前回は下記の記事で「聖書は考古学と矛盾しているか?」と題して、旧約聖書の天地創造から青銅器時代まで(紀元前1200年以前)の非常に大まかな流れとその歴史的・考古学的背景をみました。
今回はその続きで鉄器時代(紀元前1200年以降)の旧約聖書の話に焦点を当てます。
今回も前回と同様、旧約聖書の中から有名(重要)と思われるところを抜粋しながら、できる範囲で「聖書が描く世界」と考古学的発見を比べるつもりです。そのことを通して、聖書の作者の強調点(関心事)は何か、伝えたいメッセージは何かを知るヒントが得られればと思っています。
新約聖書(イエスの生きた時代)と考古学の話に興味のある方は、下記の記事をご覧ください。
今回の話の流れ(目次)は以下の通り。
鉄器時代(紀元前1200年以降)
ヨシュアそして士師たちの時代
聖書によると、モーセの跡を継いだヨシュアは現在のパレスチナ地方である「カナン」の土地全域を征服することに成功します(参照:ヨシュア記1-12章)。そして、その土地をイスラエルの部族ごとに分割します(参照:ヨシュア記13-24章)。
ただし、このときはまだイスラエルの「王国」というものは存在せず、イスラエル全域を治める「王」もいませんでした。代わりに、その時々に応じて「士師」と呼ばれる指導者が登場し、その指導力を(主に局所的に)発揮していただけでした(参照:士師記)。
考古学的には、残念ながら今のところ、ヨシュアや士師たちなど特定の人物に関する裏付けは取れていません。
考古学的に分かっていることは、紀元前1200年頃からエジプトとヒッタイトがその支配力を弱め、レバント地方(現在のシリア・レバノン・イスラエルの地域)において小国(例えばフェニキア、ペリシテ、イスラエル、エドム、モアブ、アンモンなど)が小競り合いを始め出したということです。1
さらに、紀元前1200年頃からはカナンの地では新しい文化の広がりが見受けられるようになります。例えば、高地の遺跡からは豚の骨が見つからなくなりますし(聖書は豚を食べるのを禁じていることと関連している!?)、カナン南部およびヨルダン川以東の丘陵地域において非常に特徴的な造りの家の跡が見つかるようになります(この特徴的な家の造りは紀元前12世紀から紀元前6世紀の間でしか見られない)。2
紀元前12世紀頃から見られるようになったこのような文化的変化は、
と考えると納得ができます。
従って、ヨシュアや士師たちが活躍した当時の時代背景は、考古学が教える紀元前12世紀頃の状況と合っているということができます。
イラエル(統一)王国初期
士師たちの時代がしばらく続いた後、イスラエル全域を治める王が誕生しイスラエル王国が建国されたと聖書は語ります(参照:サムエル記第一10章)。初代の王の名前はサウル。その次がミケランジェロの彫刻でも有名なダビデ(参照:サムエル記第二5:1-5)、そしてダビデの子ソロモンと続きます(参照:列王記第一1:28-40)。
David by Michelangelo, Florence, Galleria dell'Accademia, 1501-1504. By Jörg Bittner Unna - Own work, CC BY 3.0, Link
イスラエル王朝の初期に登場するサウル、ダビデ、ソロモンの中で、聖書以外の考古学的文献で名前が確認されているのはダビデだけです。とはいっても、ダビデ自身の詳細についてではなく、「ダビデ家(the house of David)」もしくは「ダビデの絶頂期(the heights of David)」という表現で、ダビデより(数百年)後の時代にイスラエル王朝を振り返る形で記録されたものとなっています。3
なお、パレスチナ地方の紀元前10世紀頃の地層から発掘された陶磁器や建物の構造から判断して、そこには当時、中央集権的社会(国家)が存在していたことは間違いないようです。現在の考古学的問題は、国家が存在したかではなく、どのような性質の国家がどのようにして形成されたかにあるようです。4
従って、
ちなみに、紀元前10世紀ごろ(実際には紀元前1200-900年頃の間)、パレスチナ地方から見て西の大国エジプトと東の大国アッシリアは共に力が衰えていました。その両者の力が弱まっていたが故に、イスラエル王国はパレスチナ地方一帯を統一することができたとも考えられます。
と同時に、それが故に、エジプトとイスラエルおよびアッシリアとイスラエルとの間における(政治的・軍事的な)やり取りは限られていたであろうと推測できます。そのため、紀元前10世紀頃のエジプトやアッシリアの記録にイスラエル王国の初期(特にサウル、ダビデ、ソロモン)のことが記されていないとしても不思議ではありません。5
これは裏を返せば、
と言うことができます。
分裂王国時代
イスラエル王国はダビデ、そしてその子ソロモンの時代に絶頂期を迎えます。が、ソロモンの次の代になって南北二つの国に分裂します。一つは北イスラエル王国、もう一つは南ユダ王国です(参照:列王記第一12章)。
