礼拝説教の要旨です(実際の音声はこちら)。
- 日時:2022年5月29日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「神の導きへの信頼」
- 聖書個所:出エジプト記12章29-42節1
導入
でも、そんな世の中にあって確かなことが一つあります。
それは
ということです。
もちろん、そこには「信仰」が必要です。
それが神様・イエス様を信じ従う者、いわゆる「信仰者」の生き方だと言えます。
今日の聖書個所には
が幾つか示されています。今日は
を共に考えたいと思います。
導き出す神
今日の聖書個所の前半部分にはエジプトにもたらされた「10の災い」の最後、10個目の災いの様子が記されています。
このとき、エジプト全土の初子は人も家畜も皆、死んでしまい、悲痛な叫びがエジプト全土を覆います(出エジプト記12章29-30節;比較:出エジプト3章7, 9節)。
するとファラオはその夜のうちにモーセとアロンと呼び寄せます(出エジプト記12章31節)。
そして彼らの要求を全て受け入れイスラエル民族がエジプトから去ることを認めます(32節)。
エジプト人たちもまたイスラエルの神の力の前に恐れおののき、イスラエル民族を出来るだけ早くエジプトから去らせようとします(33-34節)。
ここまではそれほど疑問を持つことなく読み進めることができると思います。
しかし、その次の個所(35-36節)には少し不思議なことが記されています。
というのも、
というのです(比較:出エジプト記3章22節; 11章2節)。しかも、
とあります(比較:3章21節; 11章3節)。
この出来事によって、
ことができました。
を見て取れます。
神への信頼
ここで少し想像してみたいのは、
です。
彼らはそれまで約80年間、エジプトで強制労働を課されていました(参照:出エジプト記1章8-2章10節;使徒言行録7章17-36節)。
彼らは
のではないかと思います。そんな彼らにしてみれば、
ことだったと思います。
にもかかわらず、
訳です。
なぜでしょうか?
その理由は
ではないかと思います。
その気持ちの裏には
が隠されています。と同時に、
も表れています。そのような神様・イエス様に対する信頼・確信が聖書の語る「信仰」の一つの形だと言えます。
実際問題、イスラエル民族にしてみれば
と言えます。というのも、彼らはそのとき、430年もの長きにわたってエジプトに寄留していました(出エジプト記12章40-41節)。
それほど昔から先祖代々ずっと住んでいた土地からある日突然、見たことも、訪れたこともない異国の地へと旅立つことになる訳です。
「神様なら何とかしてくれるだろう」という信頼・確信が少しでも無ければ誰も旅立とうとはしなかったと思います。
培われる信頼
では、
それは恐らく、
だと思われます(比較:出エジプト記6章9節)。
彼らは自分たちを避けるようにエジプト全土を襲う10の災いを目撃しながら、自分たちの神様の圧倒的な力と絶対的な主権を肌身で感じたはずです(比較:10章1-2節)。
その過程で
と考えられます。
注目すべきは、
ということです。出エジプト記12章38節には「雑多な人々が多数」、イスラエル民族に加わったと記されています。
彼らはエジプトで神様の御業を目撃し、「この神様なら何とかしてくれるだろう」という信頼・確信をもって、イスラエル民族と共にエジプトを出たと思われます。
であることが示唆されています(比較:ヨハネによる福音書1章12-13節)。
結論
神様はエジプトの人々がイスラエル民族に好意をもつようにされ、嫌々ではなく進んで、イスラエルの人々に金銀の飾り物や衣服を与えるようにされました。
そのおかげでイスラエル民族はエジプトを出てからの旅路における生活資金を得ることができました。
このとき、イスラエル民族に求められたことは
ことでした。それは、
だと言えます。
この神様に対する信頼・確信、信仰というものは、人間関係における信頼と同じく、
また
でもあります。
神の民であるイスラエル民族は、神様がどういうお方かを身をもって体験することで、神様に対する信頼・確信、信仰を深めていきました。
にもかかわらず、彼らはエジプトを出てから直ぐ、神様のことを絶対的に信頼することができなくなり、不平不満を漏らし始めます(出エジプト記16章2-3節; 17章1-3節)。
その最終的な結末は、
というものでした(民数記14章)。
このことから、
であると分かります。
昨今は新型コロナウイルスの感染拡大やロシアによるウクライナ侵攻などの影響で多くの人々の命が失われています。
ある日突然、かけがえのないものを失ってしまい、言いようもない絶望感や虚無感で苦しむ人がたくさんいます。
といった疑問が次から次へと浮かんできます。
でも、そんなときこそ、
のです。その
まだ神様に出会ったことが無い方、神様の愛を感じたことが無い方は、ぜひ
神様は約束してくださっています。
あなたがたが私を呼び、来て私に祈るならば、私は聞く。私を捜し求めるならば見いだし、心を尽くして私を尋ね求めるならば、私は見いだされる【エレミヤ書29章12-14節】
出典:日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳-旧約聖書続編付き』(日本聖書協会、2018年)(旧)1215頁
参考文献および注釈
- Alexander, T. Desmond. Exodus. Apollos Old Testament Commentary. London: IVP, 2017.
- Enns, Peter. Exodus. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan Publishing House, 2000.
- Stuart, Douglas K. Exodus. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 2006.