったからではありません。
神様があなたを見捨てたからでもありません。
たとえどんなことがあったとしても、どんなに状況が悪くなったとしても、イエス様はあなたと共にいてくださる

と約束してくださっています(参考:マタイによる福音書28章20節)。

約束を果たす神

聖書の神様は私たちとの約束を忘れるようなお方ではありません。神様の時と方法によって、いつか必ずその約束を果たしてくださるお方です。

ただ、その神様の時と方法というものが、私たち人間の考える・期待する時と方法でないことがほとんどです。

ヤコブの場合もまさか約束の土地を離れ、エジプトで子孫が多くなるとは思っていなかったはずです。しかしながら、それから400年ほどかけて、確かにヤコブ一族はエジプトの地で増え広がっていきました(比較:創世記46章8-27節;民数記26章5-51節)。

また、創世記46章4節で神様は必ずヤコブをカナンの地に導き上ること、およびヨセフがヤコブの最期を看取ることを約束しています。その約束通り、ヨセフは確かにヤコブの臨終の床に立ち会い(49章33節)、ヤコブの亡骸をカナンの地に葬ります(50章1-14節)。

さらに、今日の個所でヤコブはファラオを祝福しています(47章7、10節)。ヤコブがファラオを直接的に祝福するという行為によって、彼と彼の子孫を通して地上の人々が祝福されるという約束が部分的に実現した訳です(参照:創世記28章14節)。

けれども、この神様の約束を受けたヤコブ自身、まさか後に自分がエジプトでファラオと会見して、ファラオを直接祝福することになろうとは夢にも思っていなかったはずです。

神様の約束は私たちの想像をはるかに超えた方法で、神様の時にかなって必ず実現していく

ことが分かります。

なお、ヤコブ(アブラハム)の子孫によって地上の全ての人が祝福されるという神様の救いの約束は救い主(メシア)なるイエス様によって完全に成就されることになります(参考:ガラテヤ3:8-14)。

この救いの約束の完全な実現の方法もまた、イエス様の十字架と復活という私たち人間の予想・期待をはるかに上回るものでした。

しかし

神様は、神の独り子が無実の罪で十字架刑に架けられるという最悪な出来事を用いて、世の人々を罪の滅びから救い出すという最善の救いの計画を成し遂げられた

のです。ここに、神様の絶対的な主権、また何があっても決して私たちを見捨てることのない神様の愛と恵みが表されています。

結論

神様は必ずその約束を果たす誠実なお方、信頼に足るお方です。

たとえ今の状況が私たちの望んでいる方向とは全く違う方向に進んでいるとしても、それは神様が私たちを嫌っているからではありません。

神様が私たちのことを見捨てたから悪いことばかり起こるのでもありません。

神様・イエス様はいついかなるときも、イエス様を信じ従おうとする者と共にいてくださっています。

ただ、イエス様がいつも共にいてくださるからといって、全ての物事が私たちの思う通りに進む訳ではありません。むしろ、

神様の約束・御計画は私たちにははかり知れないかたちで実現されていきます。
今の世の中は不安と恐れで満ちています。

様々なイベントや催し物が中止・延期され、計画通りに物事が運ばないことばかりです。

今は上手くいっているとしても、明日にはどうなるか分からないことばかりです。

絶対に大丈夫なことなど何もない

認めようが認めまいが、誰もがそのことを肌身で感じている時代だと言えると思います。

が、しかし、です。

それほどまでに不確かな世の中にあって、絶対に変わることのないもの、揺るぎないもの、信頼に値するものがあると聖書は語ります。

それこそ

神様・イエス様であり、神様の約束・御計画であり、神様の愛

です(参考:ヘブライ人への手紙13章8節)。そんな神様・イエス様が約束してくださっています。

私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。【マタイによる福音書28章20節】

出典:日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳-旧約聖書続編付き』(日本聖書協会、2018年)(新)59頁

今、どうしようもない恐れと不安の中にある方がいらっしゃれば、イエス様の十字架を見上げてください

そこには何があっても決してあなたを見捨てることのない神様の愛が示されています。

周りの状況が悪くなるばかりで生きる意味や生きがいを失いかけようとしている方がいらっしゃれば、イエス様の十字架を見上げてください

そこにはどんな悪をも善に変えることのできる神様の絶対的な主権が表れています。

イエス様は今、あなたが経験している恐れや不安、悲しみや苦しみ、絶望や孤独を全てご存知です。
あなたは独りではありません。
あなたのことを誰よりも理解してくださっているお方があなたに寄り添い、あなたを慰め、励まし、力づけてくださっています。

神様の祝福がありますように。

参考文献および注釈

  • Mathews, Kenneth. Genesis 11:27-50:26. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2005.
  • Walton, John H. Genesis. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2001.
  • Wenham, Gordon J. Genesis 16-50. Word Biblical Commentary. Waco, Tex.: Word Bks, 1993.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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