神が共におられた人々⑥:ヨシュア―神の愛と恵み―

今回、(旧約)聖書の中で「神が共におられた人々」の一人としてご紹介するのはヨシュアです。

ヨシュアは前回、下記の記事でご紹介したモーセの後継者としてイスラエル民族を「約束の地」へと導き入れた人物です。

神が共におられた人々⑤:モーセ―神の恵みと選び―
神様が人を選ぶ基準は才能や能力、知識や経験ではなく、選ばれるに値しない人(選ばれるに値しないと自覚している人)を恵みによって選ばれます。そして神様は、恵みによって選ばれた人といついかなるときも共におられ、その人を通して御自分の救いの御業を成し遂げるお方です。

このヨシュアによって、エジプトで長らく奴隷生活を送っていたイスラエル民族はようやく安住の地に住むことができるようになります。

この意味で、

ヨシュアはイスラエル民族に「奴隷からの救い(解放)」をもたらした

と言えます。

なお、この「ヨシュア」という名前には「主(しゅ)は救う」という意味があります。1

「主」というのは聖書の神のことです。このためヨシュアは、その名前の指し示す通り、イスラエル民族にとって「神様による(奴隷からの)救い」をもたらした人物と言えます。

ちなみに、このヨシュアという名前はヘブライ語の読み方で、ギリシャ語ではイェスース(Iēsous)となります。2

この「イェスース」が日本語では「イエス」と訳されますので、ヨシュアはキリスト教の創始者イエスと同じ名前の持ち主と言うことになります。3

それでは、イエス・キリストと同じ名前をもつヨシュアに神様が「私はあなたと共にいる」とおっしゃった次第はどのようなものだったのかを見ていきましょう。

今回の話の流れ(目次)は以下の通り。

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モーセに付き従うヨシュア


Moses and the Messengers from Canaan By Giovanni Lanfranco - http://www.getty.edu/art/gettyguide/artObjectDetails?artobj=553&handle=li, Public Domain, Link

ヨシュアが聖書に初めて登場するのは、イスラエル民族がモーセの下で他民族(アマレク人)と戦う時です(出エジプト記17章8-15節)。

このとき、イスラエル民族はモーセに連れられてエジプトから出てきたばかりでした。

やっとのことでエジプトから抜け出し、まだ右も左も分からずにいたイスラエル民族に対して、ある意味、不意打ちをしかけたアマレク人(参考:申命記25章17-19節)。そんな彼らをヨシュアはモーセの指揮のもとに打ち破ります。

その出来事から間もなくしてイスラエル民族は彼らをエジプトの奴隷状態から救い出した神様と契約を結びます(出エジプト記24章3-8節)。

その契約の内容とは、

イスラエル民族が神様に聞き従って、神様のことばと定めを守るならば、イスラエル民族は神様の民となる

というもの(参考:出エジプト記19章4-6節)。

契約を結んだ後、モーセは彼の「従者」ヨシュアだけを連れて「神の山」であるシナイ山に上ります(出エジプト記24章13節)。

そこで神様は40日間、モーセに語られたと聖書は記しています(出エジプト記24章15-18節)。

神様がモーセに語っておられた間、ヨシュアがどこにいたのかは定かではありません。が、恐らくヨシュアは山のふもとで、モーセが戻って来るのを待っていたと思われます(参考:出エジプト記32章15-17節)。

