「主の救い」:2022年6月26日(日)礼拝説教要旨


礼拝説教の要旨です(実際の音声はこちら)。

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導入

今日の聖書個所には、

モーセが杖をかざすと紅海が二つに割れ、イスラエル人たちがその乾いた地面を渡り切った後に再びモーセが杖をかざすと、紅海の水が元に戻りイスラエル人たちを追ってきていたエジプト人の軍隊が全滅してしまう

という場面が描かれています。

この場面はひょっとしたら、クリスチャンでない人も知っているかもしれない、旧約聖書の中で最も有名な場面と言えるのではないかと思います。

今日は、その神様による驚くべき救いの御業を通して、

神様とはどのようなお方か?

また、

なぜ神様は人を救うのか?

を一緒に考えたいと思います。

神による導き

今日の聖書個所に描かれる神様の驚くべき救いの御業は、バアル・ツェフォンという場所の手前の海辺でイスラエル民族が宿営しているときに起こりました。

そこで彼らは

エジプトの軍隊が彼らに迫ってきている

のを目撃します(出エジプト記14章10節)。

このときイスラエル人たちは不安と恐れに取りつかれてしまいます。

けれども、

神様にとっては全てが想定内の出来事

でした。というのも、

神様御自身がイスラエル人だけでなくエジプト人もバアル・ツェフォンの手前の海辺まで導かれた

と言えるからです(比較:出エジプト記14章1-4, 8節)。その目的は、14章4節にあるように、

神様がファラオとその全軍によって栄光を現わし、エジプト人たちが神様のことを知るようになるため

でした(比較:出エジプト記7章5節)。

神による救い

なお、神様がイスラエル人をエジプトでの奴隷状態から救い出されたのは、ただ御自分の栄光を現わし、エジプト人たちが神様のことを知るようになるためだけではありません。

神様がイスラエル民族を救われたのは、

神様が彼らの苦しみ叫ぶ声を聞かれたから

また

彼らの先祖アブラハムと交わした契約・約束を思い起こされたから

です(出エジプト記2章23-25節)。

神様はアブラハムに与えると約束したカナンの地にイスラエル民族を導き入れるため、彼らをエジプトから救い出された

のです。

神様というお方は人々の苦しみに耳を傾け、救いの御手を伸ばされる愛と恵みと憐れみに富んだお方、また約束事に忠実・誠実なお方

です。さらに

神様は御自分の救いの計画を必ず実現することのできる絶対的な主権をもったお方

でもあります。

その主権は、

神様が自然界のものを意のままに操れる

ことの中に見て取ることができます(出エジプト記14章19-20, 21-22, 24-25節)。また、神様の絶対的な主権は、

神様に従おうとする者だけでなく敵対する者までも用いて御自分の計画を実現する

ことにおいても認められます。

事実、少し前にみたように、神様は神様に従おうとするイスラエル人だけでなく神様に敵対していたエジプト人たちをも用いて、御自分のことを知らしめるための最高の舞台を整えました。

そして、エジプト人たちは文字通り、彼らの身をもって神様がどのようなお方かを体験した訳です(14章25, 27-28節)。

この

神様の驚くべき救いの御業は、エジプト人たちに神様のことを知らしめるだけでなく、イスラエル人たちにとっても神様に対する畏敬の念と信頼・信仰を引き起こす

のに十分なものでした(14章31節)。

結論

聖書の神様は愛と恵みと憐れみに富み、約束事を必ず果たす誠実なお方

です。

神様は重労働で嘆き苦しむイスラエル民族の叫びを聞き、モーセを通して彼らを救い出されました。

それは、神様の一方的な愛と恵みと憐れみによって、400年以上も前に彼らの先祖アブラハムと交わした約束を果たすためでした(参考:申命記7章7-8節)。

また、その

神様の救いの御業を通して表される絶対的な主権は、その御業を目撃した人々に神様に対する畏敬の念と信頼・信仰を抱かされるのに十分なもの

だと言えます(参考:出エジプト12章48節)。

このことから

神様は、実際に救いにあずかった人だけでなく、その救いの御業を目撃した人をも神様の下に導き入れようとしている

ことが分かります。別の言い方をすれば、

神様が人を救われるのは、その救いの御業を通して、より多くの人を救い(神様の下)に導こうとしているから

だと言えます。

その神様の救いの御業はイエス様の十字架と復活によって完全に表されました

イエス様が十字架で死んでくださったのは、私たちが神様の前に正しかったからではありません。

善い行いをたくさんしたからでもありません。

私たちがまだ罪人であったとき、つまりは、

私たちがまだ神様のことをよく分からず、神様を無視したり、神様に敵対したりしているとき、神様の望む生き方ができていない状態であるにもかからず、イエス様は私たちのために十字架で死んでくださった

のです。

なぜでしょうか?

