これまで三回シリーズで「聖書の読み方(読む時の注意点)」について考えてきました。
しかしながら、そこで考えたことは以下のように聖書を読む時の「心構え」や「注意点」といえるものでした(「聖書に読み方はある?読む時の注意点は?③」の「まとめ」から抜粋)。
- 神からの語りかけと助けに期待する(祈る)
- 聖書に描かれる世界と現代の私たちの世界との間に存在する様々な(時間的、空間的、社会的、文化的、歴史的)隔たりを認識する(「分からなくて当たり前」くらいの気持ちで、分からないところ・分かりにくいところを飛ばしながら読み進める)
- 現代の私たちの「常識」「価値観」の枠組みで聖書を読もうとしない(現代の私たちの抱く疑問[特に科学的な疑問]全てに聖書が答えてくれるとは限らない)
- 可能な限り、当時の人々の状況・問題を想像しながら、文脈に沿って、聖書の作者がその当時読んで欲しいと思っていた読者に向けたメッセージ(の大枠)を読み取ろうとする
- 当時の人々の状況・問題と自分の現在の状況・問題が似ていると感じる箇所はじっくり重点的に読み進める
- 神やイエスが登場する箇所ではもちろん、神やイエスが出て来ない場面であっても、常に「神・イエスについて分かることは何か?」「神・イエスが望んでいることは何か?」ということを意識しながら読む
これはこれで大事なことだとは思うのです。が、やはりこれだけだと内容がちょっと大まか過ぎて、実際に聖書を読んでみたとしても「やっぱり良く分からないな…」となる方がほとんどではないかと思ってしまった訳です。
ということで、今回はもう少し実践的な「読み方・読む順番」について、
を考えつつ、私の個人的な意見を記そうと思います。
なお、前提として、これから紹介する聖書の「読み方・読む順番」は、
- まだ一度も聖書を読んだことがない方
- これまでに何度か読もうとは思ったけれども、その度に途中で挫折してしまった方
を対象としています(クリスチャンかクリスチャンでないかは問いません)。
聖書の最初から最後までを一度でも読んだことのある方は、是非とも、上記に紹介した6つの「心構え」「注意点」を気にかけながら、聖書を読み進めてみてください。
なお、内容が長くなってしまったので、前編と後編の二回に分けました。
後編の内容は下記の記事をご確認ください。
今回の記事(と後編)の内容をもとに実際に聖書を読んでみた後で「もっと詳しく聖書の中身を勉強してみたい」と思われる方は是非、下記の記事内の推薦図書もご覧ください。
前編となる今回の話の流れ(目次)は以下の通り。
目次
聖書が読みにくい理由
話の流れがつかみにくい文書の並び方
聖書が読みにくい理由は色々と考えられますが、恐らく、一番の理由は全体の話の流れがつかみにくいことが挙げられると思います。
その原因の一つには、聖書自体の分厚さ(日本語の聖書だと約2000ページ)が関係しています。が、それ以上に、収められている文書の順番がかなりの曲者だと思います。1
ここで、その順番が決められた歴史的経緯を説明することはしませんが、いずれにしても、聖書を一番最初から順番に読み進めようとする人にとって、全体像がつかみづらい順番になっているのは確かです。2
例えば、旧約聖書を開くと一番最初にあるのは「創世記」という書物。こちらには物語がたくさん収めれていて、天地創造に始まり、ノアの洪水やバベルの塔、アブラハムとその一族の話が記されています。
そして、その後に続くのは「出エジプト記」という書物。こちらはモーセという人物の話が中心です。なお、モーセはアブラハムの孫ヤコブとその一家がエジプトに移住してから400年ほど経った後に出て来る人物です。
この辺りまでは時間を追って順番に話が進んでいくので読みやすいと思います。が、問題となるのは、「出エジプト記」の中盤から出て来る「―しなければならない」「―してはならない」といった「律法」に関する記述。
この記述が結構長いんです。
もちろん、その合間に別の話が挿入されることがありますが、出エジプト記のほぼ半分は律法に関するものです。その間、もちろん、物語が先に進むことはありません。
まあ、それでも何とか出エジプト記までは読み終える人は多いと思います。が、ここで更に追い打ちをかける(?)のが次の「レビ記」という書物。
レビ記には宗教儀礼に関する決まりや掟が次から次へと記されています。これがまた長い。日本語の聖書(新改訳 2017)では67ページです。ちなみに、創世記は98ページ、出エジプト記は78ページ(そのうち約40ページが律法に関する部分)。
私もそうでしたが、初めて聖書を読もうとする人の大半は、このレビ記で挫折してしまうと思います。