いずれにしても、

ヨシュアはモーセの従者として絶えずモーセに付き従い、モーセもまたヨシュアを非常に信頼していた

様子が見て取れます(参照:出エジプト記33章11節)。

そんなヨシュアのその後の運命を決定づけることになる一つの事件が起こります。

そのときイスラエル民族は、神様が与えてくれると約束してくださったカナンの地(現在のパレスチナ地方)を目指して移動していました。

その途上、神様はカナンへ偵察隊を送るようにモーセに指示したのです(民数記13章1-2節)。

そして、イスラエル民族を構成する12部族から代表者が一人ずつ選ばれました。その12人のうちの一人が他ならぬヨシュアでした(民数記13章8、16節)。

カナン地方の様子を探り終えて帰ってきた彼らは口々に

「あの土地は確かに住むのには素晴らしい場所だ。けれども、住んでいる人々は私たちよりもはるかに強いから攻め込むのはやめるべきだ。」

とモーセに進言します(民数記13章25-29節)。

それだけでなく彼らは、民衆にもカナンに関する悪い噂を広めたので、民衆はモーセに不平不満を言うようになってしまいます(民数記13章31節—14章4節)。

そんな混乱状態にあって立ち上がったのがヨシュア、そしてカレブという人物でした。

イスラエル民族全体がカナンの地に攻め込むのに反対しようとする中、

ヨシュアとカレブの二人だけはカナンの地に住む人々を恐れることなく、イスラエル民族と共にいてくださる神様に信頼してカナンに上っていくべきだ

と主張します(民数記14章6-9節)。

すると民衆はヨシュアとカレブを石で打ち殺そうとします。が、その時、神様(の栄光)が民衆に現れ、彼らに裁きを下しました。

その裁きとは、

神様を信頼しなかった民衆は、ヨシュアとカレブの二人を除いて皆、約束の地カナンに入ることなく荒れ野で40年間放浪の旅を続け、死に絶える

というもの(民数記14章26-35節)。つまり、

神様を信頼しなかった人々に代わって、彼らの子供たちがカナンの地で暮らすようになった

訳です。

こうして残された次の世代をカナンの地に導く役割を任されたのがヨシュアでした。

モーセの後を任されるヨシュア

Moses Blesses Joshua Before the High Priest By James Tissot - http://www.wcg.org/images/tissot/tisjoshu.jpg, Public Domain, Link

ヨシュアがモーセの後継者として任命されたのは、神様の裁きによってイスラエル民族が荒れ野で40年間さ迷った後のことでした。

このとき、120歳となっていたモーセもまた約束の地に足を踏み入れることなく死に絶えようとしていました(申命記31章2節)。

なお、ヨシュアがモーセの後継者となったとはいえ、厳密にはモーセの持っていた全権限が全てヨシュアに引き継がれた訳ではありませんでした

モーセはそれまで直接、神様から指示を仰ぎ、イスラエル民族を導いてきました。

しかしながら、

神様から指示を仰ぐ部分は祭司エルアザルへ、その指示に基づいてイスラエルの全部族を導く部分はヨシュアへと引き継いだ

のです(民数記27章18-23節;比較:申命記31章7-8節)。4

宗教・祭儀的な面と軍事・政治的な面の権限分割がなされた訳です。

モーセがヨシュアを後継者に指名した後で神様は直接、ヨシュアに命じられました。

強くあれ。雄々しくあれ。あなたはイスラエルの子らを、わたしが彼らに誓った地に導き入れるのだ。わたしがあなたとともにいる。【民数記31章23節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉372頁5

個人的には、

このときヨシュアは何歳だったのか?

が気になりますが、残念ながら、聖書は明確な答えを与えてくれません。

が、ヨシュアと一緒にカナンの地を偵察しに行ったカレブはその当時、40歳だったと記されています(ヨシュア記14章7節)。

このカレブとヨシュアが同年代と仮定するならば、40年間荒れ野でさまよった後にモーセの後継者となったヨシュアの年齢は80歳ぐらいとなります。

現代の私たちの感覚からするとかなりの高齢ですが、モーセは80歳でイスラエル民族をエジプトから導き出し(使徒の働き7章23、30節)、120歳で死にました(申命記34章7節)。

また、ヨシュア自身も110歳で亡くなっている(ヨシュア記24章29節)ことを考えると、私たちが考える80歳のイメージとはかなり異なりそうです。

いずれにしても、

ヨシュアはこのとき生まれて初めて、神様から直接、個人的な語り掛けを聞いた

事になります。

もちろんヨシュアは、それまでモーセの傍に付き従いながら何度となく、モーセと神様が語り合っている様子をうかがい知ることができたはずです(出エジプト記33章7-11節)。

しかし、それはあくまでも神様がモーセに語りかけていた訳で、ヨシュアに対する直接的な語り掛けではありません。

神様に限らずですが、

誰かのメッセージを間接的に聞くのと直接的に聞くのとでは受ける印象が全く異なります。

その場の雰囲気はもちろん、声の調子や大きさなどによって、同じセリフを聞いたとしても受ける印象は全く異なるものです。

ヨシュアにとっても、モーセの口を通して神様の声を間接的に聞くのと、モーセを介さずに直接神様の声を聞くのとでは全く別の次元の意味合いがあったに違いありません。

その神様のヨシュアに対する第一声は

強くあれ。雄々しくあれ。

でした。

Joshua Leading the Israelites Across the Jordan on 10th of Nisan By Unknown French Artist - Medieval Text, Public Domain, Link

