「主の救い」:2022年6月26日(日)礼拝説教要旨
あなたが今、ここで、この語り掛けを聞いているのは決して偶然ではありません。神様があなたを招かれたのです。今、ここで、イエス様をあなたの救い主と信じ、神様の望まれる人生を歩もうとするかどうか、その決断はあなた自身の手に委ねられています。
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あなたが今、ここで、この語り掛けを聞いているのは決して偶然ではありません。神様があなたを招かれたのです。今、ここで、イエス様をあなたの救い主と信じ、神様の望まれる人生を歩もうとするかどうか、その決断はあなた自身の手に委ねられています。
この世の中で「神様のもの」として生きようとするとき、私たちは様々な苦難・困難に直面します。けれども、あなたは独りではありません。たとえどれほどの苦難・困難に直面しようとも、あなたの傍にはいつも神の御子イエス様が寄り添ってくださっています。
神様・イエス様はあなたといつも共にいることができるようになるため、十字架で死んでよみがえってくださいました。その神様の愛に満たされるとき、どんな状況であっても「神様・イエス様が一緒なら何とかなるだろう・してくれるだろう」という神様に対する信頼・確信もまた与えられます。
神様は愛する独り子イエス様を「いけにえ」として、私たちの救いのために献げてくださいました。あなたの存在そのものが高価で尊く、いついつかなるときもあなたと共にいて、あなたと共に永遠に過ごしたいと思われたから、神様・イエス様は十字架で死んでよみがえられたのです。
私たちが神様のことを無視し、神様の望まないことをたくさんしてきたにもかかわらず、子なる神イエス様は御自分の命を賭して私たちを救い出してくださいました。ここに本当・本物の愛があります。私たちは神様の愛と恵みと憐れみによって区別され、罪(悪)がもたらす滅びから救われるのです。
遅すぎることはありません。神様は今もあなたが神様の元に戻ってくることを待っていらっしゃいます。「絶対に手放せない、手放したくない」とあなたが握りしめているものを神様に明け渡し、神様の手を取って歩み始めるとき、得も言われぬ神様の安らぎと平安があなたの心を満たすことでしょう。
神様はその力と主権、愛と憐れみにおいて他者を寄せ付けない圧倒的な存在です。その圧倒的存在の神様にどんな状況にあっても信仰をもってつき従おうとするとき、この世が決して与えることのできない喜びと平安、そして希望があなたの心を満たすことでしょう。
神様の成さることに間違いはありません。たとえ私たち人間が完璧に理解することができないとしても、そこには必ず神様の思い・考えがあります。神様はこの世の全てのものを用いて、神様の思い・考えを確実かつ着実に実現していかれます。その最もよい例がイエス様の十字架と復活です。
イエス様は辛い状況にあるあなたと共におられ、あなたに寄り添い、励まし、慰めてくださるお方です。神様の愛からは何もあなたを引き離すことはできません。神様はあなたをそのどん底の状態から救い上げ、あなたを用いて、この世を神様の愛と恵みで満たしたいと願っておられます。
クリスチャンとしての人生はイエス様を信じて終わりではなく、イエス様を信じてからが本番です。イエス様の十字架と復活によってもたらされた神様との本来あるべき関係の中で、神様に望まれる人生をイエス様と共に生きる。そのために必要な力と助けを、神の霊なる聖霊が与えてくれます。