ちなみに、レビ記の次に来る「民数記」という書物も最初の10章くらいは人口調査をしたり宗教儀礼に関する細則が与えられたりとして、物語としての話は先に進みません。
ですから、民数記の10章11節からようやく物語が前に進みだしたころには、大抵の人はそれまでの話をすっかり忘れてしまっているはず(!?)です。
新約聖書に関しては、旧約聖書とは別の理由で話の流れがつかみにくいと思います。
というのも、新約聖書の最初には4つの福音書(順番に「マタイの福音書」、「マルコの福音書」、「ルカの福音書」、「ヨハネの福音書」)が収められていますが、ヨハネの福音書を除いて、他の三つは非常に話の内容が似ているのです。
従って、マタイ、マルコ、ルカという順番で聖書を読み進めていくと、
という話が次から次へと出てきます。そのうちに、
と思ってしまう人も多いと思いますし、段々と話に飽きてきて読むのを途中で止めてしまう人も少なくないのではないでしょうか。
幸いにも(?)、4つ目のヨハネの福音書はそれまでの3つとはかなり話の内容も趣きも異なりますので、違った意味で味わい深いと思います。
4つの福音書の次に収られているのは「使徒の働き」という書物。こちらはその名前のごとくイエスの「使徒」の働きを描いた物語ですので、比較的読みやすいと思います。
恐らく、最初の3つの福音書を読破できた人は続くヨハネの福音書と使徒の働きは難なく読み終えると思います。
その次の「ローマ人への手紙」辺りから話が一気にややこしくなります。これは「手紙」と名が付いている通り、パウロという人物からローマに住んでいるクリスチャンに向けて書かれた手紙です。
従って、物語性は一切ありません。むしろ、
だと思います(クリスチャンが繰り返し読んでも理解するのは難しい内容です)。
このような「手紙」が一つだけなら良いのですが、そこから一番最後の「ヨハネの黙示録」に至るまでは全て「手紙」が収められています。ページ数にするならば194ページです。なお、4つの福音書と使徒の働きまでが296ページ、ヨハネの黙示録が29ページですので、新約聖書全体の40%近くが「手紙」ということになります。
しかも、手紙の順番は基本的に、同一作者で分量(ページ数)の多い順です。書かれた時代もバラバラですし、宛先も様々ですから、手紙同士のつながりはまずありません。
話の流れがない文書の存在
先に聖書の話の流れがつかみにくいことの原因として、文書の収められている順番を挙げました。
が、旧約聖書の「律法」および新約聖書の「手紙」の例でもみたように、そもそものところ、「話の流れ」と呼べるもの自体が存在していない文書が聖書の中には結構存在しています。
その代表的な例が「詩篇」と「箴言(しんげん)」。「詩篇」はその名の通り、たくさんの詩歌が収められている書物。「箴言」という言葉は耳慣れない言葉ですが、「格言」と同じ意味で、様々な「格言」が収められています。
従って、詩篇と箴言には物語がもつような「話の流れ」というものが存在しません。
旧約聖書にはこの他にも「預言書」と呼ばれる書物がたくさん収められています。預言書というのは、預言者と呼ばれる人たちが神から授かった(預かった)言葉が書き記された書物。
この預言書の特徴の一つは「いつどこで誰が何をしたか」という過去の出来事を記すものではなく、「これから~が起こるだろう」という未来の出来事を記した書物だということ。
ですから、預言書の中には、物語のような「話の流れ」というものがあるようでありません。
また、預言書の並び順も預言者が生存した年代順になっているとは限りません(年代順になっている箇所もあります)ので、預言書同士の話のつながりや話の流れというものをつかむこともなかなか難しいのが現状です。
「律法」、「手紙」、「詩篇」、「箴言」、「預言書」などなど、聖書の中には物語がもつような話の流れのない文書が数多く存在している。となると、
と思えてきます。
が、しかし、
聖書全体の話の流れをつかむことは非常に重要でもあるのです。
というのは、聖書の中に存在する統一的なテーマが「神が人を救う物語」だと言えるから。
つまり、
といえるのです。
なお、神が人を救う物語の大まかな流れは以下になります。3
- 神が人も含めた天地万物を造った。
- しかし、人が神に従わなかったため、様々な問題が発生した。
- その問題の根本解決(救い)として、神の子イエスが地上に来て十字架にかかり、死んで復活し、天に昇った。
- イエスが再びやって来て、全てを正しく裁き、新しい天地が創造され、神の計画が完全に果たされる。
ちなみに、先に紹介した「預言書」の内容は上記の大まかな流れの2.と3.の間に位置する内容です。つまり、「人が神に従わなかったために発生した様々な問題に対して、神が何をなさろうとしているか」ということを伝える内容となっています。