この時代において、聖書以外の考古学的資料として重要なものはアッシリア、バビロニア、エジプトのものが挙げられます。
が、それらの資料の歴史的信憑性には聖書同様、注意が必要です。それぞれの立場や視点の違いによって、出来事を記述するときの強調点(脚色の仕方)が異なるからです。6
例えば、アッシリアの文献には北イスラエル王国の王の名前は出てきても、(北イスラエル王国が滅びるまで)南ユダ王国の王の名前は、ただ一人の例外(アハズ王)を除いて、全く出てきません。このことは、アッシリアが南ユダを政治的に北イスラエルに従う属国のように見ていたことを示唆します。7
対して、聖書は北イスラエルの王と南ユダの王を絶えず区別して記述していて、どちらか一方が他方の属国のように描くことは一切ありません(参照:列王記第一14章から列王記第二25章)。
では、
もしくは、
という問いには簡単に答えは出せません。
に過ぎないからです。
それぞれの立場や視点の違いに応じて出来事の強調点(脚色の仕方)が異なることについて、もう一つ良い例があります。それは北イスラエルの王オムリとアハブの治世に関する描写の違いです。
聖書以外(アッシリア、バビロニア、エジプトなど)の文献において、北イスラエルまたは南ユダと関連しているものは主に政治的・軍事的な事柄ですから、政治的・軍事的な側面が強調されるのは当然のこと。
ですから、聖書以外の文献を通して、このオムリとアハブの時代に北イスラエル王国は対外的に大きな影響力をもち、地政学的に重要な役割を果たしたことが分かっています。
事実、オムリとアハブの名声は地域一帯に広がっていて、その知名度はイスラエルの歴史上初めて(聖書を除く)古代の近東地方の文献に個人名が登場するほど。8
Amri(Omri) was king of Israel and father of Ahab. Published by Guillaume Rouille(1518?-1589) - "Promptuarii Iconum Insigniorum ", Public Domain, Link
しかし、聖書に描かれるオムリとアハブの姿からは、そのような北イスラエル王国の政治的隆盛は微塵もくみ取れません。というのはもちろん、聖書に歴史的信憑性がないからではなく、聖書における強調点はあくまでも宗教的な側面だからです。
実際、オムリとアハブの政治的手腕を記す代わりに聖書は、彼らがイスラエルの神ではなく他の神々に仕えた様子を描き、どちらも「彼以前のだれよりも(神の目に)悪いことをした」(列王記第一16:25, 30)と記しています。9
また、オムリとアハブの時代の北イスラエル王国は、軍事、経済、芸術面においても非常に発展していたことが分かっています。10
が、そのようなことに関して、聖書はほとんど関心がありません。あくまでも一番の関心事は神様、そして神様と人との関係です。
さて、このように強調点(関心事)の違いから記述内容の性質が異なる聖書と聖書以外の文献ですが、ある出来事についてはどちらにもしっかりと記されています。その「ある出来事」とは、
このサマリア陥落の理由について、聖書は歴史的・地政学的な説明は一切与えず、「イスラエルの人々が自分たちの神に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、偶像に仕えたから」という宗教的観点からの理由のみを記しています(参照:列王記第一17:7-23)。
ここに、聖書の作者が伝えたいことが過去の出来事の歴史的・地政学的な説明ではないことがはっきりと表れていると思います。
なお、サマリア陥落にあわせて、北イスラエルの人々はアッシリアに連れて行かれたと聖書には記されています(列王記第二17:6)。
が、そのことは聖書以外の文献に明記されてはいないようです。ただし、紀元前720年以降のアッシリアの文献には時折、イスラエル人特有の名前が現れることから、イスラエル人がパレスチナ地方からアッシリアに連れてこられたであろうことは確認できます。12
ちなみに、少し話は反れますが、アッシリアはサマリアを奪還した後、多くの外国人をサマリア地方に移住させています(参照:列王記第二17:24)。13
そのため、その地域のイスラエル人は異国の宗教の影響を受け、外国人との間に子孫を残します。彼らは後に「サマリア人」と呼ばれるようになりますが、このような歴史的経緯からサマリア人たちは民族的にも宗教的にもイスラエル人の独自性・純粋性を失ってしまいます。それ故にイエスの時代のイスラエル人たちはサマリア人を「汚れたもの」とみなしていました。
さて、アッシリアによって北イスラエル王国は滅ぼされてしまいますが、南ユダ王国はそれからもしばらく存続します。14 が、
聖書以外の文献では、「ラキシュ文書(Lachish Letters)」と呼ばれる陶片に書かれた手紙の中に、バビロニアによって南ユダの首都エルサレムが攻め落とされようとしているときの様子が記されています。15