聖書の中に登場する主人公として、ヨシュアは稀に見る「優等生」だと言えると思います。

これまで、このブログ記事の「主は共におられる」シリーズで紹介してきた人物たち(イシュマエル、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ)もそうですが、

聖書に記される登場人物はほぼ皆、(少なくとも人生のある時点において)どこかに欠点なり弱さと呼べるものをもっています。

イシュマエルは腹違いの弟イサクに悪さをしたために家から追い出されることになりました(創世記21:8-21)。3

イサクは自分の命欲しさに妻を自分の妹だと偽り、妻の身を危険にさらしました(創世記26:7)。3

ヤコブは父イサクを騙して、兄エサウが受けようとしていた祝福を奪い取りました(創世記27:1-29)。3

ヨセフは父ヤコブから溺愛されたのをいいことに他の兄弟たちの気持ちには無頓着でした。そんな彼の無神経・未成熟な態度が兄弟たちから更なる憎しみと妬みを買うことになります(創世記37:1-11)。3

ヨシュアの前任者となる偉大な指導者モーセもまた、(自分の弱さ・至らなさを理解していたため)自分に自信がもてず、何度となく神様から与えられた使命を断ろうとしました(出エジプト記3:1-4:17)。3

このような人たちに比べて、ヨシュアは特に目立った欠点や弱さというものがない(少なくとも聖書にははっきりと示されていない)ように思います。6

ヨシュアはモーセの信認を得てモーセの従者として仕えます。

モーセから任されたアマレク人との戦闘でも勝利を収めます。

また、部族を代表してカナンの地を偵察に行く12人のうちの一人にも選ばれるほどですので、部族からの信頼も厚かったことがうかがえます。

イスラエル民族全体がカナンの地の人々を恐れてカナンの地に上るのを反対した最中にあって、神様に対するヨシュアの信頼が揺らぐことはありませんでした。

そうして、モーセから後継者に指名されたとき、彼の同世代の人々はカレブを除いて皆、亡くなっていましたから、ヨシュアは恐らくイスラエル全部族の中で最年長だったと思われます。

このため、経験と知識・知恵においてヨシュアの右に出る者はまずいなかったと言えます(比較:申命記34章9節;民数記27章18節)。

総じて、

ヨシュアという人物は知識や知恵、経験はもちろん、神様に対する信仰も含めたあらゆる面において、自他共に認めるモーセの後継者となっていた

であろうことが推測されます。けれども、

そんなヨシュアもやはり人の子。

頭では「やっぱり自分しかいないよなぁ…」と分かっていたとしても、いざ本当に自分がモーセの後継者に任命されたときには恐れや不安に囚われてしまっていたと思われます。

そんなヨシュアの心を見透かしたように、神様はまず彼におっしゃいます。

強くあれ。雄々しくあれ。

その激励の言葉の後、神様はイスラエル民族をカナンの地に導き入れるようヨシュアに命じられました。

そして、その後の極めつけとして、

神である私があなたと共にいるから大丈夫だ

と言ってくださるのが聖書の神様なのです。

この神様の助けによって、ヨシュアは見事にカナンの地に攻め上り、そのほぼ全域を手中に収めることに成功します(参照:ヨシュア記全体)。

まとめ(ヨシュアと共におられた神)

