「神があなたに望むこと」:2020年11月29日(日)礼拝説教要旨


礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちらから)。

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導入

キリスト教のカレンダーでは今日から待降節(アドベント)が始まります。

待降節というのは、

子なる神イエス様が私たち人類を救うために人の体をとって地上に降りてくださった日(イエス様の誕生日)をお祝いするクリスマスを待ち望む期間。

また、イエス様の誕生に表されている神様の愛と恵みを覚え、神様に感謝をささげるときでもあります。

という訳で、今日の説教のテーマは「神様への感謝をささげること (Thanksgiving)」なのですが、今日の聖書個所を読むと

いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する…と言うのは簡単だけど、今のコロナ禍ではそんなの絶対に無理でしょう!?

と思われる方は多いのではないでしょうか。今日はこの聖書個所の意味するところを共に探りたいと思います。

迫害される人々

「テサロニケの信徒への手紙一」は使徒パウロが現在のギリシャの北部に位置するテサロニケ地方に住むクリスチャンたちに宛てた手紙です。

パウロの宣教活動によって、テサロニケに住む人たちは次から次へとクリスチャンになっていきました。

すると妬みに駆られたユダヤ人たちは暴動を起こし、パウロたちを捕らえようとします。その迫害から逃れるため、パウロたちは次の町へと旅立っていきました(使徒言行録17章1-10節)。

しかし今度は、残されたテサロニケのクリスチャンたちがユダヤ人たちから迫害を受けるようになりました(テサロニケの信徒への手紙一2章14節;3章4節)。

そこでパウロはテサロニケを再び訪問して、彼らを励ましたいと願いましたが、その願いは直ぐにはかなえられなかったようです(2章17-18節)。

そのためパウロは自分の代わりにテモテをテサロニケに送ります(3章1-5節)。

このテモテが再びパウロのもとに戻ってテサロニケの人々の様子を伝えた時、パウロは彼らの信仰によって慰められたと記しています(3章7節)。

テサロニケのクリスチャンたちは様々な苦難や困難、迫害にも関わらず神様・イエス様に対する信仰に固く立っていた

のです(1章3、8-10節)。

聖霊による喜び

テサロニケの信徒への手紙一1章6節でパウロは、テサロニケの人たちは多くの苦難を経験しているけれども、「聖霊による喜び」をもって御言葉(神の言葉である福音)を受け入れ、パウロたちと主なるイエス様に倣う者となったと言っています。

世の中には「ポジティブ・シンキング(肯定的なモノの捉え方)」という考え方があります。

たとえどんなに辛いこと・悲しいことにあったとしても、それを肯定的に捉えて、その中に何か良いことを見つけ出すという考え方です。

けれども、聖書が「いつも喜んでいなさい」と語るとき、それは「ポジティブ・シンキング」によって、どんなことも肯定的に捉えて喜んでいなさいと言っている訳ではありません。

たとえどんな状況にあったとしても、神の霊なる聖霊の働きによって、心の内側から湧き起こる「喜び」というものがある

と聖書は語るのです(参考:ガラテヤの信徒への手紙5章22節)。

では、

聖霊の働きによって、心の内側から湧き起こる「喜び」とはどのようなものなのでしょうか?
どうすれば「聖霊による喜び」を感じることができるのでしょうか?

そのヒントは、パウロがテサロニケの人々に対して感じている喜びの中に隠されています。

パウロは、

苦難や困難、迫害の中にあっても確かに神様・イエス様がテサロニケのクリスチャンたちと共にいて、彼らを助け導いてくださっていることを確信し、そのことを喜んでいた

のです(参照:テサロニケの信徒への手紙一3章8-9節)。この

目には見えない神様の働きに対する気付きや確信を与えてくださるのが聖霊の働きの一つ

です(参考:コリントの信徒への手紙一2章11-14節)。

たとえ苦難や困難の中にあったとしても、私たちといつも共にいてくださるイエス様の存在に気付き、神様の働きを確信し、心の内側から喜びが沸き上がるようになる。

それこそが「聖霊による喜び」だと言えます。

祈りの大切さ

イエス様を信じる私たちの内に住まわれる聖霊の働きによって、いついかなるときも、またどんな状況にあったとしても絶えず主にある喜びを感じることができるとするならば、テサロニケの信徒への手紙一5章18節で勧められているように、「どんなことにも感謝」できるようになります。

そこで鍵となるのが5章17節の「絶えず祈りなさい」という勧めです。

これは、文字通り24時間365日「絶えず」祈り続けなさいという意味ではなく、「事あるごとに」もしくは「日常的に」祈りなさいという意味です(比較:1章3節;2章13節)。

皆さんの祈りはどのような祈りでしょうか?

