礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。
- 日時:2021年7月11日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「栄光が神に」
- 聖書個所:ローマの信徒への手紙11章33-36節1
導入
新型コロナ関連の状況はなかなか良くなる気配を見せません。
そんな世の中の状況を見ていると
と思わずにはいられません。ですから、今回の聖書個所を通してもう一度、
という疑問に対して聖書がどう答えるのかについて考えていきたいと思います。
特に今日の聖書個所は、
であることを教えてくれます。
約束を果たす誠実な神
今回の聖書個所の内容を理解するため、まずはローマの信徒への手紙の9章から11章までの話の流れを振り返ります。
9-11章の大きなテーマ(目的)の一つは
ことを示すこと(ローマの信徒への手紙9章6節)、即ち、
であることを示すことです。
なぜ神様の誠実さを示す必要があったかというと、パウロが生きていた当時の社会では、神様がアブラハムと交わした約束(創世記12章3節; 22章18節)が無効になったのではないかと思える出来事が起きていたからです。それは、
という出来事です(ローマの信徒への手紙9章1-5節, 30-33節; 10章1-3節; 11章11節, 28-32節)。
そこでパウロはまず当時の人々の誤解を解こうとします。
とパウロは説明します(9章15-16節, 30-32節;比較:4章1-12節;ガラテヤの信徒への手紙3章15-29節)。
それからパウロは、当時のユダヤ人たちの多くがイエス様を信じない理由を説明します。
その理由は、
そして、
です(11章11-12節, 14節)。結局のところ神様は、
のです(11:32)。
キリスト教の歴史をみると確かに、恵みと憐れみによって、神様・イエス様を信じる信仰によって全ての人を救うという神様の言葉(約束)は神様の預言された通りに実現していっています。
人間的に考えると、神の民として選ばれたはずのイスラエル民族の多くが最高の祝福である救いを受け取っていないというのは確かに神様の言葉(約束)が無効になってしまったのではないかと疑いたくなるような状況です。
けれども、
のです。
栄光を受けるにふさわしい神
その事実を覚えたとき、恐らくパウロの口から自然とローマの信徒への手紙11章33節の言葉が溢れ出てきたのではないかと思います。ここでパウロは、
と言っています。
さらにパウロは、神様の知恵と知識は人間の理解や想像のおよぶところではないことを示すため、ローマの信徒への手紙11章34節でイザヤ書40:13を引用しています。
イザヤ書40章に記される預言の言葉は自分たちの国を失いバビロンに捕囚されたイスラエル民族に対して捕囚状態からの救いを約束する言葉です。
それはバビロンで捕囚状態にある人々にとっては「到底あり得ない」「無理」「不可能だ」と思えること。
ですが、確かにその預言の後、
誰にも神様のその思い・計画を知り得ることはできませんし、まして神様に助言やアドバイスをすることなどできるはずがありません。
また、神様が人間に「借り」をつくることはありません(ローマの信徒への手紙11章35節;比較:ヨブ記41章3節)。知恵や知識に関してはもちろんのこと、人間の救いに関しても同じです。
神様はもう既に私たちがどんなに頑張っても返しきれないほどのものを与えてくださっています(参考:マタイによる福音書18章21-35節)。あくまでも
です。
誰一人として、まず神様に与えて、その報いを受けることはできません。
実際、
です(ローマの信徒への手紙11章36節)。
全ての被造物は創造主である神様の恵みと憐れみによって、存在することを許されているとも言えるでしょう。
のです。万物は神様に対して「借り」はあったとしても「貸し」を作ることはできません。神様が万物に対して絶対的な主権をもつ理由がここにあります(比較:ローマの信徒への手紙9章19-21節)。
です。
結論
です。
時として、私たち人間はその約束の内容を誤解することがあるかもしれません。
いくら神様でも約束を実現するのは「到底あり得ない」「無理」「不可能だ」と思うような状況に直面することがあるかもしれません。
けれども、
です。しかも私たちは神様の基準からみて、神様の望むこと・喜ぶことを完全に成し遂げることができない不完全かつ不従順な存在です。
にもかかわらず
その愛と憐れみがはっきりと示されているのがイエス様の十字架と復活です。
人知を超えた知恵と知識をもち、全知全能にして絶対的な主権をもつ私たちの造り主が、不完全かつ不従順な私たちの存在そのものを何よりも愛おしく思っていてくださる。
そして、ただ思っていてくださっているだけでなく、
そんな神様の底知れぬ愛と憐れみを受け取った私たちにできることは、この
ことです(比較:コリントの信徒への手紙一10章31節)。
とはいえ、「神様の栄光を現わすように生きる」という表現は正直、少し分かりにくい表現だと思います。
聖書の中で「栄光」という言葉が出てくるとき、それは例えば「豪華さ、美しさ、荘厳さ、輝き」といったものと結びついています。
従って、神様の栄光を現わすように生きるというのは、
と言えるのではないかと思います。別の言い方をすれば、
とも言えるでしょう。
昨今の新型コロナの感染拡大を受け、私たちの生活は一変してしまいました。
これまで通用していたやり方を変えて、全く異なるやり方を模索せざるを得ない状況にあります。
これまでに蓄えた経験や知恵、知識といったものが通用しない「新常態(ニューノーマル)」が始まっています。
そのように自問自答している方がいらっしゃるかもしれません。でも、そんなときこそ、神様の絶対的な主権を思い起こしてください。
あなたがこれまでに経験してきたこと、今経験していること、そしてこれから経験しようとしていること、それら全てを用いて神様は御自分の計画を成し遂げておられます。
あなたの人生に無駄はありません。
無駄な人生もありません。役
に立たない人生、どうしようもない人生、生きていても仕方がない人生もありません。
です。
のです。
たとえ今の状況がどれほど困難であったとしても、
その愛を覚え、聖霊の助けによってイエス様のように神様と周りの人々を愛し続けるとき、
でしょう。そして
ことでしょう。
参考文献および注釈
- Moo, Douglas J. Romans. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: ZondervanPublishingHouse, 2000.
- ———. The Epistle to the Romans. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996.
- Schreiner, Thomas R. Romans. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2018.