「全ての権力の上に立つ神」:2021年8月8日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。

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導入

現代の日本で生活するクリスチャンとして気になることの一つは、

大多数がクリスチャンではない日本の政治家たちが定める法律やルールに対して、クリスチャンとしてどこまで従うべきか?

だと思います。

ローマの信徒への手紙12章2節でパウロはローマのクリスチャンたちに対して、

この世に倣ってはならない

と勧めていました。この勧めだけを聞くと、当時のクリスチャンたちの中にはローマ帝国の定める法律やルールに従わなくてもよいと主張する者も出てきかねません。

恐らくは、そのような極論に走らないよう注意を促すという目的を兼ね、パウロは今日の個所で

クリスチャンたちとこの世の権力者との関係がどうあるべきか

を説明しています。今日は、

クリスチャンたちとこの世の権力者との関係がどうあるべきかを学ぶと同時に、神様がどのようなお方であるか

も併せて確認していきましょう。

全ての権力を立てる神

パウロはローマの信徒への手紙13章1節で、

全ての人は上に立つ権力に従う

ように勧めています。その理由は、パウロ曰く、全ての権力は神様によって立てられたものだから。

ここでパウロの語る「権力」というのは「政治的な」権力と言えます。というのも、後の6-7節でパウロは税金を納めるべきことを説いているからです。

この世の全ての政治的権力は神様から与えられているというパウロの主張を聞いて、皆さんは素直に納得できるでしょうか?

人格的に素晴らしく人民思いの指導者ならばまだしも、いわゆる「暴君」と呼ばれ、国民から搾取することだけを考えているような指導者を神様が立てたとは思いにくいのではないでしょうか。

けれども、

聖書の神様はこの世の全ての権力者の上に立つ絶対的な主権者

です。その意味で全ての権力者は皆、人格者であれ暴君であれ、神様がその人に権力・権威をお与えになっていると言えます(参考:ダニエル書4章14節[新改訳聖書は4章17節];イザヤ書40章23-24節; 45章1-8節)。

神様は政治的権力者たちを含むこの世の全てを統べ治める絶対的な主権者であって、この世にある全てのものを用いて、御自分の計画を成し遂げていくことができる全知全能なお方

です。

全ての権力の上に立つ神

ローマの信徒への手紙13章2節でパウロは世の中の政治的指導者に従うべき二つ目の理由を記しています。

私たちがこの世の政治的権力者に従うべき理由は第一に、

その政治的権力は神様によって与えられているから

でした(ローマの信徒への手紙13章1節)。そして第二に、

政治的権力者に逆らうのは神様に背くこととなり、結果として、神様もしくは神様が立てた指導者からの裁きを受けることになるから

とパウロは語ります(ローマの信徒への手紙13章2節;参考:ローマの信徒への手紙13章4節)。

この二つ目の理由(主張)に対しても、一つ目と同様、素直に納得できる人は少ないように思います。

実際問題、

聖書の中にも「時の権力者」の言いつけや命令に背いた人が出てきます。

例えば、バビロニア帝国に捕囚されたユダヤ人の中にシャドラク、メシャク、アベド・ネゴという三人がいました。

彼らはネブカドネツァル王が立てた金の像を拝むようにという命令に従いませんでした(ダニエル書3章1-12節)。

その結果、三人は熱い炉の中に投げ込まれましたが、

神様は奇跡的な方法で彼らを守り、彼らが火に焼かれることはありませんでした(ダニエル書3章13-27節)。

イエス様の弟子たちもまた、彼らにイエス様の名前によって伝道しないように命じたユダヤの宗教的・政治的指導者に聞き従いませんでした(使徒言行録4章19-20節)。

それでも彼らは裁きを受けるどころか、そのすぐ後で

聖霊に満たされ神様の言葉を堂々と語り出した

と記されています(4章31節)。

このように聖書全体を通して考えると、政治的権力者に従いなさいというパウロの勧めは無条件に守るべき勧めではないことが分かります。

確かに全ての権力者は、人格者であれ暴君であれ、神様によって立てられています。

でも、

その権力者が神様の御心に反することを命じるとき、私たちが従うべきは権力者ではなく神様

です。

神様は全ての権力者たちの上に立つ絶対的な主権をもったお方

だからです。

なお、上に立つ政治的権力者に無条件で従う必要はないということは、権力者の方にも神様が求める責務があることからも判断できます。

神様が政治的権力者に求める責務とは善を行った者を褒め、悪を行った者を罰することです(ローマの信徒への手紙13章3-4節)。

裏を返せば、

今日の個所のパウロの勧めは、善を行った者と悪を行った者に正しく報いるような政治的権力者を想定している

と言えなくもありません。

結論

神様の恵みと憐れみによって救われた私たちクリスチャンたちに対して、神様はこの世の政治的権力者に従う

ように求めておられます。

その理由は二つです。

一つ目の理由は、

この世の全ての政治的権力者は、人格者であれ暴君であれ、神様によって立てられているから。

二つ目の理由は、

神様が立てた政治的権力者に逆らうのは神様に背くこととなり、結果として、神様もしくは神様が立てた権力者からの裁きを受けることになるから

です。ただし、

神様は私たちに対して、この世の政治的権力者にどんなときも無条件に従うことを求めておられる訳ではありません。
その権力者が神様の御心に反することを命じるとき、私たちが従うべきは権力者ではなく神様