「手紙」の内容についても、その中心的なテーマ(行きつく所)はやはり3.もしくは4.だといえます。
読みにくい聖書の読み方・読む順番
物語から読む
さて、前節では聖書が読みにくい理由(の一つ)を考えました。今節では、そんな読みにくい聖書を読むためにはどうすればよいかを考えます。
前節で確認した聖書が読みにくい理由の一つは、聖書内の文書の並び方や内容によって、聖書全体の話の流れがつかみにくくなっているということでした。
それならば、いっそのこと、
というのが私の提案です。
(ここで、念のために繰り返しておきますが、この記事の内容および上記の提案はあくまでも聖書をまだ一度も読んだことない人、もしくは読もうとしたけど挫折してしまった人が対象です。聖書の中で読む必要がないところがあると言っている訳ではありません。)
以下、具体的にどの箇所をどの順番で読むかを説明します。
まず旧約聖書では、聖書全体の話の流れに直接関係するであろう物語が含まれている文書としては以下のものがあります(全体の話の流れに直接関係のない律法などが含まれている文書については、あくまで目安ですが、括弧内に読んだ方が良いと思われる部分を記しています)。
- 創世記
- 出エジプト記(1-20章)
- 民数記(10章から最後まで)
- 申命記(1-4章と31-34章)
- ヨシュア記(1-12章と22-24章)
- 士師(しし)記
- ルツ記
- サムエル記 第一
- サムエル記 第二
- 列王記 第一
- 列王記 第二
- 歴代誌 第一(10章から最後まで)、第二
- エズラ記
- ネヘミヤ記
新約聖書では以下のものが物語形式の文書となります。
- マタイの福音書
- マルコの福音書
- ルカの福音書
- ヨハネの福音書
- 使徒の働き
新約聖書の読む順番
まだ一度も聖書を読んだことのない方には、個人的にはイエスに関する話を読んで欲しいと思っていますので、まずは新約聖書から読むことを勧めたいと思います。
が、最初にあるマタイの福音書から順番に読み進めるのではなく、個人的には
をお勧めします。その理由は二つ。
一つ目は、4つの福音書の中でマルコの福音書が一番短いから。
二つ目は、学者の間では、マタイとルカの福音書はマルコを基にして書かれたとする説が有力だからです。4
つまり、
であろうと言えます。
マルコの福音書の次に読むのをお勧めするのは「ヨハネの福音書」です。
こちらは、マタイ、マルコ、ルカの福音書に比べて、全く内容が異なっています。ですから、イエスの生涯に関して、マルコの福音書とは違った切り口で学ぶことができると思います。
マルコとヨハネを読んだ後でお勧めしたいのは、「ルカの福音書」と「使徒の働き」です。
その理由は、ルカの福音書と使徒の働きは、作者が同じと考えられていて内容も連続しているからです。
言うなれば、「使徒の働き」は「ルカの福音書続編」とも呼べるものだったのですが、歴史的な経緯から使徒の働きはルカの福音書から切り離されて、ヨハネの福音書の後に置かれているのです。5
また、マルコとヨハネを読んだ後にルカの福音書を読むと、ルカの福音書がどれほどマルコに似ているか(ヨハネがどれほど異なっているか)が良く分かると思いますので、二重の楽しみ(?)があるのではないかと勝手に思っています。
さて、ここまでで新約聖書の中では以下のものを読んだことになります。
- マルコの福音書
- ヨハネの福音書
- ルカの福音書
- 使徒の働き
物語形式の文書は新約聖書では残すところ「マタイの福音書」のみとなります。が、ここまで読めば、イエスとその弟子たちに関する話の大筋は掴めたと思いますので、一旦、新約聖書の話は中断して、旧約聖書に移ることにします。
旧約聖書の読む順番
旧約聖書を読む順番としては、やはり最初の「創世記」から順を追っていくのが自然だと思います。ので、創世記から初めて順番に、物語になっていない箇所(出エジプト記の21章以降やレビ記全部)は飛ばしながら「ヨシュア記」まで読み進めてみましょう。
- 創世記
- 出エジプト記(1-20章)
- 民数記(10章から最後まで)
- 申命記(1-4章と31-34章)
- ヨシュア記(1-12章と22-24章)
上記の括弧内の箇所が主に物語形式のところとなっていますので、それ以外のところはひとまず飛ばしてもらって構わないと思います(括弧内の箇所でも物語に直接関係なさそうな部分はどんどん飛ばしてみてください)。
ヨシュア記の次は「士師(しし)記」と「ルツ記」が続きます。
