礼拝説教の要旨です(実際の音声はこちらこちら)。
- 日時:2023年12月24日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「愛のメッセージ」
- 聖書個所:ヨハネによる福音書1章1-18節1
導入
今日は12月24日、クリスマスイブで、明日12月25日はクリスマスです。
クリスマスというのはイエス様の誕生をお祝いする日です。
実は、イエス様の誕生日がいつなのかは、諸説ありますが、正確なところは誰にも分かっていません。
ただ、歴史的な経緯により、キリスト教界では12月25日をイエス様の誕生日としてお祝いするようになっています。
でも、
今日は、
また
について、改めて考えたいと思います。
世を創造したイエス
なぜイエス様がこの世にお生まれになったのかについて考えるためには、そもそものところ、
を知る必要があります。
ヨハネによる福音書1章1-2節によると、
とあります(参考:ヨハネによる福音書1章14, 17節)。
また3節には
ことが記されています。
天地万物がイエス様によって造られたのであれば、
はずです。このため、ヨハネによる福音書1章1-3節から、
だということが分かります。
世を救うイエス
ヨハネによる福音書1章4節には、
とあります。ここの
を指しています(参考:ヨハネによる福音書3章15-16, 36節; 4章14節; 5章24-29; 6章27, 35-40, 47-51節; 10章27-28節; 11章25-26節; 14章6節; 17章2-3節; 20章31節)。
また
と言えます(参考:ヨハネによる福音書1章4, 9, 18節; 3章19-21節; 8章12節; 9章4-5節; 11章9-10節; 12章35-36, 44-50節)。
一言で言うならば、
だと言えます。
世に拒絶されるイエス
続くヨハネによる福音書1章10-11節には
とあります。
自らが造り出した人間に認められず、受け入れられず、挙句の果てには十字架につけられて殺されてしまうイエス様の気持ちはどのようなものだったのか、想像に耐えません。
しかも、イエス様は神様その人ですから、何が起こるかを予め全て知っておられました。
事実、イエス様は弟子たちに対して、ご自分が十字架に架けられ、死んでよみがえることを何度となく預言されていました。
訳です。でも
世を愛するイエス
聖書は、
と語ります(参照:ヨハネによる福音書3章16節)。別の言い方をすれば、
ということです。
訳です。
結論
です。また
しかし、
それどころか、
でも、それは
に過ぎませんでした。
子なる神イエス様は、ご自分の造り出した人々が自分を認めず、受け入れず、十字架に架けることも全てご承知の上で、この世に来られました。
それは、
からです。
私たちがイエス様の誕生をお祝いするのは、
だと言えます。
子なる神イエス様がこの世にお生まれになったのはこの世を愛しておられたから、この世に生きる私たちを滅びから救い出すためでした。
しかも、その
ただそれだけです。
沢山教会に来たか
沢山献金を捧げたか
沢山祈ったか
沢山聖書を読んだか
沢山奉仕をしたか
といったことは救いには一切関係ありません。
です。
神様でしょうか
周りの人でしょうか
それとも自分自身でしょうか
生活の全てのことにおいて、神様の思い・考えを第一にしようとしているでしょうか。
神様のため、神様が第一と言いながら、心の奥底では結局のところ、自分が得することを願ってはいないでしょうか。
たとえ表面的に信心深い行いをしていたとしても、その心の内に自分を他人に良く見せたいといった思いはないでしょうか。
周りの人がやっているから何となく・仕方なくといった思いはないでしょうか。
もちろん、
時には神様ではなく自分や他の人・モノを優先してしまうことがあります。
心や態度、行いが神様から離れてしまうことがあります。
でも、そんなとき、
たとえあなたがどれほど取り返しのつかないことをしてしまったと思うことがあったとしても、
ルカによる福音書15章の「放蕩息子」のたとえのように、
神様はその無条件の愛を示すため、この世に生まれ、十字架にかかり、死んでよみがえってくださいました。
今一度、
そして、
皆さんの中にはまだキリスト教の神様のことが良く分からないとおっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。
また、神様・イエス様のことを聞いたことはあるけれども、自分の救い主とはどうしても思えない・信じられないという方がいらっしゃるかもしれません。
あなたが今、神様・イエス様に対してどのように思っているとしても、
そのことを神様・イエス様はこれまでに色々な形であなたに示してこられたはずです。
それはあなたのご友人を通してかもしれません。
SNSやインターネットなどのメディアを通してかもしれません。
聖書の言葉を通してかもしれません。
いずれにしても、
神様はあなたのことを命に代えても惜しくないほどに愛しておられることを伝えるため、今日、この場所にあなたを呼んでくださったのです。
です。クリスマスを明日に迎えようとする今日この日、この神様からの愛のメッセージがあなたの心に届きますように。
参考文献および注釈
- Burge, Gary M. John. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: Zondervan, 2000.
- Carson, D. A. The Gospel according to John. Reprint edition. The Pillar New Testament Commentary. Leicester, England; Grand Rapids, Mich.: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 1990.
- Michaels, J Ramsey. The Gospel of John. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 2010..