神様に対する「お願いリスト」を作って、その「進捗確認作業」をするような祈りになってはいないでしょうか。

もちろん、神様に対して自らの願いや思いを伝えることは重要です。

しかしながら、

神様は私たちの願いや思いを何でもかなえてくださるお方ではありません。

祈りの中で重要なのは私たちの願いや思いよりもむしろ、神様の願いや思いです(参考:ヨハネの手紙一5章14節;比較:マタイによる福音書6章9-13節;26章39節)。

ですから、私たちは

祈りの中で神様の御心が何か、神様が私たちに何を求めておられるのか、何を望んでおられるのかを尋ねる

必要があります。と同時に、ただ神様に尋ねるだけはなく、

神様がどういう御性質を持ったお方で、これまでに何を成してくださったのか、今ここで何を成されているのか、そして、これから何を成そうとされているのかを祈りの中で思い巡らす

ことも大事です。

そのような祈りの中で、イエス様を信じる私たちの内に住まわれる聖霊は、神様・イエス様に関する真理を私たちに深く悟らせてくださるでしょう(参考:ヨハネによる福音書15章26節;16章13-14節)。

結論

今日の聖書個所は、たとえ辛いことや悲しいこと、苦しいことがあったとしても、自分の感情を押し殺し、その中に何か良いことを探し出して、喜び、感謝するように勧めている訳ではありません。

悲しいことは悲しいこととして受け止め、悲しむ

ことが大事です(参考:ローマの信徒への手紙12章15節;比較:テサロニケの信徒への手紙4章13-18節)。

神様が私たちに望んでおられていることは、

事あるごとに神様に祈り、神様の願いや思いが何かを尋ね求めること

そして、

祈りの中で神様の御性質と御業を思い巡らすこと

です。そうするとき、

イエス様を信じる私たちの内に住まわれる聖霊の働きによって、私たちの心の内側から自然と主イエス様にある喜びと神様に対する感謝があふれ出てくる

ことでしょう。

自分の祈ったこと(願い事)がその通りに実現した時、神様の働き(導きや助け)を認めることは比較的簡単だと思います。

しかしながら、自分がずっと祈っていることが一向に実現しない時、神様の働きを認めるのは簡単なことではありません。

不安や恐れに苛まれ、神様に対して不平不満を口に出してしまうこともあるでしょう。

けれども、決して忘れないでください。

たとえ神様があなたの祈りに直ぐに答えてくださらないとしても、それは

神様があなたの祈りを聞いていないからではありません。

神様があなたを嫌いだからでもありません。

神様があなたを見捨てたからでもありません。

神様はあなたが祈る前からあなたの心の思いを全てご存知なお方です(参考:マタイによる福音書6章8節)。
神様は御自分の命に代えても惜しくないほどにあなたを愛しておられます。
神様はたとえどんなことがあったとしても、いつもあなたと共におられます。

それでもなお、あなたの願いが叶わないことがあります。

思う通りに物事が運ばないことがあります。

パウロでさえテサロニケの人々を再び訪れようと何度となく試みましたが、その願いは直ぐにはかないませんでした(テサロニケの信徒への手紙一2章17-18節)。

テサロニケの人々もパウロに早く戻ってきて欲しいと願っていたに違いありません。

しかし、神様は彼らのそのような願いや求め、祈りには答えられませんでした。

神様には彼らの思いや考えとは異なる別の御計画があった

からです。

私たちの置かれている状況は千差万別、具体的な神様の計画もそれぞれに異なります。

だからこそ、

事あるごとに神様に祈り、神様の願いや思いが何かを尋ね求めてみてください。
祈りの中で神様の御性質と御業を思い巡らしてみてください。

待降節を迎えた今の時期、特に

イエス様の誕生に表されている神様の愛と恵みを思い起こしてみてください。
天地万物の創造主である神様は、滅びゆこうとしている私たち人類を自らの命に代えて救い出すため、人の体を取って地上にお生まれになりました。

それは、私たちが神様に何か特別なことをしたからでも、神様の役に立つからでもありません。むしろ、私たちは

神様の言いつけを守り切ることができない弱い存在。
いつも神様の期待を裏切り、迷惑をかけてばかりの不完全な存在。

なのにもかかわらず、

神様は私たちのことを変わらずに愛し続けてくださっている

のです。

たとえ今、あなたがどんなに辛く、悲しく、苦しい状況にあったとしても、祈りの中で、決して変わることのない神様の愛と恵みを覚え、今も生きて働いておられる主の御業に期待し、いつも喜び、感謝することができますように。

参考文献および注釈

  • Beale, G. K. 1-2 Thessalonians. IVP New Testament Commentary. IVP Academic, 2010.
  • Green, Gene L. The Letters to the Thessalonians. Illustrated Edition. Pillar New Testament Commentary. Grand Rapids, Mich. : Leicester, England: Eerdmans, 2002.
  • Wanamaker, Charles A. Comentary on 1 & 2 Thessalonians. New International Greek Testament Commentary. Grand Rapids, Mich.: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 1990..
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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