礼拝説教の要旨です。
- 日時:2021年12月5日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「恵みに満ちた神の業」
- 聖書個所:ルカによる福音書1章26-38節1
導入
いつもながら時の経つのは早いもので、2021年の最後の月、12月を迎えました。
今年も昨年と同じく「新型コロナウイルス」に振り回された一年だったと思われる方は多いのではないでしょうか。
コロナ禍がいつまで続くのかは誰にも分かりませんが、誰もがコロナ禍を通して色々なことを考えさせられたと思います。
それは例えば、
仕事の働き方や人とのコミュニケーションの取り方
正しい情報の見極め方や意見の異なる人の受け入れ方
教会での礼拝の在り方や「教会」とはそもそも何か
などです。
そんな中でも私がこれまでの説教の中で度々取り上げてきたテーマは「コロナ禍にあっても本当に神様は生きて働いておられるのか」というものです。
今日の聖書個所を通して今一度、
を確認したいと思います。そして、今の
を一緒に考えていきましょう。
分け隔てのない愛
今日の聖書個所には
場面(俗に「受胎告知」と呼ばれる)が描かれています。
この天使ガブリエルは今日の個所の直前でザカリアと呼ばれる祭司のもとにも遣わされています(ルカによる福音書1章19節)。
その当時の経済、社会、宗教の中心地であったエルサレム。しかも、その中の神殿の聖所で天使ガブリエルに出会ったのが祭司ザカリアでした。
対して、名もなき辺鄙な田舎町で天使ガブリエルに出会った名もなき少女マリア。
ことになりました。
ことが分かります。
のです。
恵みによる選び
とは言われても、です。
と思われる人がいらっしゃるかもしれません。けれども、
と言えます。実際、ザカリアは天使ガブリエルが告げた言葉を信じることができませんでした(ルカによる福音書1章20節)。
また、イエス様の弟子たちでさえ、事あるごとにイエス様からその信仰の無さを指摘されています(例:マルコによる福音書4章40節)。
マリアの場合、今日の個所で彼女は神様から二つの「恵み」を頂いています(ルカによる福音書1章28, 30節)。
マリアが受けた恵みの一つ目は、
ことです(28節)。二つ目は、
ことです(30-33節)。
のです。
なぜなら、神様の完全な計画を完全に実行するためには完全な人間が必要となりますが、神様の目から見て完全な人間は神の御子イエス様しかいないからです。
言うなれば、
ということになります。
だと言えます。
恵みによる助け
神様は私たちにただ働きを任せるだけではなく、
その当時のマリアの生活は決して世間一般的な幸せに満ちていたとは思えません。
というのも、「聖霊によって身ごもった」と言ったところで、誰も信じてはくれないだろうからです。
しかも、ナザレは田舎の小さな集落です。マリアが婚約中に身ごもったという噂は立ちどころに広まっていったに違いありません(参考:マタイによる福音書1章18節)。
町中の人々から「不貞の女」というレッテルを貼られ、陰口をたたかれながら生きていったことでしょう(参考:マタイによる福音書1章19節)。
と思います。
そして、
そのようにして神様は御自分の完全な救いの計画を実現していかれるのです。
結論
です。性別や年齢、社会的地位や出身地は関係ありません。
と同時に、
そして、
神様の選びや召し、また神様から任された働きと聞くと、すごく大きな「使命」のようなものを想像してしまうかもしれません。
実際、ザカリアやマリアに与えられた働き・役割はある意味、特別・特殊だと言えます。
しかしながら、大枠で考えると、
と言えます(参考:マタイによる福音書22章37-40節)。
あなたに神様と人を愛するという働きを任せるため、神様は恵みによってあなたを選ばれました。
そして、あなたが神様と人を愛することができるように、神様はまず御自身があなたをどれほど愛していらっしゃるかを示してくださいました。
それがイエス様の十字架と復活という出来事を通してなされた救いの御業です。
恵みによって、この神様の無条件の愛を受けた者として、
ことを神様はあなたに望んでおられます(ローマの信徒への手紙12章1節;ヨハネによる福音書13章34節;エフェソの信徒への手紙5章1-2節)。
その働きのために、恵みによって、あなたは神様に選ばれたのです。
そして、恵みによって、イエス様を信じるあなたのうちには神の霊である聖霊が住んでくださっています。
聖霊は神様と人を愛することができるようにあなたをイエス様に似た者へと造り変えてくださっています(コリントの信徒への手紙二3章18節;比較:ローマの信徒への手紙12章2節)。
このようにして、
だと言えます。
この神様の計画は今のこの時代にあっても神様のタイミングと方法によって確実かつ着実に実現していっています(比較:マタイによる福音書13章31-33節)。
とはいえ確かに、今のコロナ下では人と対面で会って話をすることさえ難しい状況にあります。
人との付き合いが表面的なものになり、人間関係が希薄になりがちです。
反対に、対面での付き合いを通して傷つくことを恐れるあまり、オンライン上の仮想空間での付き合いしかできなくなってしまう人が増えてきているようにも感じます。
そう感じる方が少なからずいらっしゃるかもしれません。
でも、もし「この世の中の愛が冷めてきている」と感じることがあれば、是非、
ことから始めてみてください。
どのように愛すればよいか分からない方は、まずその人のことを知ることから始めてみると良いかもしれません。
その上で、自分がその人にしてもらいたいと思うことがあれば、それと同じことをその人にしてみてください(マタイによる福音書7章12節)。
ある程度、見知った仲であれば、衝突もあると思います。でも、
もちろん、そのように人を愛することは私たち人間の力では不可能です。
あなたが神様のことを知らなかったときから、神様はずっとあなたに関心をもち、ありとあらゆる手段を使ってあなたと関わろうとしてくださいました。
あなたが神様の右の頬を打つようなことをしたとしても、神様は黙って左の頬を向けてくださるお方です。
ことから全てが始まります。
神様との対話(祈り)の時間をとってみてください。
聖書を通して、三位一体の神様のことをより一層、学んでみてください。
参考文献および注釈
- Bock, Darrell L. Luke. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 1996.
- ———. Luke 1:1-9:50. Baker Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Baker Bk House, 1994.
- Edwards, James R. The Gospel According to Luke. Pillar New Testament Commentary. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 2015.
- Garland, David E. Luke. Edited by Clinton E. Arnold. Zondervan Exegetical Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2011.
- Green, Joel B. The Gospel of Luke. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1997.