Front side of a replica of Lachish Letter III. By NenyaAleks - Own work, Public Domain, Link
ちなみに、世界史の教科書にも出て来る「バビロン捕囚」というヤツは、バビロニアが南ユダを滅ぼした時にイスラエル人を自国に連行した出来事を指しています。このバビロン捕囚は聖書によると三回にわたって行われています。
第一回目は紀元前597年(列王記第二24:12-16;エレミヤ書52:28)、第二回目は紀元前586年(列王記第二25:6-21;歴代誌第二36:17-20;エレミヤ書52:29)、第三回目は紀元前581年(エレミヤ書52:30)。
特に第一回目の捕囚で連れて行かれた南ユダの王エホヤキンについては、その名前が「ユダの王」という肩書と共にバビロンの北殿(the North Palace)の食糧配給表の中に記されているのが見つかっています。これは、エホヤキンが捕囚後も比較的好待遇を受けていたとする聖書の記述と合致しています(比較:列王記第二25:27-30)。16
また、紀元前6世紀から5世紀に楔形文字で記された文献の中にイスラエル起源と思われる固有名詞や名前が見つかっており、イスラエル人が捕囚されたとする考古学的証拠とみることができます。17
さらに、捕囚にあわせて南ユダの主要都市が破壊されたことが考古学的にも確かめられています。ただし、それらの町々は完全に破壊し尽くされた訳ではなく、その後も町に居住し続けた人々が少なからずいたようです。18
この南ユダの滅亡およびバビロン捕囚が起こった根本原因について、聖書は再び「神の目に悪を行ったために、神の怒りを引き起こしたから」(参照:列王記第二23:26-27; 24:18-20)といった宗教的説明しか与えていません。
ペルシア時代
イスラエル民族のバビロン捕囚は、バビロニアがペルシアに滅ぼされると共に終焉を告げます。ペルシアの王キュロスが紀元前539年に、イスラエル人がエルサレムに帰り破壊されていた神殿を再建することを許したからです(参照:歴代誌第二36:22-23;エズラ記1:1-4)。
ちなみに、キュロスがバビロン捕囚されていた民族をそれぞれの国に返したことは「キュロス円筒碑文(the Cyrus Cylinder)」の中にも記されています。19
Rear view of a barrel-shaped clay cylinder resting on a stand. The cylinder is covered with lines of cuneiform text. By Prioryman - Own work, CC BY-SA 3.0, Link
この出来事は聖書の作者にとって、神様がキュロスを用いた結果です(イザヤ書44:28; 45:1-7)。対して、キュロス自身(ペルシア)にとっては、支配民族を自分たちに都合よく動かす(友好的な関係を築き協力を得やすくする)ための政策の一つだったようです。20
ことが分かります。
そして、このような立場の違いは主に歴史や文化などの違いから生じますので、
だということにも気付かされます。
さて、キュロスの許可を得て多くのイスラエル人がエルサレムに戻りましたが、決して全ての人々が帰った訳ではありませんでした。自らの意思で捕囚された地に残った者や別の地に旅立った者も相当数いたようです。彼らは「離散したユダヤ人(the Diaspora)」と呼ばれています。21
そんな離散したユダヤ人について、多くのことは分かっていませんが、エジプトのナイル川に浮かぶ島(エレファンティン島、the island of Elephantine)にペルシア時代の共同体があったことが確かめられています。22
なお、エルサレムに戻ったイスラエル人について、聖書は彼らの生活様式や政治経済状況などを網羅的に語ることはしません。聖書の関心事はあくまでも宗教的な出来事、特にエルサレムの神殿再建(紀元前539-515年頃)と城壁修復(紀元前459-430年頃)にまつわる出来事を中心に記述がなされています(エズラ記、ネヘミヤ記など)。23
これらの出来事の中心人物(シェシュバツァル、ゼルバベル、エズラ、ネヘミヤなど)について、聖書以外の文献で彼らの存在は確かめられていないようです。が、面白いことに、城壁修復に反対した人たちの中には、聖書以外の資料にその存在が確かめられている者もいるようです。24
神殿再建と城壁修復にまつわる出来事以降、聖書は約400年の沈黙を守ります。そして、その沈黙を破って登場するのが救い主イエスの物語、新約聖書の福音書です。
ということで、旧約聖書と考古学の話はひとまずここまで。新約聖書(イエスの生きた時代)と考古学の話に興味のある方は、下記の記事をご覧ください。
まとめ