です。神様は全ての権力者たちの上に立つ絶対的な主権をもったお方だからです。

ここでカギとなるのは神様の御心が何かを知ること。つまりは、

権力者たちが定める数多くの法律やルールの中で、神様の御心に反するものがあるかどうかを見極める

ことが重要になってきます。

神様の御心を知るためにはローマの信徒への手紙12章2節にあるように、

心を新たにして自分自身を神様によって造り変えてもらう

必要があります。そうすることで、

神様にとって何が善いことか、何が喜ばしいことか、何が完全なことかを知ることができるようになる

と聖書は約束しています。

と言うのは簡単ですが、

実際に「神様の御心」を知ることは簡単ではない

と思います。対して、

自分のやりたくない・やりたいことを全て「神様の御心」と結びつけて自分の主張を正当化することは簡単にできてしまいます。

大切なのは

自分の思い・考えを神様の思い・考えに近づけることであって、自分の思い・考えを実現するために神様を利用することではありません。

聖書の一か所だけを取り出し、前後の文脈も考えずに拡大解釈を施すと「神様の御心」を誤解してしまうことになりかねません。

自分の思い・考えが聖書全体の教えに則しているかどうかを見極めることが大事です。そのためには、

自分の思い・考えが絶対に正しいと思うことなく、絶えず神様の前にへりくだり、聖霊の助けにすがる

必要があります。

最後に、神様はこの世の全ての権力者の上に立つ絶対的な主権者であることについて、もう少し考えてみます。

この世の全ての政治的権力者たちも含め

私たち人間は皆もれなく、神様の前には罪人

に過ぎません(ローマの信徒への手紙3章9, 21節)。

にもかかわらず、

神様はこの弱く不完全で不従順な人々を通して、御自分の救いの計画を着実に実現しておられます。

その最たる例がイエス様の十字架です。

イエス様が生きた時代のユダヤ教指導者たちは公私共に誰もが認める「神に仕える者」(ローマの信徒への手紙13章4, 6節)でした。

にもかかわらず、彼らは善を行った者と悪を行った者に正しく報いるどころか(比較:ローマの信徒への手紙13章3-4節)、神の独り子イエス様を無実の罪で十字架につけてしまいました。

しかし

神様は、時の権力者たちの赦し難い悪行を用いて、全ての人の罪を赦すための道を切り開いてくださった

のです。

いつの世も悪に満ちています。

特に今は新型コロナに関する暗いニュースばかりで、生きる意欲や希望さえも失いかけてしまっている人がいらっしゃるかもしれません。

でも、そんなときにこそ、

この世の絶対的な主権者である神様の存在をもう一度思い起こしてください。
絶対的な主権者である神様がいるなら、なぜこんなにひどいことばかり起こるのか?

と思いたくなるかもしれません。

残念ながら、

私たち人間にはその全ての理由を知り得ることはできません。

が、しかし、

今のこの世の中の状態は神様にとっても決して善い状態ではなく、喜ばしい状態でも、完全な状態でもありません。

今のこの世の中は神様の望んでいる状態とは程遠い状態にあります。

でも、だからこそ、

この世を本来あるべき状態に戻すべく、子なる神イエス様御自身がこの世に来られ、私たちの罪をその身に背負い、死んでよみがえられた

のです。そして、

イエス様が再びこの世に来られるとき、神様の目から見て極めて善く、かつ喜ばしく完全な世の中が実現する

と聖書は約束しています。そこは悲しみも嘆きも痛みもなく、死ぬことさえない新しい世の中です(参考:ヨハネの黙示録21:1-4)。

この新しい世を実現すべく、全知全能で絶対的な主権者である神様は日々、働いておられます。
来るべき新しい世の到来を待ち望みながら、今のこの世の中において、神様があなたに望まれていることが何かをいつも尋ね求めつつ、あなたの全てをもって日々、神様を礼拝することができますように。

参考文献および注釈

  • Moo, Douglas J. Romans. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: ZondervanPublishingHouse, 2000.
  • ———. The Epistle to the Romans. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996.
  • Schreiner, Thomas R. Romans. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2018.
  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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