礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。
- 日時:2021年11月14日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「それでも、私は」
- 聖書個所:ハバクク書3章16-19節1
導入
Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)でのハバクク書からの説教は、今日が最終回です。
今日の聖書個所は特に
を教えてくれる個所です(比較:ハバクク書2章4節)。今日は
また
を共に考えていきます。
神との対話
ハバククの生きた時代、世の中には暴虐が満ち、不法があふれ、正しい裁きがなされなくなっていました(ハバクク書1章2-4節)。
そのような世の中に正しい裁きがなされ、神様に忠実な人々が救い出されるようにとハバククは神様に祈り求めていました。
長い間、祈り続けたハバククがようやく得た答えは、神様が悪名高いカルデア人(新バビロニア王国)を用いて、イスラエル人(南ユダ王国)を滅ぼすというものでした(1章5-11節)。
戸惑うハバククは神様からの更なる答えを待ちます(1章12節—2章1節)。
すると神様はカルデア人(正しくない人)に対する終わり(裁き)の時は必ず訪れること、また、正しい人はその信仰によって生きることを告げられます(2章2-20節)。
この神様からの語り掛けに対して、ハバククは祈りのかたちの賛美を神様に献げます(ハバクク書3章)。
その祈り・賛美の中で特に3-15節には、御自分の民(信仰によって生きる正しい人)を救うために国々(正しくない人々)を裁かんとする威厳に満ちた神様の姿が描かれています(3章1-15節)。
この威厳に満ちた神様の姿に対してハバククは身も心も震えます(3章16節;比較:ヨブ記40章3-5節; 42章1-6節;イザヤ書6章1-5節;ダニエル書7章28節; 8章27節; 10章7-9節)。
それからハバククは
と宣言します(ハバクク書3章16節;比較:ハバクク書2章3節)。
が表れています。
神への信頼
しかし、カルデア人に対する終わりの時が来る前にやってくるのは、イスラエル民族に対する裁きです。
残忍で残虐なカルデア人によって南ユダ王国の領土は荒らされ、略奪され、破壊されることになります(参考:ハバクク書1章6節; 2章8, 17節)。
まともな食料は全て無くなり、羊や牛といった財産も全て失ってしまいます(ハバクク3書17節)。
ある意味、
ことになります(比較:申命記28章1-6節;ヨエル書1章6-20節)。
とハバククは宣言します(ハバクク3章18-19節)。ここに「信仰によって生きる正しい人」の生き方、また聖書の語る「信仰」が示されています。
信頼の祈り
それにしても、
ハバククがどんな状況にあっても神様に対する信頼・信仰を失わなかった理由の一つとして、彼が神様に祈り続けたことがあると思います。
確かなことは分かりませんが、恐らくハバククはかなり長い間、神様に祈り続けていたと思われます(参考:ハバクク書1章2節)。このとき重要なのが
ことだと思います(参照:ハバクク書2章1, 3節; 3章16節)。私たちもまたハバククと同じく
必要があります。とはいえ、
です。どんな状況にあっても神様に信頼し、その語り掛けに耳を澄ませながら祈り続けるべきだと頭では分かっていても、なかなか実行するのは難しいものです。
が必要です (参考:使徒言行録1章14; 2章46-47節;ヤコブの手紙5章16節)。ハバククのように
ことが大事だと思います(参照:ハバクク書3章1, 19節;比較:ローマの信徒への手紙12章9-13節)。
さらに、
ことも重要です(参照:ハバクク1書12-13節; 3章2節)。私たちもまたハバククのように
必要があります。
必要があります。
私たちがどんな状況にあっても神様に絶対的な信頼を置くのは「ただ言われたから」という受け身的かつ盲目的な信仰によるものではありません。
のです。
結論
それが「信仰によって生きる正しい人」の生き方、神様・イエス様を信じる者に求められている生き方です。
それが聖書の語る「信仰」だと言えます。
そのような神様に対する信頼・信仰を保ち続けるためには
ことが非常に大事です。特に
ただし、一方的に祈るのではなく、
そのように意図的に神様からの語り掛けに耳を傾けることで、神様に関する「気づき」が増えてくるはずです。
それによって、神様の働きを感じやすくなり、神様に対する理解が深まり、神様への信頼・信仰も増してきます。
また、
ことも重要です。さらに、
ことも大事です。
人生において耐え難い苦しみや悲しみ、痛みを経験し、
生きる希望や意味を失いそうになるとき、
神様の存在そのものや神様の愛に疑問を感じてしまうとき、
と同時に、
イエス様の十字架と復活に表されている神様の愛と恵みと憐れみ、正しさと偉大さ、絶対的な主権と全知全能性を思い起こしてください。
神様の存在を初めて感じたときのこと
神様の愛に初めて触れたときのこと
神様の恵み、憐れみに初めて気づいたときのこと
を思い出してください。
まだ神様のことが良く分からない方は、
神様のことを知ろうと思ったきっかけ
神様のことに興味をもつようになったきっかけ
礼拝に出て説教を聞くことになったきっかけ
がどのようなものであったかを思い出してください。それがどのようなものであれ、
です。
残念ながら、
神様が直ぐに答えてくださるときもあれば、なかなか答えてくださらないかもしれません。
祈り・願い通りのことが起きることもあれば、全く反対の結果となるかもしれません。
ハバククのように直接的な神様の声を聞くことは稀だと思いますが、神様は聖書や人、日常の出来事(状況)などを用いて語りかけてくださいます。そんな
また、
あなたの最大の理解者であるイエス様がいつもあなたと共にいて、あなたを励まし、力づけてくださっているからです(マタイによる福音書28章18-20節)。
神様の愛からあなたを引き離すものは何もないからです(ローマの信徒への手紙8章35-39節)。
神様の目にあなたは高価で尊く、何物にも代えられない存在だからです(イザヤ書43章4節)。
のです。その
そして、
参考文献および注釈
- Barker, Kenneth L. Micah, Nahum, Habakkuh, Zephaniah: An Exegetical and Theological Exposition of Holy Scripture. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Holman Reference, 1998.
- Bruckner, James. Jonah, Nahum, Habakkuk, Zephaniah. Fifth Impression edition. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2004.
- Robertson, O. Palmer. The Books of Nahum, Habakkuk, and Zephaniah. 2nd edition. The New International Commentary on the Old Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1990.