前回に引き続いて今回のテーマは「聖書は考古学と矛盾しているか?」。前回は旧約聖書の天地創造から青銅器時代まででしたが、今回は鉄器時代(紀元前1200年以降)を取り上げました。前回からの分もあわせて、分かったことをまとめると以下の通り。
【考古学について】
- 考古学の情報は量的にも質的にも非常に限られている
- 考古学的発見(仮説)は絶対的なものではない(複数の仮説が生じ得るし、新しい考古学的発見によって、いつでも書き換えられる可能性がある)
【石器時代の終わり(紀元前3000年)までの聖書の話について】
- 考古学的には人名や地名の特定はできていない
- 似たような話が近東地方にも存在しているが、聖書が描く神の姿および神と人間の関係性は他に類をみない
【青銅器時代(紀元前3000-1200年ごろ)の聖書の話について】
- 人名や地名など、具体的な出来事に関する考古学的裏付けは乏しい
- 登場人物の生活様式や文化は考古学的発見と整合性がとれている
【鉄器時代(紀元前1200年以降)の聖書の話について】
- イスラエルの王の名前は聖書以外の文献にも登場する
- 聖書の時代背景は、考古学が教える当時の状況と合っている
- 聖書と聖書以外(エジプト、アッシリア、バビロニア、ペルシアなど)の文献の接点となる出来事は政治・軍事的事柄が多い
- 聖書の作者は物事の政治・経済・文化・軍事的側面ではなく宗教的側面(神様自身もしくは神様と人との関係に関すること)に主な関心がある
【その他】
- 聖書の文字通りの解釈にこだわると真意を見失う可能性がある
- (歴史・文化的背景などの違いから生じる)立場の違いによって同じ出来事に対する理解・解釈の仕方が異なる
以上のことから、聖書の作者の強調点は宗教的な事柄、特に
であることが分かります。
また、聖書のメッセージを読み解くときの注意点として
だと言えるでしょう。
(旧約)聖書と考古学の関係に関して、確かに、聖書に記される具体的な出来事について、考古学的な裏付けが取れているものは少ないです。が、それは聖書の歴史的信憑性を否定することにはなりません。単純にまだ何も発見されていないだけかもしれませんし、自然災害や風化によって永久に失われてしまったのかもしれないからです。
むしろ大局的に見たとき、聖書の時代背景(生活様式や文化)は考古学的発見との整合性がよくとれていると言えます。
従って、聖書に描かれる話はその当時、その地域で実際に起きた出来事が基になっていると考えてもおかしくはないと思います。
仮に聖書の話と考古学の見解(仮説)が矛盾しているようにみえたとしても、考古学の限定性や聖書作者による脚色(誇張や省略など)の可能性を考えると、問題は聖書や考古学にあるのではなく、むしろ聖書のメッセージを正しく理解しようとする「読み手の側」にあるように思います。
つまるところ、
だと言えるでしょう。
なお、新約聖書(イエスの生きた時代)と考古学の話に興味のある方は、下記の記事をご覧ください。
参考文献および脚注
- Beaulieu, P.-A. “HISTORY OF ISRAEL 6: BABYLONIAN PERIOD.” Edited by Bill T. Arnold and H G M. Williamson. Dictionary of the Old Testament: Historical Books. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005.
- Hill, A. E. “HISTORY OF ISRAEL 3: UNITED MONARCHY.” Edited by Bill T. Arnold and H G M. Williamson. Dictionary of the Old Testament: Historical Books. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005.
- Kelle, B. E., and B. A. Strawn. “HISTORY OF ISRAEL 5: ASSYRIAN PERIOD.” Edited by Bill T. Arnold and H G M. Williamson. Dictionary of the Old Testament: Historical Books. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005.
- Longman III, T. “HISTORY OF ISRAEL 7: PERSIAN PERIOD.” Edited by Bill T. Arnold and H G M. Williamson. Dictionary of the Old Testament: Historical Books. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005.
