「イエスとは誰か?」:2026年4月26日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です。

  • 日時:2026年4月26日(日)
  • 場所:さいたま国際キリスト教会
  • 説教タイトル・テーマ:「イエスとは誰か?」
  • 聖書個所:ルカによる福音書8章22-25節1
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導入

残念ながら、クリスチャンになってからも、クリスチャンになる前と同じく、苦しみや悲しみを経験します。

イエス様がいつも共にいて、私たちクリスチャンを守り導いてくださっているはずなのにもかかわらず

です。

今日の聖書個所に出て来る弟子たちも、イエス様を信じて、イエス様の行くところにどこへでもつき従っていました。

にもかかわらず、

彼らは命の危機に瀕するような状況に遭遇

しています。

けれども、

結果的に弟子たちはその危機的状況からイエス様によって救い出されました。

今日はまず、この聖書個所とそれに続く話を通して、

イエス様とはどういうお方なのか?

を再確認します。その上で、そんな

イエス様を信じ従うとはどういうことなのか?

について考えたいと思います。

人の肉体を取って来られた神

ルカによる福音書8章22節から8章の最後の56節に至るまでにはイエス様が行った奇跡が4つ記されています。

まず

一つ目は嵐を静める奇跡(22-25節)

二つ目は悪霊を追い出す奇跡(26-39節)

三つ目は長い間病に苦しんでいた女性を癒される奇跡(40-48節)

最後の四つ目は死んでしまった女の子を生き返らせる奇跡(49-56節)

です。

ルカによる福音書の作者ルカは、これら4つの奇跡を立て続けに記すことで、

イエス様が自然、悪霊、病、そして死にすら打ち勝つことのできる権威・力を持ったお方

であることを示そうとしています。

自然や悪霊、病、死全てに打ち勝つことのできるお方は天地万物の造り主なる神様以外にはあり得ません。

ですから、ここでルカは、

イエス様というお方は神様ご自身が人の肉体を取ってこの世に来られたお方

ということを示そうとしていると言えます。

神の平安のうちに眠るお方

ルカによる福音書8章22節には、イエス様が「湖の向こう岸へ渡ろう」とおっしゃったので、一行が船出したことが記されています。

ここの「湖」はガリラヤ湖のことです。

イエス様はこのガリラヤ湖の沿岸、特に西側の沿岸で宣教活動をされていました。

湖の西側には主にユダヤ人たちが暮らしていたからです。

対して、湖の東側には主に異邦人たちが暮らしていました

ですから、ルカによる福音書8章22節の「湖の向こう岸へ渡ろう」というのは、その時、イエス様たちがいたガリラヤ湖の西側から向こう側にある湖の東側の岸、即ち、

「異邦人たちの居住区へ行こう」

と言っていることになります(参考: ルカによる福音書8章26, 32節;レビ記11章6節)。

その当時、宗教的理由から、ユダヤ人たちはユダヤ人以外の民族(異邦人)との関わりを避けていました。

このため、イエス様が湖を渡って異邦人たちの住んでいるところに行こうと言ったとき、

弟子たちは非常な驚きと不安、そして恐れに駆られていた

ことと思います。そんな弟子たちを横目に、

イエス様は舟の上で眠ってしまわれます(ルカによる福音書8章23節)。

私たち人間は、これから何が起こるか分からない不安と恐れの只中にあるとき、なかなかぐっすりと眠ることができないものです。

そう考えると、このとき舟の中で眠っておられた

イエス様のうちには、不安や恐れではなく、神様の平安があった

であろうと推察できます(比較:詩編4編9節)。

人を悩みから解放するお方

さてここで、慣れない異邦人の地に行こうとしているために落ち着かない弟子たちの心を更に騒がせる出来事が起こります。

湖に吹き付ける突風によって、舟が水をかぶり、沈みそうになったのです(ルカによる福音書8章23-24節)。

弟子たちがイエス様に助けと求めると、イエス様は起き上がって、風と波とをお叱りになられました。

すると、風も波も静まり、凪になったと聖書は記します(24-25節)。

ここの「風と波とを叱る」というのは少し不思議な表現に思えるかもしれません。

ここで「叱る」と訳されているギリシャ語はルカによる福音書の他の個所では悪霊や熱を叱るというときに用いられています(ルカによる福音書4章35, 39節)。

詳細な説明は省きますが、結論から言うと、ルカによる福音書において

イエス様がお叱りになる対象は人間を悩み苦しめる力のあるモノ(悪霊や病や自然)

