礼拝説教の要旨です。
- 日時:2025年4月6日(日)
- 場所:シンガポール日本語キリスト教会(SJCF)(ビデオメッセージ)
- 説教タイトル・テーマ:「それでも、主は共におられる」
- 聖書個所:創世記40章23節1
導入
皆さんは
聖書には色々なところで
というメッセージが出てきます(参考:マタイによる福音書28章20節;ローマ8章9-11節;コリントの信徒への手紙一6章19節)。
しかしながら、
皆さんの中にも今現在、非常な苦しみ・悲しみ・痛みを経験されている方がいらっしゃるかもしれません。
そのため、
とか、
と思いたくなる・思ってしまう方がいらっしゃるかもしれません。
今日の聖書個所に出てくる
です(創世記39章2, 3, 21, 23節)。でも
今日の個所を通して、
また
をみていきたいと思います。
理不尽に満ちた世の中
さて、創世記40章全体に出てくる主な登場人物はヨセフを除くと二人です。
二人ともエジプトのファラオに仕える宮廷の役人で、一人は献酌官長もう一人は料理長でした(創世記40章1-2節)。
彼らは
ここで少しヨセフの状況を確認しておきます。
ヨセフは17歳のとき、兄たちに売り飛ばされエジプトで奴隷生活を始めました(創世記37章)。
それまで何不自由ない生活を送っていたヨセフが突然、言葉も通じない異国の地で奴隷としての生活を余儀なくされるようになった訳です。
ヨセフにしてみれば、理不尽極まりない状況です。
彼がそのとき感じた苦しみ・悲しみ・痛みは相当のものだったと思います。
でも、このような苦しみ・悲しみ・痛みは別にヨセフに限った話ではないと思います。
ある意味、時と場所を超えて、
と言っても過言ではありません。
理不尽を共にする神
と聖書は記します(創世記39章2節)。
そしてエジプトでヨセフは売り飛ばされた先の家の主人ポティファルには気に入られました(39章4節)。
でも、ポティファルの妻の誘いを断ったがため、
ようになります。しかし、ここでも
と聖書は記します(39章21節)。
そしてヨセフは牢獄内の全ての囚人の管理を任されるようになりました。
ところが、
実際、17歳のときにエジプトに売られてきたヨセフは28歳になるまでの
そして
ようです。
理不尽をも用いる神
創世記40章の話に戻ると、ポティファルの屋敷の監獄に投獄されてきた献酌官長と料理長の二人は、不思議な夢を見ます(7-8節)。
神様の助けによって、ヨセフはそんな彼らの夢を見事に解き明かします(9-19節)。
そして、献酌官の夢を解き明かした後でヨセフは彼にお願いしています(14-15節)。
この創世記40章14-15節の言葉から、
ことが分かります。
むしろ、ヨセフは自分がどれほど理不尽極まりない状況にあるかを訴えかけています。
ところが、です。
しばらくして、
様々な思いに駆られていたであろうヨセフを尻目に、二年の月日が流れたと聖書は記します(41章1節)。
そして二年が経って、ようやく牢獄から出ることができたヨセフは、今度は、ファラオが見た夢を見事に解き明かし、ファラオに次ぐエジプトでNo.2の地位に就くことになります(41章40節)。
その後、エジプトでは七年の豊作と七年の飢饉が続き、その結果、ヨセフの家族が食料を求めてエジプトを訪れるようになる、と話は続いていきます。
このように、
訳です。
であることが分かります。
結論
ヨセフの時代に限らず、
と言っても過言ではありません。
皆さんの中でも今現在、そのような理不尽な苦しみ・悲しみ・痛みを経験されている方がいらっしゃるかもしれません。
けれども、どれほど理不尽だと感じる状況に置かれることがあったとしても、
そして、
です。
この世から苦しみや悲しみ、痛みがなくなることは、残念ながら、あり得ません。
三位一体なる神様がいつも共にいてくださるとしても、苦しみ・悲しみ・痛みを経験しなくなる訳ではありません。
たとえ今、あなたの人生において神様が働いておられないように思えたとしても、
神様は今もなお働いておられます。
たとえ神様に見捨てられているように感じたとしても、
神様は決してあなたを見捨てるようなお方ではありません。
そして、
と言われても、なかなか信じきれない、納得できない方がいらっしゃるかもしれません。
そんな方は、
と言えます。
イエス様ほど神様の前に正しく歩まれた方は他にありません。
いついかなるときも神様に忠実に、罪一つ犯すことなくその生涯を歩まれた方がイエス様です。
この世の中の価値観からすれば、その行いに応じて、これ以上ない祝福を神様から受けて然るべき存在です。
しかし実際には、
イエス様はこの世の誰からも理解されず、
大切に思っていた人からは裏切られ、
見捨てられ、
十字架の上で肉体的に極限の苦痛を味わいながら、
あらゆる人たちから罵られ、
馬鹿にされ、
嘲られて
息を引き取られました。
これ以上理不尽な状況があるでしょうか。
しかし、このように
しかも、
その意味で、イエス様の十字架には、この世の理不尽の全てが表されているだけでなく、
そして、
が表されている
とも言えます。
この世において理不尽な苦しみ・悲しみ・痛みを経験するとき、
イエス様の十字架を見上げてください。
そこに表わされている神様の愛と憐れみ、そして絶対的な主権を思い起こしてください。
たとえどんなことがあったとしても、
これ以上耐えられないほどの苦しみ・悲しみ・痛みを経験することがあったとしても、
神様があなたを見捨てることは決してありません。
神様・イエス様はいついかなるときもあなたと共にいて、あなたを絶えず守り導いてくださっています(マタイによる福音書28章20節)。
参考文献および注釈
- Mathews, Kenneth. Genesis 11:27-50:26. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2005.Kenneth A. Mathews, Holman Reference (1996/1/1)
- Walton, John H. Genesis. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2001.
- Wenham, Gordon J. Genesis 16-50. Word Biblical Commentary. Waco, Tex.: Word Bks, 1993.