礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。
- 日時:2022年9月25日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「主との関係を深めるとき」
- 聖書個所:出エジプト記20章8-11節1
導入
今日の説教は「安息日」についてです。
実は、この安息日に関する規定は他の十戒と比べると少し位置づけが異なります。
というのも、新約聖書において、安息日以外の十戒の内容は表現こそ違えどもクリスチャンたちが守り行うべきものとして登場してきますが、安息日については守る必要がないと解釈できる箇所が幾つか存在するからです(例:ローマの信徒への手紙14章5節;コロサイの信徒への手紙2章16–17節;ガラテヤの信徒への手紙4章10–11節)。
実際、私たちは今、安息日を覚えてはいません。2
では、今日の聖書個所は安息日を守っていない私たちにとって何の意味もないのかというとそういう訳ではありません。
今日は、
を一緒に考えたいと思います。
仕事をせずに神に献げる日
まず安息日の規定に関してもう一度確認しておきます。
出エジプト20:8-10によると、
ようにとあります。
「聖別する」というのは「神様のものとして取り分ける・献げる」という意味です。
従って、
ように求められていることになります。
具体的には、皆で集まって神様の御業を覚え、感謝の祈りを献げたり、賛美の歌を歌ったり、いけにえや供え物を献げたりすることが挙げられます(参考:レビ記23章3節;民数記28章9-10節;詩編92編;イザヤ書58章13-14節)。
神の再創造(救い)を覚える日
では、
その理由の一つは、
からです(出エジプト記20章11節)。
ここで注目すべきことは、
ということです。これは、
と考えることができます。
アダムとエバが神様に逆らって以来、天地万物は本来あるべき姿を失ってしまいました(創世記3章16-24節;ローマの信徒への手紙5章12節; 8章19-22節)です。
しかし神様は、その失われてしまった万物の本来あるべき姿を取り戻そう(再創造しよう)としていると聖書は語ります。
実際、神様はアブラハムおよびその子孫であるイスラエル民族を通して、またイエス様を信じる者たちを通して、その再創造(救い)の御業を実現しておられます。
その神様の再創造(救い)の御業が端的に表されているのがイスラエル民族の「出エジプト」の出来事です。
というのも、イスラエル民族がエジプトでの奴隷状態から救い出され、神様が先祖アブラハムに与えると約束した地カナンに導き入れられるというのは、イスラエル民族がその本来あるべき姿を取り戻すという出来事に他ならないからです。
このためモーセは申命記5章15節でイスラエル民族に対して、
と命じています。
神との関係を覚える日
もう一つ、神様がイスラエル民族に安息日を守るようにおっしゃったのは、
です。出エジプト31章13節には
とあります。
その「しるし」とは、神様が彼らを聖別する神であること、裏を返せば、彼らが神様によって聖別されたことのしるしです。
いうなれば、
であると言えます。
神様は神様とイスラエル民族との関係について、イスラエル民族が契約を守るならば、彼らは神様の宝、神様にとっての祭司の王国、聖なる国民となるとおっしゃいました(出エジプト記19章5-6節)。
ですので、
と言えます。
結論
イスラエル民族は週の七日目を神様のものとして他の日から取り分け、日常の仕事を休んで、その日を神様に献げるように求められました。
その理由の一つは、
でした。また、神様がイスラエル民族に安息日を守るようにおっしゃったのは、
でもありました。
特に
ために定められた訳です。では、
その理由の一つは、出エジプト記31章13節に記されている
からと言えます。
実際、安息日は旧い契約(旧約)に基づく神様とイスラエル民族との間の関係の「しるし」です。
と言えます(参考:ヘブライ人への手紙9章15節)。
しかしながら私たちは、神様が安息日を定めた理由・目的を知ることで、神様が今を生きる私たちに何を望んでおられるのかを知ることが出来ます。
安息日が定められたのは、日常の仕事から手を休め、その日を神様に献げるため、特に神様の再創造(救い)の御業を覚え、神様との関係を再確認するためでした。
また安息日はその当時の文化的背景あって非常に珍しい規定でした。
親だけでなく子供や奴隷、家畜や寄留の外国人も含め町全体が仕事を休んで、神様と時間を過ごす。そこには
こと、また
が表れています。
のです。
現代社会は非常に忙しい社会です。
けれども、たとえどれほど忙しいとしても私たちは恋人や親しい友人との時間はどうにか作ることができるのではないでしょうか。
反対に、忙しくなってくると真っ先に削られていくのが聖書を読む時間や祈る時間、礼拝に行く時間という人は少なくないのではないかと思います。
実は、私たちが神様との時間をなかなか作ることができないのは「忙しさ」そのものが原因ではなく、
にあるのではないかと思います。
恐らく、皆さんにはそれぞれに自分の命・人生を救ってくれた恩人、心のよりどころとしてなくてはならない友人、自分の生涯を賭してついていきたいと思えるような師匠・先生といった方々がいらっしゃると思います。
そんな皆さんの人生における大切な人たちをもはるかに凌ぐほどに重要な存在が聖書の神様です。
というのも、
だからです。
さらに、神様は
あなたを唯一無二の最高傑作として造ってくださったお方。
あなたの存在そのものを何物にも代えがたく高価で貴いと思ってくださるお方。
あなたが滅びゆくのを見過ごすことが出来ず、自らの独り子イエス様の命を懸けて救い出してくださったお方。
いついかなるときも、何があったとしてもあなたと共にいて、あなたのその苦しみ、悲しみ、痛みに寄り添ってくださるお方。
あなたが本来の自分らしさを存分に発揮できるように、あなたのうちに住む神の霊、聖霊を通してあなたを助け導いてくださるお方
です。そのお方が
と願っておられるのです。
と言われても、あまりピンと来ない、そこまで神様が重要な存在とは思えないという方は是非、
神様のことがより深く分かるように祈り求めてみてください。
神様に助けられた・救われたと思える体験があれば、そのことを思い返してみてください。
クリスチャンになる前と後で自分の中で明らかに変わった・変えられたところがないかを考えてみてください。
そして、
参考文献および注釈
- Alexander, T. Desmond. Exodus. Apollos Old Testament Commentary. London: IVP, 2017.
- Enns, Peter. Exodus. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan Publishing House, 2000.
- Stuart, Douglas K. Exodus. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2006.
- 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
- ただし、セブンスデー・アドベンチスト教会は今でも安息日を厳守しています。