全知全能で愛なる神がなぜ苦しみや悪を許す?苦しみの原因と解決は?

この世の中は苦しみや悲しみで満ちています。

日々どこかで戦争や紛争、闘争や抗争が起きています。学校内のいじめや家庭内の暴力、職場でのセクハラ・パワハラのニュースも途絶えることがありません。経済的不平等、社会的格差、政治的不正・腐敗などなど、問題のない社会・国家はどこにもありません。1

なぜ生きることがこんなにも辛いのか?
なぜ世の中から苦しみや悲しみはなくならないのか?
このままどんどん悪くなっていくと、世界は一体どうなってしまうんだろうか?

ある程度の年齢を重ねてくると、このような疑問をもったことがない人の方が少ないのではないでしょうか。

このように世の中の苦しみや悲しみを思うとき、キリスト教(聖書)の神についてある程度の知識を持っている人ならば必ず考えるであろう一つの疑問があります。 2

それは、

全知全能で愛なる神がなぜ苦しみや悪に満ちた世の中を良しとしているのだろうか?

という疑問。

「全知全能」ということは、何でも知っていて何でもできる訳ですから、この世に苦しみや悪がはびこっている現状を良く知っていて、苦しみや悪を無くそうと思うなら無くせるはず。

しかも、「愛なる神」な訳ですから、苦しんでいる人々を見過ごせるはずがない。

にもかかわらず

この世には苦しみと悪が満ちている・・・

ということは、

ひょっとして、神は全知全能ではない???

もしくは

愛なる神ではない???

と思ってしまいます。

という訳で、今回はキリスト教(聖書)の「神と苦しみ(悪)との関係」について考えます。

話の流れ(目次)は以下の通り。

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苦しみ(悪)の原因

キリスト教(聖書)の神と苦しみ(悪)の関係を探る前に、そもそものところ、

なぜこの世の中に苦しみ(悪)が満ちているのか?

つまりは、

何が原因で苦しみ(悪)が存在するのか?

を考えようと思います。人に苦しみ(悪)をもたらし得るものとして、聖書は大きく以下の三つを挙げます。

  1. 人間自身の罪(神の望まないことをすること)
  2. 敵対関係にある人々

罪がもたらす苦しみ(悪)

人間が神の望まないことを行った(罪を犯した)が故に苦しむという話は、神が天地万物を造った直後に出てきます。

その話の主人公はアダムとエバ

アダムとエバの二人は神から食べてはならないと命じられていた木の実を食べてしまいます。

そのことを知った神は、まずエバに次のように言います。

わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。【創世記3章16節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉5頁

最初に出て来る「苦しみとうめき」というのは、後に続く「子を産む」ときの苦しみと関連しています。従って、エバが罪を犯したが故に子供を産む時の苦しみが増すことになったと聖書は語ります。

さらに、エバが罪を犯したが故に、彼女は夫アダムを恋い慕うが「彼はエバを支配することになる」とも書いてあります。

この箇所の解釈は諸説がありますが、本来はアダムの「助け手」(創世記2章20節)として造られたエバとアダムの関係が罪を犯してしまったことで微妙に狂ってしまったことは確かです。3

この世の夫婦生活において少なからずの苦しみがあるのは本来あるべき夫婦間の関係が微妙に狂ってしまったからだと言われれば、納得する方は多い(?)のではないでしょうか。

一言でまとめるならば、

エバが罪を犯したが故に、母であること、そして妻であることの苦しみが増した

と言えます。4

さて、神はエバだけではなくアダムに対しても次のように言います。

大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。【創世記3章17-19節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉5頁

ここで注目すべきは、アダムの罪によって大地がのろわれていること。こののろいのためにアダムは汗を流して大地から食料を得ることになります。

大地を耕し食料を得ること自体は本来、苦しみを伴う(汗を流す)ことではありませんでした (参考:創世記2章15節)。しかし、アダムが罪を犯したために働くことが苦しみに代わってしまったと聖書は語ります