と言うことができます。

イエス様は人間を悩み苦しめるモノをお叱りになり、その悩みから人間を解放されるお方

です。

なお、聖書、特に旧約聖書において、

波や風を静める力のあるお方は造り主なる神様ただお一人

です(詩編104編3-4節; 135編7節; 107編23-30節)。従って、ここで聖書は

イエス様がただの人間ではなく、神様が人の肉体を取って来られたお方

であることを示そうとしていることが分かります。

しかしながら、この時の弟子たちには、そのことがまだ分かっていませんでした(ルカによる福音書8章25節)。

結論

今日の個所の始まりルカによる福音書8章22節から8章の最後8章56節までには

イエス様が行った4つの奇跡(嵐を静める奇跡、悪霊を追い出す奇跡、病を癒される奇跡、そして死人を生き返らせる奇跡)

が記されています。

これら4つの奇跡を通して、ルカによる福音書の作者ルカは、

イエス様が自然、悪霊、病、死に打ち勝つことのできる権威・力を持ったお方

であることを示そうとしています。別の言い方をすれば、

イエス様は、神様ご自身が人の肉体を取ってこの世に来られたお方

だということをルカが私たちに伝えようとしていると言えます。

また

イエス様は、どのような状況にあっても、眠ることができるお方、即ち、神様の平安のうちに安らぐことができるお方

でもあります。更に、自然、悪霊、病、そして死にさえも打ち勝つことのできる権威・力を持った

イエス様は、どんなものであれ、人間を悩み苦しめるものから解放してくださる救い主

です。

イエス様を信じ、イエス様につき従っていたとしても、残念ながら、人生の悩みや苦しみが無くなる訳ではありません。

今日の個所の弟子たちも、できるなら行きたくはなかったであろう異邦人の土地へ、イエス様を信じ従っていたからこそ、行くことになりました。

しかも、その途上では、命が危うくなるほどの危険にさらされました。

けれども、最終的にイエス様は弟子たちをその悩み苦しみから解放してくださいました。

皆さんの人生において、神様・イエス様の導き・御心に従っていると思いながらも、悩み苦しみに遭遇することがあるかもしれません。

そんなとき、

「ひょっとしたら、神様の導き・御心ではない選択をしてしまったのかもしれない」

と思うことがあるかもしれません。

もちろん、神様の御心・導きによって、様々な障害が取り除かれ、物事が思いのほかスムーズに進むこともあります。

反対に、神様の御心・導きによって、様々な妨害に遭遇し、物事が全く進まないこともあります。

大事なことは、物事がスムーズに進むかどうか、悩み苦しみに遭遇するかどうかではありません。

大事なことは、

その歩んでいる道に神様の平安があるかどうか

です。

将来のことが不安で不安で夜も眠れなかったり、ストレスで押しつぶされそうになったりするとき、今一度、

その悩みを祈りの中で神様にぶちまけてください(フィリピの信徒への手紙4章6-7節)。

また、悩みや苦しみの只中にあるとき、神様・イエス様の存在が感じられないことがあるかもしれません。

「神様は私がこれほど悩み苦しんでいるのに助けてくれないのか。私がどうなっても何とも思わないのか」

と思うことがあるかもしれません。

今日の個所の弟子たちも、突風によって舟が沈むかもしれない状況にあって傍らで眠っているイエス様を見て、

「イエス様は自分たちがこれほど悩み苦しんでいるのに助けてくれないのか。自分たちが死んでしまっても何とも思わないのか」

と思ったかもしれません。

けれども

イエス様は確かに、弟子たちが悩み苦しんでいるときにも彼らと共にいてくださっていました。

そして、

弟子たちがイエス様に助けを求めたとき、イエス様は彼らをその悩み苦しみから助け出してくださいました。
たとえどんなことがあったとしても、イエス様があなたを見捨てることはありません。
いついかなるときも、絶えずあなたの傍にいて、神様の方法とタイミングによって、あなたを救い出してくださいます。
神様にとって解決できない問題はありません。

人間にとって、どうすることもできない最低最悪の問題は死です。

けれども、この死に対してさえも、神様はイエス様の十字架と復活を通して救いの道を与えてくださいました。

この世で悩み苦しみに遭うことは避けられません。

しかし、

絶対的な勝利者なるイエス様がいつもあなたと共におられます。
いついかなるときも、何があったとしても、神様に信頼し、イエス様の十字架と復活を覚え、聖霊の助けにすがりつつ、歩み続けることができますように。

参考文献および注釈

  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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