礼拝説教の要旨です。
- 日時:2021年6月6日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「変わらない神の計画」
- 聖書個所:ローマの信徒への手紙9章1-13節1
導入
新型コロナウイルスの感染例が世界で初めて確認されてから1年半ほどが過ぎた今でも、状況はなかなか改善されていません。
「コロナ慣れ」または「自粛慣れ」という言葉さえ出てきています。
誰もが
といった疑問を抱くのではないでしょうか。神様のことばは本当に信頼できるのか。聖書の約束は本当に実現するのか。
にあると言っても過言ではありません。今日の聖書個所は、
であること、
ということを思い起こさせてくれる内容となっています。
信じないイスラエル民族
現代の私たち同じく、2000年前のローマに生きたクリスチャンたちにとっても、神様のことばの確かさを疑いたくなるような現象が起きていました。それは、
という現象です(ローマの信徒への手紙9章1-5節;10章1-3節)。
ローマの信徒への手紙が書かれた当時のローマの状況は詳しく分かりませんが、ローマにもユダヤ人のコミュニティはありました。
しかしながら、当時のローマの教会の多数派は異邦人で占められていたようです(参考:使徒言行録28章17-28節;ローマの信徒への手紙2章17-29節;11章13-32節)。
信頼できる神の言葉
イスラエル民族は神様から数えきれないほどの祝福を受けていました。
にもかかわらず、
彼らを通して実現されるはずの神様の約束・計画はキャンセルされてしまったのでしょうか(参考:創世記 22章17節)。
とパウロは語ります(ローマの信徒への手紙9章6節)。その理由は、
からです(6-8節)。それは裏を返せば、
ということです。それだから、たとえイスラエル民族の多くがイエス様を信じないとしても、神様の約束・計画がキャンセルされた訳ではないということになります。
人の行いによらない神の計画
アブラハムと血が繋がってさえいれば自動的に神様の子供とされる訳ではないことを示すため、パウロは二つの例を挙げています(ローマの信徒への手紙9章7-13節)。
一つ目はイサクとイシュマエルのケースです(7-9節)。
イサクとイシュマエルの母親は異なりましたが、実の父親はどちらもアブラハムです。
しかし、
二つ目の例としてパウロはヤコブとエサウのケースを挙げています(ローマの信徒への手紙9章10-13節)。
イサクとイシュマエルの場合は、父親は同じでも母親が異なりました。けれども、ヤコブとエサウの場合は同じ両親です。
しかも、ヤコブとエサウは双子ですから、生まれた日も同じです。
にもかかわらず、
と聖書は語ります(創世記25章23節)。それは、
からだとパウロは語ります(ローマの信徒への手紙9章11-12節)。
お方です。
結論
お方です(参考:ヘブライ人への手紙13章8節)。
私たち人間がたくさん善いことをすれば、神様の計画がより早く実現される訳でもありません。
私たち人間がたくさん悪いことをすれば、神様の計画が台無しになる訳でもありません。
お方です。永遠の初めから立てられた神様の計画は決して変わりません。
もし神様の言葉・約束・計画が変わっているように感じることがあるとすれば、それはもしかしたら、
からかもしれません。
神様は確かにアブラハムを恵みによって選び、彼を祝福し、彼と彼の子孫を通して全ての人を祝福すると約束されました。
そして実際に、アブラハムの子孫は神様から様々な祝福を受けました。
でも、だからといって、
イシュマエルではなくイサクが選ばれ、エサウではなくヤコブが選ばれました。
けれども、
救いに関しても同じことが言えます。
ですから、たとえイスラエル民族の多くがイエス様を信じて救われないという現実があったとしても、それは神様の言葉・計画・約束が変わったことを意味していません。
むしろ、
でした(参考:ローマの信徒への手紙11章以降)。
たとえ何が起きたとしても、神様の計画は決して変わりません。
何が起きても神様の計画は変わらないという真理が最もよく表されているのがイエス様の十字架と復活です。
神の御子イエス・キリストが無実の罪で十字架刑に処されるという出来事は、普通に考えると決してありえない・あってはならない出来事です。
けれども、
のです。しかも、死んで終わりではなく、イエス様は死んで三日目に栄光の体をもってよみがえられました。
死者からの復活という出来事も十字架と同様、普通に考えると決してありえない・あってはならない出来事です。しかしながら、この
のです(参考:ローマの信徒への手紙5章17-21節;6章12-14節;コリントの信徒への手紙一15章17-26節)。
たとえ何が起きたとしても、神様の計画は決して変わりません。
先がなかなか見えない状況が続いています。
「自粛」「自粛」と言われ続け、気分的にも落ち込みがちな毎日が続いています。
このような状況が長らく続くと誰もが神様の働きに疑問を抱きたくなります。
そんな中で神様に対する信仰・信頼さえも消え去りそうになってしまうかもしれません。
でも、そんなときにこそ
たとえ何が起きたとしても、神様の計画は決して変わりません。
と言われても、です。
頭では理解しているつもりでも、実際には神様の計画が本当に実現しているのかと不安に思うことがあるかもしれません。
でも不安に感じるのは、ひょっとしたら、
かもしれません。もしそうだとしたら、
ことを思い出してください。
自分の思い・考え通りに物事が進んでいないからといって、神様の計画が進んでいない訳ではありません。
神様に対する信仰・信頼が揺るがされそうなときこそ、その
そこに表されている
参考文献および注釈
- Moo, Douglas J. Romans. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: ZondervanPublishingHouse, 2000.
- ———. The Epistle to the Romans. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996.
- Schreiner, Thomas R. Romans. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2018.