今回「神が共におられた人々」の一人としてご紹介したのはヨシュア

彼はエジプトの地で奴隷状態にあったイスラエル民族を「神様との約束の地カナン(現在のパレスチナ地方)」に導き入れた人物でした。

彼はそれまでの聖書の登場人物に比べると取り立てて目立った欠点や弱さが見当たらない稀な人物と言えます。

恐らく誰もがイスラエルの偉大な指導者モーセの後継者として認める人物として、知識・知恵、経験、信仰といったあらゆる面で秀でていたのがヨシュアでした。

ヨシュアはある意味、特に目立った失敗をせず、順調に自分のキャリアを積み上げて次期社長の座を射止めた、たたき上げの会社員にたとえられるかもしれません。

それほど順調にキャリアを積み上げ、自他共に認める指導者的立場に就いたとしても、実際にその大任を任されたときには誰もがやはり恐れや不安を感じると思います。

神様に対する絶対的な信頼・信仰をもっていたヨシュアも例外ではありませんでした。

そんな彼の心の状態を誰よりもご存知なのが聖書の神様です。

そして神様は、恐れと不安の中にあったであろうヨシュアを「信仰が足らない!」と非難するどころか、そのとき彼が最も必要としていた言葉をかけられたのです。

強くあれ。雄々しくあれ。

それから、イスラエル民族を導く使命を与えた後に神様は

私はいつもあなたと共にいる

とヨシュアにおっしゃいました。

これまで、このブログ記事の「神が共におられた人々」シリーズでも見てきましたが、

神様が共におられた人々というのはまさに十人十色

です。

ヨシュアのようないわゆる「優等生」タイプもいれば、正統派から外れた「異端児」タイプのイシュマエルもいます。

神様を信頼しているのか、信頼していないのかどっちつかずの状態にあったイサクは「優柔不断」タイプ、

手段を選ばずに神様からの祝福を得ようとしたヤコブは「猪突猛進」タイプ、

ヨセフは自由奔放に我が道を行く「楽天家」タイプ、

モーセは人生の中で経験した挫折のために自信を喪失した「自虐」タイプと言えるかもしれません

もちろん、上記の「タイプ」はそれぞれの人物の性格・性質のごく一部分だけに焦点を当てたものですので、その人となりを完全に言い表している訳ではありません。

が、いずれにしても、

神様が共におられた人たちというのは千差万別の個性をもった人たち

であることが見て取れると思います。それは裏を返せば、

神様は選り好みすることなく全ての人を愛している

ことの表れです。しかも

神様は、人格的に素晴らしい人や優れた功績を挙げた人を優先的に愛するお方ではなく、欠点や弱さのある人も全て愛される恵みに満ちたお方

であることも分かります。

神様はこの世の全ての人をありのままで愛してくださっている

のです。そのはかり知れない愛と恵みを示すため、

天地万物の創造主である神様自らが被造物である人の姿をとって、キリスト・イエスとしてこの世に来られました。

そして、まだ神様のことを知らない人たち、神様を憎んでいる人たち、神様を愛し信頼している人たち、

全ての人たちの罪(神様の望んでいないことをすること)の罰をその身に背負って十字架刑という当時最も残酷で屈辱的な刑罰を受けられ、死んだ後によみがえられた

のです。3

そのイエス様を自らの罪の罰を代わりに受けてくださった救い主(メシア、キリスト)と信じ信頼して、神様の望む生き方をしようと決心する人は誰でも神様の民とされ、神様・イエス様がいつも共にいてくださる

と聖書は約束しています。

不安と恐れに満ちた現代社会にあって、イエス様を救い主だと信じ、神様の望む生き方をしようとする人たちに対して、神様はおっしゃっています。

強くあれ。雄々しくあれ。わたしがあなたとともにいる。

参考文献および注釈

  • Cole, Dennis R. Numbers: An Exegetical and Theological Exposition of Holy Scripture. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2000.
  • Hawk, L. D. “JOSHUA.” Edited by T. Desmond Alexander and David W. Baker. Dictionary of the Old Testament: Pentateuch. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003.
  • Lilley, J. P. U. “JOSHUA.” Edited by D. R. W. Wood, I. H. Marshall, A. R. Millard, and J. I. Packer. New Bible Dictionary. Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996.
  • Milgrom, Jacob. The JPS Torah Commentary: Numbers. First edition. The JPS Torah Commentary. Philadelphia, Penn.: The Jewish Publication Society, 2003.
  1. L. D. Hawk, “JOSHUA,” ed. T. Desmond Alexander and David W. Baker, Dictionary of the Old Testament: Pentateuch (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003), 478.
  2. J. P. U. Lilley, “JOSHUA,” ed. D. R. W. Wood et al., New Bible Dictionary (Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996), 612.
  3. イエスの生きた時代、「イエス」という名前はありふれた名前でした。
  4. 詳細な説明は、例えば、下記を参照。Dennis R. Cole, Numbers: An Exegetical and Theological Exposition of Holy Scripture, The New American Commentary (Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2000), 469.
  5. 特に記載のない限り、聖書の引用は「聖書 新改訳2017」によります。
  6. ヨシュアの欠点らしきものと考えられる聖書個所として、ヨシュアがモーセのために「妬み」を起こしたと記されているところがあります(民数記11章29節)。このヨシュアの「妬み」はモーセに対する忠誠心の高さがもたらしたもの(28節でヨシュアはモーセの権威を脅かす可能性のある状況を回避するようにモーセに進言している)と考えられます。詳細な説明は下記を参照。Jacob Milgrom, The JPS Torah Commentary: Numbers, First edition., The JPS Torah Commentary (Philadelphia, Penn.: The Jewish Publication Society, 2003), 90.
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