「愛と憐れみと力に満ちた主権者なる主」:2025年8月31日(日)礼拝説教要旨

礼拝説教の要旨です。

  • 日時:2025年8月31日(日)
  • 場所:さいたま国際キリスト教会
  • 説教タイトル・テーマ:「愛と憐れみと力に満ちた主権者なる主」
  • 聖書個所:ルカによる福音書7章11-17節1
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導入

皆さんは

これまでの人生の中で生きる希望や生きがい、または生きる意味や目的を見失ってしまったという経験をしたことがあるでしょうか?

今日の聖書個所に出て来るやもめは、生きる希望、生きがい、意味、目的、その全てを失ってしまっていました。

しかし、

イエス様はそんな彼女を憐れみ、彼女に生きる希望と生きがい、意味、目的を与えてくださいました。

今日は、この聖書個所を通して、

神様・イエス様がどのようなお方であるのか?

を共に見ていきたいと思います。

「偶然」を通して働く神

今日の聖書個所の直前となるルカによる福音書7章1-10節には、

カファルナウムにおいて、百人隊長の死にかけていた僕の病をイエス様が言葉一つで癒された

という奇跡が記されています。

それから間もなく、イエス様は弟子たちや大勢の群衆と一緒にナインという町に行かれました(11節)。

イエス様の一行がなぜこのナインに立ち寄ったのか、そのはっきりとした理由は分かりません。

でもその町の門に近づいた、ちょうどそのとき、イエス様一行は葬式を執り行っている一群を目にします(12節)。

この一見すれば「偶然」とも言える出来事を通して神様・イエス様の御業が成されていく訳です。

神様は人の目から見れば「偶然」と思えるような出来事を通して働かれる主権者

だということが分かります。

憐れみに富む神

「やもめ(未亡人)」ですから、結婚はしていたけれども、そのときの

彼女には夫がいなかった

ことになります。また、

彼女には一人息子がいました。

夫がいなくなってから

家族の中心となって家計を支えていたのは、この一人息子であった

と思われます。ところが、この

頼れる一人息子が亡くなってしまった

訳です。これからどのようにして生活すべきか分からない状況にあって、彼女は

生きる希望や生きがい、意味・目的、その全てを失ってしまっていた

ことでしょう。そんな状況の彼女を見て

イエス様は彼女を憐れに思い、声をかけられました(ルカによる福音書7章13節)。

ここに

憐れみに富む神様・イエス様

の姿が描かれています。

死に打ち勝つ神

イエス様は一人息子の死を嘆き悲しむ母親に声をかけられた後、

近寄って死体の入っていた棺に触れられました(ルカによる福音書7章14節)。

その当時、人々は宗教的に汚れるのを避けるため、

死体に触れることや死体が触れたものに触れることを避けていました(参考:レビ記11章31-40節;民数記19章11-22節)。

ところが、ここで

イエス様は死体の入っていた棺に触れられました。

そうすることで、

身が汚れることになるにもかかわらず

です。

なぜイエス様は棺に触れたのでしょうか?