士師記の辺りからたくさんの片仮名(人名や地名)が出てきますので、地理的・社会的・文化的・歴史的背景を知らないと読み進めるのが難しいと思います。
ですから、冒頭で紹介した聖書を読む時の「心構え」「注意点」にもあったように
ことが大事です。そして、まずは全体の話(神が人を救う物語)の流れをつかむことを意識しながら、どんどん読んでみてください。
ルツ記の後は「サムエル記 第一」と「サムエル記 第二」、そして「列王記 第一」と「列王記 第二」です。
「列王記 第二」が終わると次は「歴代誌 第一、第二」が控えていますが、こちらの内容はサムエル記および列王記と重複するところがありますので、一旦、飛ばします。
従って、「列王記 第二」の後は「エズラ記」、そして最後に「ネヘミヤ記」となります。
旧約聖書で、一番最初に読んでいってもらいたい箇所の目安と順番をまとめると以下になります。
- 創世記
- 出エジプト記(1-20章)
- 民数記(10章から最後まで)
- 申命記(1-4章と31-34章)
- ヨシュア記(1-12章と22-24章)
- 士師記
- ルツ記
- サムエル記 第一
- サムエル記 第二
- 列王記 第一
- 列王記 第二
- エズラ記
- ネヘミヤ記
上記の物語を読みながら、冒頭で紹介した聖書を読む時の「心構え」「注意点」の中でも次の二点に注意しながら読んでみてください。
- 可能な限り、当時の人々の状況・問題を想像しながら、文脈に沿って、聖書の作者がその当時読んで欲しいと思っていた読者に向けたメッセージ(の大枠)を読み取ろうとする
- 神が登場する箇所ではもちろん、神が出て来ない場面であっても、常に「神について分かることは何か?」「神が望んでいることは何か?」ということを意識しながら読む
これらを読み終える頃には、恐らく新約聖書の福音書の話はもう綺麗さっぱり忘れてしまっている(?)のではないかと思います。
ので、復習も兼ねて新訳聖書の「マタイの福音書」を読むことをお勧めします。1章に出て来る系図の人物名がずっと身近に感じられると思います。
参考まで、旧約聖書における話の流れ(イスラエル民族の歴史)と各文書に記された内容の大まかな関係は以下のようになります(年代については諸説がありますので一つの目安です)。6
時代(紀元前) | 主な登場人物 | 主な関連国・地域 | 聖書箇所 (物語形式) | 聖書個所 (預言書) |
---|---|---|---|---|
20~16世紀 【族長時代】 | アブラハム イサク ヤコブ ヨセフ | カナン カナン カナン エジプト | 創世記12~50章 | |
1300~1200 【出エジプトと カナン征服】 | モーセ ヨシュア | エジプト 荒野 カナン | 出エジプト記 民数記、申命記 ヨシュア記 | |
1200~1000 【士師の時代】 | 士師たち | カナン | 士師記、ルツ記 | |
1000~950 【統一王国時代】 | ダビデ ソロモン | ペリシテ | サムエル記~ 列王記第一10章 (歴代誌第一10章~ 歴代誌第二9章) | |
850~800 【分裂王国時代】 | エリヤ エリシャ | 列王記第一の後半~ 列王記第二の前半 | ||
700 【北イスラエル王国 滅亡期】 | イザヤ | アッシリア | 列王記第二19-20章 | イザヤ書、 ホセア書、 ヨエル書、 アモス書、 オバデヤ書、 ヨナ書、 ミカ書 |
600 【南ユダ王国 滅亡期】 | エレミヤ | バビロニア | 列王記第二の終盤 (歴代誌第二の終盤) | エレミヤ書、 哀歌、 エゼキエル書、 ナホム書、 ハバクク書、 ゼパニヤ書 |
400 【バビロン捕囚 からの帰還時代】 | エズラ ネヘミヤ エステル | ペルシア | エズラ記 ネヘミヤ記 エステル記 | ダニエル書、 ハガイ書、 ゼカリヤ書、 マラキ書 |
箴言で息抜きを
さて、前項では、まだ一度も聖書を読んだことが無い人、または何度か読もうとしたけど途中で挫折してしまった人に対して、
というかなり思い切った提案をしました。
が、それでもなお、聖書の話が膨大過ぎて(長過ぎて)、途中で段々と飽きてくる(私のように)活字が苦手な方が必ずいらっしゃると思います。
そのような方のためにある(本当は違います)と言いたくなってしまうのが、「知恵文学」というジャンルに分けられる文書たち。それらは通常、以下の三つ。7
・箴言(しんげん)
・ヨブ記
・伝道者の書(新共同訳の聖書では「コヘレトの言葉」)
以上の三つの文書は「詩篇」と同じく、聖書全体の話の流れとは直接関係のない内容となっています。
ちなみに、ここでいう
言葉です。8
