「救いをもたらす神」:2021年10月3日(日)礼拝説教要旨
何かを持っているかどうか、何かをしたかどうかは関係ありません。神様はあなたのありのままを受け入れ、愛してくださるお方です。持っていないものではなく、もう既に与えられている神様の愛と恵みと憐れみに目を向けてください。あなたは神様が誇りに思う唯一無二の「神の作品」なのです。
物理好きの無神論者がキリスト教の牧師になって始めたブログ
何かを持っているかどうか、何かをしたかどうかは関係ありません。神様はあなたのありのままを受け入れ、愛してくださるお方です。持っていないものではなく、もう既に与えられている神様の愛と恵みと憐れみに目を向けてください。あなたは神様が誇りに思う唯一無二の「神の作品」なのです。
怒りや妬みの感情が生まれた時はある意味、神様に近づくチャンスだと言えます。自分の思いや考えを神様の思いや考えに近づけてもらうように祈り求めてみてください。神様は変わらぬ愛をもって、あなたの思いや考えが神様の方を向くようにと絶えず手を差し伸べておられます。
神様の願いはあなたに、その苦しみを通して、決して変わることのない神様の愛を確かめてもらうこと。その愛に触れられて、イエス様のように人々を愛することができるようになってもらうこと。そのために必要な心と行動の変化をもたらしてくださるのはあなたの内に住む聖霊です。
神様はあなたを必要としておられます。神様はあなたを通して、イエス様の与える平和を世に広げようとされておられます。あなたは独りではありません。イエス様があなたと共にいて、あなたを守り導いてくださっています。イエス様はおっしゃっています。「あなたがたに平和があるように」と。
あなたの信仰がどれほど揺れ動いたとしても、神様は決してあなたを見捨てません。どんなことがあったとしても、神様は変わることなくあなたを愛し続けてくださっています。あなたの信仰が完璧・完全だから救われるのではありません。あくまでも神様の恵みによって救われるのです。
たとえ不完全で揺らぎっぱなしの信仰であったとしても、神様は恵みによって、私たちを義と認め、私たちの罪をとがめないとおっしゃってくださいます。たとえ神様の望む生き方ができていないとしても、神様にその罪をとがめられない人、それが聖書の教える「幸いな人」です。
神様の怒りがもたらす滅びからあなたを救い出すため、イエス様はあなたの代わに十字架に架かり、あなたが受けるべきはずの全ての苦しみ、悲しみ、痛みを受けてくださいました。それは、あなたのことを愛しておられるから、あなたの存在そのものがこの上なく高価で尊いものだからです。
あなたの経験している苦しみや悲しみ、痛みは永遠に続くものではありません。いつの日か神様ご自身があなたの目から涙をことごとく拭い去ってくださる日がきます。その日は全てのモノが本来あるべき姿へと回復される日、完全なる救いがもたらされる日です。
弱く不完全な私たちが神様の望むことを最優先して神様の御心に従順・忠実に歩むためには、他のクリスチャンたちとの交わりが欠かせません。繰り返し福音を聞く・学ぶことも欠かせません。交わりと福音を通して、最も大切なイエス様との関係がより一層深められていきますように。
この世は悲しみや嘆きや痛みに満ちています。しかし、聖書の神様はこの辛く悲しく厳しい世の中であなたが生き続けるのに必要な力と勇気を与えてくださるお方です。そして、イエス様が再びこの世に来られ、全てを正しく裁かれる世の終わりのとき、神様は全ての悲しみ、嘆き、痛みを取り除いてくださいます。