これは私の推測ですが、ここでイエス様は、

神様・イエス様の愛と憐れみの前には、この世の汚れは意味を成さない

ことを示されたかったのではないかと思います(比較:マタイによる福音書8章3節)。

別の言い方をすれば、

神様の愛と憐れみは世の汚れに打ち勝つ

ことを示そうとされたとも言えます。

実際、この後で

イエス様は言葉一つで死人を生き返らせました。
神様の愛と憐れみが死(汚れ)に打ち勝った

訳です。ここに

イエス様の十字架と復活による神様の救いの御業

を見て取ることができます。

父なる神様は聖なるお方、この世の汚れ(罪)とは対極にあるお方です。

けれども、その

聖なる神様が罪と汚れに満ちたこの世に人の姿を取って来られた

と聖書は語ります。

それは、

この世に住む人々を愛し憐れまれた

からです。そして、

イエス様の十字架と復活の御業を通して、私たちを罪と死の支配から解放してくださいました。
神様の愛と憐れみが罪と死に打ち勝った

訳です。

無条件に愛する神

最後に、今日の個所の出来事とその前のルカによる福音書7章1-10節の出来事を比べて、神様について分かることをもう一つ見ておきます。

まずルカによる福音書7章1-10節に出て来る百人隊長について、

イエス様は百人隊長の信仰に驚き、その信仰を褒めています(9節)。

言うなれば、

百人隊長の信仰のおかげで、死にかかっていた彼の僕は癒された

訳です。対して、今日の個所に出て来る

やもめの信仰については全く記されていません。

やもめがイエス様を信じていたかどうかではなく、

イエス様の一方的な愛と憐れみによって、彼女の死んだ一人息子が生き返らされた

訳です。また、百人隊長というのは当時の要職の一つです。このため、

百人隊長はある程度の富と名声を持っていた

と思われます(参考:5節)。そして彼は恐らく、

ユダヤ人ではなく異邦人

でした(参考:5, 6節)。対して、

やもめはユダヤ人でしたが、夫にも一人息子にも先立たれて、富と名声からは程遠い状況

にありました。

一方は

金持ちで社会的地位のある異邦人男性

もう片方は

貧しく社会的地位のないユダヤ人女性

という非常に対照的な二人です。しかし

イエス様は、そのどちらにも奇跡的な御業を示されました。

神様の愛の前にイエス様を信じているかどうか、また地位や財産、民族や性別も関係ありません。

神様は全ての人を無条件に愛し、憐れんでくださる

お方です。

結論

イエス様一行がナインの町を訪れたちょうどそのとき、一人息子を失ったばかりのやもめとイエス様が出会いました。

そしてイエス様はそのやもめを憐れみ、その死んだ一人息子を生き返らせました。

そこには、

私たち人間にとって「偶然」「たまたま」と思える出来事を通して働かれる神様、
憐れみに富む神様、
死にさえも打ち勝つ力をもった神様

の姿が描かれています。

また、今日の個所の出来事が起こる少し前にイエス様は百人隊長の死にかけていた僕も癒されました。

ユダヤ人のやもめと異邦人の百人隊長という非常に対照的な立場にある二人に対して、等しく奇跡的な御業を成された訳です。

このことから、

神様は全ての人を無条件に愛しておられる

お方だということが分かります。

この世は「偶然」や「たまたま」と思える出来事に満ちています。

しかし、

神様はこのような「偶然」「たまたま」と思える出来事を通して、その御業を成していくことができる主権者

です。

神様にとって「偶然」はありません。

あなたの日常生活で

「たまたま」起きた出来事、

「偶然」出会った人たち、

そのような

偶然の出会いや出来事もまた神様のご計画の一部

だと言えます。

これまでの人生を通して得た、多くの人たちとの出会いを思い起こしてみください。

その出会いがもたらした数多くの出来事を思い出してみてください。

神様はその全ての出来事を通して、その御業を成し遂げておられます。

もちろん、それらの出来事は決して、全て楽しいことばかりではないでしょう。

中には悲しい出来事や辛い出来事も含まれていると思います。

時には、生きる希望や生きがい、意味・目的といったものを見失いかけてしまうような出来事があるかもしれません。

でも、

たとえそのような辛く悲しい出来事に遭うことがあったとしても、それは

神様があなたを見捨てたからではありません。

神様はどんなことがあったとしても、

あなたが何をしてしまったとしても、

いつも変わらずに無条件で、あなたを愛してくださっています。
あなたの置かれている状況を誰よりも理解してくださっています。

そして、

愛と憐れみによって、神様のタイミングと方法によって、いつの日か必ずあなたをその状況から救い出してくださいます。

ただ、その

救いのタイミングはあなたの思い願っているタイミングとは異なる

かもしれません。ひょっとしたら、

この世で生きている間には、その救いは訪れない

かもしれません。しかし、

私たちの人生はこの世で死んで終わりではありません。
イエス様が再びこの世に来られるとき、新しい天と地がもたらされる

と聖書は語ります(ペトロの手紙二3章12-13節;ヨハネの黙示録21章1節)。

また、

イエス様が再びこの世に来られるとき、私たちはイエス様が復活されたときにもっていた朽ちることのない栄光の体をもってよみがえる

とも聖書は語ります(フィリピの信徒への手紙3章20-21節;コリントの信徒への手紙一15章51-55節)。

そして、その

朽ちることのない栄光の体をもった私たちは、新しい天と地で神様と永遠に過ごします。

そこには、

死もなく、悲しみも嘆きも痛みもありません(ヨハネの黙示録21章3-4節)。

今現在、非常に辛く悲しい出来事に苦しんでいる方がいらっしゃるかもしれません。

でも、たとえそのような辛く悲しい出来事にあったとしても、

イエス様は変わることなくいつもあなたと共にいてくださっています。
イエス様はあなたの気付かない所で、
あなたが「偶然」「たまたま」と思っているようなことを通して、
あなたを助け導いておられます。

それでも、状況がどんどん悪くなって、神様が本当にその状況から助け出してくれるのか、疑問に思いたくなることがあるかもしれません。

けれども、

神様はいつの日か必ず、神様のタイミングと神様の方法によって、あなたをその状況から救い出してくださいます。

その日は、最終的にはイエス様が再び来られるこの世の終わりの日かもしれません。

たとえそうだとしても、

必ずやもたらされるその終わりの日に希望を置いて、今のこの世を、愛と憐れみと力に満ちた主権者なる主と共に日々、歩み続けていくことができますように。

参考文献および注釈

  1. 特に記載がない限り、聖書の引用は日本聖書協会『聖書 聖書協会共同訳』による。
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