ですから、「知恵(人生において神の望む選択・決断をする能力)」を養う助けとなる文書が「知恵文学」という訳です。
冒頭で紹介した聖書を読む時の「心構え」「注意点」の一つに
- 神・イエスが登場する箇所ではもちろん、神・イエスが出て来ない場面であっても、常に「神・イエスについて分かることは何か?」「神・イエスが望んでいることは何か?」ということを意識しながら読む
というものがありましたが、まさに「神・イエスについて分かることは何か?」「神・イエスが望んでいることは何か?」について教えてくれるのが知恵文学だとも言えます。
上記三つの知恵文学の中で「ヨブ記」と「伝道者の書」はかなり癖がある(どちらかというと内容が悲観的で、読んでいると気分が沈みがちになる)書物ですので、正直、初心者にはお勧めできません。が、「箴言」は比較的読みやすく、内容も理解しやすいと思います。
ですので、
のをおすすめします。
なお、箴言を読む時も前後の「文脈」が大事です。文脈を無視して、文章の一部分だけを取り出して拡大解釈を施すと作者が意図したメッセージを見失うことになりますので注意してください。9
まとめ
今回は聖書が読みにくい理由を考えつつ、実践的な聖書の「読み方・読む順番」を紹介しました。
対象としているのは、以下の二つのタイプの人です(クリスチャンかクリスチャンでないかは問いません)。
- まだ一度も聖書を読んだことがない人
- 読もうとは思ったけど途中で挫折してしまった方
今回確認した聖書が読みにくい理由の一つは、
ということ。
この問題を打開するために、私が個人的に提案したのは、
というもの。
具体的には、以下の順番で読むことをお勧めします(あくまでも上述した二つのタイプの人に対する読み方・読む順番の提案ですので、聖書の中で読む必要がないところがあると言っている訳ではありません)。
- 【新】マルコの福音書
- 【新】ヨハネの福音書
- 【新】ルカの福音書
- 【新】使徒の働き
- 【旧】創世記
- 【旧】出エジプト記(1-20章)
- 【旧】民数記(10章から最後まで)
- 【旧】申命記(1-4章と31-34章)
- 【旧】ヨシュア記(1-12章と23-24章)
- 【旧】士師記
- 【旧】ルツ記
- 【旧】サムエル記 第一
- 【旧】サムエル記 第二
- 【旧】列王記 第一
- 【旧】列王記 第二
- 【旧】エズラ記
- 【旧】ネヘミヤ記
- 【新】マタイの福音書
ここで【新】は「新約聖書」、【旧】は「旧約聖書」を意味します。
括弧書きがある書物については、括弧内の箇所だけを読んでみてください(括弧内の箇所が主に物語形式のところです。括弧内の箇所でも物語に直接関係なさそうな部分はどんどん飛ばしてみてください)。
なお、上記の文書を読む合間合間に、「息抜き」として旧約聖書の「箴言(しんげん)」を読むこともお勧めしました。
これらの文書を読みながら、以前のブログ記事「聖書に読み方はある?読む時の注意点は?③」で紹介した以下のことに注意して頂くと、より一層読みやすくなるのではないかと思ってます。
- 神からの語りかけと助けに期待する(祈る)
- 聖書に描かれる世界と現代の私たちの世界との間に存在する様々な(時間的、空間的、社会的、文化的、歴史的)隔たりを認識する(「分からなくて当たり前」くらいの気持ちで、分からないところ・分かりにくいところを飛ばしながら読み進める)
- 現代の私たちの「常識」「価値観」の枠組みで聖書を読もうとしない(現代の私たちの抱く疑問[特に科学的な疑問]全てに聖書が答えてくれるとは限らない)
- 可能な限り、当時の人々の状況・問題を想像しながら、文脈に沿って、聖書の作者がその当時読んで欲しいと思っていた読者に向けたメッセージ(の大枠)を読み取ろうとする
- 当時の人々の状況・問題と自分の現在の状況・問題が似ていると感じる箇所はじっくり重点的に読み進める
- 神やイエスが登場する箇所ではもちろん、神やイエスが出て来ない場面であっても、常に「神・イエスについて分かることは何か?」「神・イエスが望んでいることは何か?」ということを意識しながら読む
ちなみに、上記の文書を全て読めば、聖書全体における大きな話(神が人を救う物語)の流れの大筋は何となくつかめるはずです。
でも実は、聖書全体のページ数でいうとまだ半分くらいが手つかずの状態となっています。
については、「後編」として下記の記事で考えます。
参考文献および注釈
- Carson, D. A., and Douglas J. Moo. An Introduction to the New Testament. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2005.D. A. Carson and Douglas J. Moo, Zondervan; Second Edition (2005/9/1)