アダムの罪によって、夫また父として最も重要であろう生活の糧を得ることの苦しみが増した

と言えるでしょう。5

さらに、アダムの罪の故に彼は「土のちりに帰る」と言われていますが、これはアダムが「死ぬようになる」ことを意味します(比較:創世記2章17節)。

人間にとっての究極の苦しみは「死」だと思いますが、アダムが罪を犯したが故に死がこの世に入って来たと聖書は語ります(参照:ローマ人への手紙5章12節)。

ちなみに、アダムとエバの罪の故にもたらされた苦しみは被造物全体にもたらされた苦しみの一部とも理解できます。

なぜなら、他の聖書個所では「被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをして」(ローマ人への手紙8章22節)いて、滅びの束縛から解放されることを望んでいると記されているからです。

このことから、自然災害も人間の罪の結果と考えることもできます。6

敵がもたらす苦しみ(悪)

前項の「罪がもたらす苦しみ(悪)」というのは、ある意味、自分自身に苦しみの原因があります。しかし、自分以外のものによって苦しみを受ける場合もあります。その典型的な例は「敵」から受ける苦しみ(悪)7

イスラエルの王ダビデが作ったとされる詩の一節に以下のようなことが書かれています。

私の敵は 私の悪口を言います。
「いつ彼は死に その名は消え去るのだろうか。」
人が見舞いに来ても その人は嘘を言い
心のうちでは悪意を蓄え
外に出てはそれを言いふらします。
私を憎む者はみな 私についてともにささやき
私に対して悪を企みます。
【詩篇41篇5-7節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉975頁

上記の例は個人的な「敵」ですが、国家単位の「敵」も考えられます。ヨエル書1章6節では、預言者ヨエルが以下のような神の言葉を語っています。8

ある国民がわたしの国に攻め上って来た。
それは力強く、数えきれない。
その歯は雄獅子の歯、
それには雌獅子の牙がある。
【ヨエル書1章6節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉1552頁

神がもたらす苦しみ(悪)

ここまで、人に苦しみ(悪)をもたらし得るものとして、その人自身の罪およびその人・国に敵対する人たち・国家が存在することをみてきました。

が、いよいよこの記事の本題でもあるキリスト教(聖書)の「神と苦しみ(悪)の関係」の一端に迫りたいと思います。というのも、聖書は

神御自身が人に苦しみ(悪)をもたらすことがある

と語るからです。

が、ここで注意事項が二つ9

  1. キリスト教(聖書)の神は、直接的に苦しみ(悪)をもたらすのではなく、人間や悪霊といった道徳的判断ができる被造物の意思決定を通して、苦しみ(悪)をもたらす
  2. 聖書は苦しみ(悪)の責任が神にあるとも、神が苦しみ(悪)を喜んでいるとも記していない

裏を返せば、当たり前と言えば当たり前ですが、

ある人が悪いことをした結果、自身や周りの人が苦しむことになるならば、その責任は神ではなく悪いことをしたその人自身にあるということ

です。

なお、ここで絶対に誤解してはいけない大事なことは、

神が直接働きかけて(誘惑して)、人に罪(悪)を犯させることはない

ということ(参照:ヤコブの手紙1章13-14節)。

聖書によると、人間の罪(悪)に対する神の関わり方は以下の4つです。10

  1. 神は人が罪を犯すのを防ぐことができる
  2. 神は人が罪を犯すのを許される
  3. 神は人の罪を用いて(導いて)善をもたらすことができる
  4. 神は人の罪を制限することができる

では、前置きはこれくらいにして、具体的に神が苦しみ(悪)を(間接的に)もたらしていると言える聖書個所をみていきましょう。11

一つ目の聖書個所は「サムエル記 第二12章11節」。

主はこう言われる。「見よ、わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で奪い取り、あなたの隣人に与える。彼は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。」【サムエル記 第二12章11節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉558頁

これは姦淫と(間接的な)殺人の罪を犯したダビデ王に対して、預言者ナタンが告げた言葉ですが、主(しゅ)、即ち神はダビデの家の中(血族)から、ダビデの上に災いを「引き起こす」と記されています。その災いとは、ダビデの妻たちが奪われて、白昼公然と寝取られること。

事実、この預言はダビデの子アブサロムによって現実のものとなります(参照:サムエル記 第二16章21-22節)。が、その行為はあくまでもアブサロム本人の意思によるものであって、神によって強いられた行為だとは記されていません。