- Meier, S. A. “HISTORY OF ISRAEL 1: SETTLEMENT PERIOD.” Edited by Bill T. Arnold and H G M. Williamson. Dictionary of the Old Testament: Historical Books. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005.
- Ortiz, S. M. “ARCHAEOLOGY, SYRO-PALESTINIAN.” Edited by Bill T. Arnold and H G M. Williamson. Dictionary of the Old Testament: Historical Books. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005.
- Wiseman., D. J. “ARCHAEOLOGY.” Edited by D. R. W. Wood, I. H. Marshall, A. R. Millard, J. I. Packer, and D. J. Wiseman. New Bible Dictionary. Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996.
- “Lachish Letters.” Wikipedia, October 20, 2017. Accessed April 14, 2018. https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Lachish_letters&oldid=806175177.
- “The Cyrus Cylinder.” British Museum. Accessed April 13, 2018. http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details.aspx?objectId=327188&partId=1.
- 詳細は下記を参照。S. M. Ortiz, “ARCHAEOLOGY, SYRO-PALESTINIAN,” ed. Bill T. Arnold and H G M. Williamson, Dictionary of the Old Testament: Historical Books (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005), 69.
- 詳細は下記を参照。S. A. Meier, “HISTORY OF ISRAEL 1: SETTLEMENT PERIOD,” ed. Bill T. Arnold and H G M. Williamson, Dictionary of the Old Testament: Historical Books (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005), 431–432.
- 詳細は下記を参照。A. E. Hill, “HISTORY OF ISRAEL 3: UNITED MONARCHY,” ed. Bill T. Arnold and H G M. Williamson, Dictionary of the Old Testament: Historical Books (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005), 443.
- 詳細は下記を参照。Ortiz, “Dictionary of the Old Testament,” 65.
- 詳細は下記を参照。Hill, “Dictionary of the Old Testament,” 443.
- 聖書や聖書以外の文献を用いてイスラエルの歴史を調べる時の注意点について、興味のある方は下記を参照。B. E. Kelle and B. A. Strawn, “HISTORY OF ISRAEL 5: ASSYRIAN PERIOD,” ed. Bill T. Arnold and H G M. Williamson, Dictionary of the Old Testament: Historical Books (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005), 460–461.
- 詳細は下記を参照。ibid., 461–462.
- 詳細は下記を参照。ibid., 462–463.
- オムリとアハブの時代から北イスラエル王国が滅びるまでのイスラエルと周辺諸国の政治的関係について、興味のある方は下記を参照。ibid., 464–469.
- 詳細は下記を参照。ibid., 462–463.
- ただし、聖書とアッシリアおよびバビロニアの文献では、いつ誰がサマリアを陥落させたかが完全には一致していません。詳細は下記を参照。ibid., 469.
- 詳細は下記を参照。ibid.
- このことは、アッシリアもしくは外国製の陶磁器がサマリア地方で見つかるようになることから、考古学的に確かめらています。D. J. Wiseman., “ARCHAEOLOGY,” ed. D. R. W. Wood et al., New Bible Dictionary (Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996), 72.
- 北イスラエル王国が滅んでから南ユダ王国が滅びるまでの地政学的状況(アッシリア、バビロニア、エジプト、南ユダの関係)について、興味のある方は下記を参照。Kelle and Strawn, “Dictionary of the Old Testament,” 469–476.
- 詳細な解説は下記を参照。P.-A. Beaulieu, “HISTORY OF ISRAEL 6: BABYLONIAN PERIOD,” ed. Bill T. Arnold and H G M. Williamson, Dictionary of the Old Testament: Historical Books (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005), 482; “Lachish Letters,” Wikipedia, October 20, 2017, accessed April 14, 2018, https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Lachish_letters&oldid=806175177.
- 詳細は下記を参照。Beaulieu, “Dictionary of the Old Testament,” 484.
- 詳細は下記を参照。ibid.
- 詳細は下記を参照。ibid., 483.
- 詳細は下記を参照。“The Cyrus Cylinder,” British Museum, accessed April 13, 2018, http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details.aspx?objectId=327188&partId=1.
- 詳細は下記を参照。T. Longman III, “HISTORY OF ISRAEL 7: PERSIAN PERIOD,” ed. Bill T. Arnold and H G M. Williamson, Dictionary of the Old Testament: Historical Books (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005), 487.
- Ibid., 490.
- 詳細は下記を参照。ibid., 491–492.
- 詳細は下記を参照。ibid., 491.
- 詳細は下記を参照。ibid., 490.