それは、

神様がそれほどまでに私たちを愛しておられるから

です(参考:ローマの信徒への手紙5章7-8節)。

神様は私たちの才能や行いではなく、私たちの存在そのものを愛しておられる

のです。

イエス様が十字架で死んでよみがえられたのは、神様がアブラハムと交わした約束を実現するため

でもありました。その約束というのは

アブラハムの子孫を通してこの世の人々が祝福を受けるようになる

というものです(創世記22章18節)。

私たちの罪のために絶縁状態にあった神様との絆が回復し、神様の子とされる

神様に造られた私たち人間にとって、これに勝る祝福はありません。

この

最高の祝福が、アブラハムの子孫であるイエス様を通して、イエス様を救い主と信じる人たち全てに与えられる

のです(参考:ガラテヤの信徒への手紙3章6-14節)。

イエス様の十字架と復活という出来事には神様の絶対的な主権も表れています。

無から天地万物を創造され、自然界のモノを意のままに操ることができる神様は

その圧倒的な力を用いて、イエス様を死からよみがえらせました(比較:エフェソの信徒への手紙1章20-21節)。

また、

神様はイエス様を殺そうとする人たちの思惑(マタイによる福音書12章14節; 26章3-5節)さえも用いてイエス様を十字架に架け、御自分の救いの計画を実現されました(参考:使徒言行録2章36節; 5章30-31節)。
神様はこの世のあらゆるものを用いて御自分の計画を実現することのできる絶対的な主権者

だと言えます。

愛と恵みと憐れみに満ち、約束を必ず果たす誠実な神様は今現在も世の人々を救い続けておられます。

ただし、ここでいう「救い」というのは

イエス様を信じる信仰によって、私たちの罪が赦され、それまで絶縁状態にあった神様との絆が回復し、神様の子とされる

という意味の救いです。

それは必ずしも、この世における全ての悩み苦しみから救われる(解放される)ということを意味してはいません。

むしろ聖書は、

今のこの世においては悩み苦しみがあるけれど(ヨハネによる福音書16章33節;ペトロの手紙一4章12-19節)、来るべき新しい世においては悩みや苦しみはなく、死ぬことさえもない(ヨハネの黙示録21章1-4節)

と約束しています。

その来るべき新しい世が来るのは、

イエス様が再びこの世に来られるとき

です。残念ながら、

イエス様がいつこの世に来られるのかは誰にも分かりません(マタイによる福音書24章36-37節)。

しかし、

絶対的な主権をもった神様が約束されたことは必ず実現します。

そのときが来るまで私たちに望まれていることは、

イエス様がいつ帰ってきても良いように目を覚ましていること(マタイによる福音書24:45-51)
神様・イエス様があなたを愛してくださっているように、あなたの周りの人々を愛し続けること(エフェソの信徒への手紙5章1-2節)

です。

そのためにはまず

あなた自身が神様・イエス様の愛に満たされる

必要があります。

あなたが神様・イエス様に愛されているなと感じるときはどんなときでしょうか?

人それぞれに神様・イエス様の愛の感じ方は異なると思います。

それがどのようなものであれ、

あなた自身が神様・イエス様の愛を初めて感じた時のこと、一番よく感じるときのことを思い起こしてみてください。

そして、

神様・イエス様があなたを愛してくださっているように、周りの人を愛することができるよう、神様の霊である聖霊に助けを求めてみてください。

まだ神様・イエス様の愛を感じたことが無い方、神様・イエス様のことが良く分からないという方もいらっしゃるかもしれません。そういう方は、

神様が今、この場所にあなたを導き、この説教を聞く機会を与えられたという事実に思いを巡らせてみてください。

あなたが今、ここで、この語り掛けを聞いているのは決して偶然ではありません。

神様があなたを招かれたのです。

それは、神様が

あなたにご自分のことを知ってほしいと願っていらっしゃるから
あなたとの間で壊れてしまった絆を元に戻したいと願っていらっしゃるから

です。その絆を修復するため、

子なる神イエス様があなたの身代わりとして十字架にかかり、死んでよみがえられた

のです。

その事実を受け入れ、イエス様をあなたの救い主と信じ、神様の望まれる人生を歩もうとするかどうか

その決断はあなた自身の手に委ねられています。

参考文献および注釈

  • Alexander, T. Desmond. Exodus. Apollos Old Testament Commentary. London: IVP, 2017.
  • Enns, Peter. Exodus. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan Publishing House, 2000.
  • Stuart, Douglas K. Exodus. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2006.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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