「神の導きへの信頼」:2022年5月29日(日)礼拝説教要旨
神様・イエス様はあなたといつも共にいることができるようになるため、十字架で死んでよみがえってくださいました。その神様の愛に満たされるとき、どんな状況であっても「神様・イエス様が一緒なら何とかなるだろう・してくれるだろう」という神様に対する信頼・確信もまた与えられます。
物理好きの無神論者がキリスト教の牧師になって始めたブログ
神様・イエス様はあなたといつも共にいることができるようになるため、十字架で死んでよみがえってくださいました。その神様の愛に満たされるとき、どんな状況であっても「神様・イエス様が一緒なら何とかなるだろう・してくれるだろう」という神様に対する信頼・確信もまた与えられます。
神様は愛する独り子イエス様を「いけにえ」として、私たちの救いのために献げてくださいました。あなたの存在そのものが高価で尊く、いついつかなるときもあなたと共にいて、あなたと共に永遠に過ごしたいと思われたから、神様・イエス様は十字架で死んでよみがえられたのです。
私たち人間の目から見て、一向に前に進んでいない、神様が全く働いておられないと感じる状況にあったとしても、神様は私たちの知らないところで休むことなく働いておられます。イエス様はいつもあなたと共にいて、その苦しみと痛みの中を共に歩んでくださっています。
神様の御手が全く見えない・感じられないと思うことがあるならば、イエス様の十字架を見上げてください。そこに表されている神様の無条件の愛と絶対的な主権に思いを巡らせてみてください。どんな状況にあったとしても、三位一体の主に全幅の信頼を置いて歩み続けることができますように。
この新しい一年もまだまだ先が見通せず、不安と恐れの尽きない一年となりそうです。でも、たとえどんな状況になったとしても、私たち人間の思惑を超えたところで着実かつ確実に御自分の計画を実現しておられる神様に信頼して歩んでいきましょう。
この世においてイエス様が絶えず私たちと共にいてくださること。この世で経験する苦しみや悲しみ、痛みを補って余りある栄光に満ちた新しい世の中で神様と共に生きるようになること。これらは私たちの行いによってではなく、イエス様を信じる信仰によって与えられる「救い」、主の恵みです。
たとえ今現在、どんなに辛く悲惨な状況にあったとしても、イエス様はいつもあなたと共にいて、あなたを慰め、励まし、強めてくださっています。たとえどんな状況にあっても神様に信頼しつつ、イエス様と共に歩み続け、必ずや来る終わりの時を待ち望むことができますように。
この世においては苦しみや悲しみ、痛みから完全に逃れる術はありません。けれども、あなたは独りではありません。イエス様がいついかなるときもあなたと共におられ、あなたのその心の叫びを聞いていてくださっています。あなたの苦しみや悲しみ、痛みに寄り添っていてくださっています。
何かを持っているかどうか、何かをしたかどうかは関係ありません。神様はあなたのありのままを受け入れ、愛してくださるお方です。持っていないものではなく、もう既に与えられている神様の愛と恵みと憐れみに目を向けてください。あなたは神様が誇りに思う唯一無二の「神の作品」なのです。
怒りや妬みの感情が生まれた時はある意味、神様に近づくチャンスだと言えます。自分の思いや考えを神様の思いや考えに近づけてもらうように祈り求めてみてください。神様は変わらぬ愛をもって、あなたの思いや考えが神様の方を向くようにと絶えず手を差し伸べておられます。