- Fee, Gordon D., and Douglas K. Stuart. How to Read the Bible Book by Book: A Guided Tour. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2002.Gordon D. Fee and Douglas Stuart, Zondervan (2014/6/24)
- ———. How to Read the Bible for All It’s Worth. Vol. 3d ed. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2003.Gordon D. Fee and Douglas Stuart, Zondervan; Fourth Edition (2014/6/24)
- Gamble, H. “CANONICAL FORMATION OF THE NEW TESTAMENT.” Edited by Craig A. Evans and Stanley E. Porter. Dictionary of New Testament Background. Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000.Craig Evans and Stanley E. Porter, Intervarsity Pr (2000/11/17)
- 大貫隆. 聖書の読み方. 東京: 岩波書店, 2010.
- 浅見定雄. 旧約聖書に強くなる本. 日本基督教団出版局, 1977.
- 越川弘英. 新約聖書の学び. 東京: キリスト新聞社, 2016.
- 聖書内の文書配列の不自然さからくる「聖書の読みづらさ」に関して、実例を挙げながら丁寧に説明しているものとして、例えば下記を参照。大貫隆, 『聖書の読み方』 (東京: 岩波書店, 2010年), 34–44頁.
- 聖書内の文書が現在の順序で収められるようになった歴史的経緯に興味のある方は、例えば下記を参照。ibid., 97–104.
- 詳細は下記を参照。Gordon D. Fee and Douglas K. Stuart, How to Read the Bible Book by Book: A Guided Tour (Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2002), 14–20.
- マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書がどのように成立したかについて、興味のある方は例えば下記を参照。越川弘英, 新約聖書の学び (東京: キリスト新聞社, 2016), 268–272; 更に詳細な議論は、例えば、下記を参照。D. A. Carson and Douglas J. Moo, An Introduction to the New Testament, 2nd edition. (Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2005), 85–104.
- 詳細は下記を参照。H. Gamble, “CANONICAL FORMATION OF THE NEW TESTAMENT,” ed. Craig A. Evans and Stanley E. Porter, Dictionary of New Testament Background (Leicester, England; Downers Grove, Ill: InterVarsity Pr, 2000), 188.
- 下記参考文献の表を基に手を加えています。浅見定雄, 『旧約聖書に強くなる本』 (日本基督教団出版局, 1977年), 61頁.
- Gordon D. Fee and Douglas K. Stuart, How to Read the Bible for All It’s Worth, vol. 3d ed. (Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2003), 233.
- Ibid.
- 「知恵文学」、特に「箴言」を読む時の注意点について、興味のある方は下記を参照。ibid., 3d ed.:233–249.