ここで注目すべきは、この災いが「神によって引き起こされる」と書かれていること。

もちろん、この災いは神の気まぐれによってもたらされた訳ではなく、ダビデの犯した罪の罰としての災いではあります。しかし、ダビデにとっては神の手によってもたらされた苦しみ以外の何物でもありません。

また、父親の妻と寝ることは律法で禁じられている行為 (レビ記18章8節) ですので、聖書的には「悪」とされる行為。

しかし、

その行為がたとえ神によって「引き起こされた」としても、その責任は神ではなく、あくまでも行為を行った本人アブサロムにある

と聖書は語るのです。

神が苦しみ(悪)を(間接的に)もたらしていると言える二つ目の例はヨブ記に記されている物語。

Job By Léon Bonnat - http://www.histoire-image.com, Public Domain, Link

ヨブ記において、悪霊の長とされるサタンが神様に対して、ヨブという人物に苦しみを与える許可を願い出る場面が描かれています。

私たちの感覚からすれば、

善で愛の神が、人を苦しめようとするサタンの願いなど聞き入れるはずがない!

と思ってしまいますが、なんと神は、条件付きではありますが、ヨブを苦しめる許可をサタンに与えるのです(参照:ヨブ記1—2章)。

ただし、ここでも神自身が直接的に苦しみをもたらしている訳ではありません。あくまでも、サタンの意思によってもたらされた苦しみ(悪)です。しかし、その許可を与えたのは他ならぬ神であると聖書は記します。

しかも、さらに問題をややこしくするのは、ヨブの場合の苦しみ(悪)は、先のダビデの場合とは異なり、犯した罪に対する罰ではないということ(参考:ヨブ記1章8節)。

悪いことをした訳でもないのに、神によって苦しみ(悪)がもたらされる場合がある

というのは、私たちの常識からすると非常に不可解で理解しがたいことです。

が、そのように

一見、理不尽で不合理に見えてしまうことの中にも、人間には理解できない神の計画・目的がある

と聖書は語ります(参考:イザヤ書55章8-9節)。

そして、聖書にはもう一人、無実の罪で苦しみ(悪)を経験した人物がいます。

その人物とは、キリスト(救い主、メシア)と呼ばれたイエスです。

ご存知の方も多いと思いますが、イエスはユダヤ人指導者たちからは神を冒涜した罪、ローマ帝国からは反逆罪という濡れ衣を着せられ、十字架刑に処せられます2

この十字架刑というのは、想像を絶するような苦痛が長時間続き、人々からは散々な辱めを受け、肉体的精神的な極限状態をさまよった挙句にようやく息を引き取る処刑法。2

当時のローマ帝国において「最も残酷で屈辱的な処罰(a most cruel and ignominious punishment)」と言われていました。12

それほどまでの苦しみ(悪)を無実の罪で経験することになったイエス。しかし、イエスの十字架刑は神によって「前もって定められていた」と聖書は語ります。

事実、ヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人たちやイスラエルの民とともに、あなたが油を注がれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、あなたの御手とご計画によって、起こるように前もって定められていたことすべてを行いました。
【使徒の働き4章27-28節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉240頁

ここで「ヘロデとポンティオ・ピラト」というのはイエスを裁判にかけた人物(参照:ルカの福音書23章1-25節)、「あなた」というのは「神」を指します。

ですから、イエスが裁判にかけられ十字架刑に処せられることは神の「御手とご計画によって、起こるように前もって定められていた」ことだと言っていることになります。

イエスが十字架刑で受けた苦しみ(悪)は神によってもたらされた

と言える訳です。

ただし、ここでもイエスを十字架につけるためにイエスに濡れ衣を着せた人たち、および不正な裁判を行った人たちは、神に強いられた訳ではなく、あくまでも自分たちの自由な意思決定によって行動した訳です。

従って、

その行為の責任は全て彼ら自身が負う

ことになります。

このため、イエスの弟子のペテロはイエスを十字架刑にするために暗躍したユダヤ人たちに次のように言っています。

神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。【使徒の働き2章23節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉235頁

つまり、イエスが十字架で死ぬことは神によって前もって定められていたけれども、神がイエスを殺したのではなく、あくまでもユダヤ人たちや律法を持たない非ユダヤ人(異邦人)たちが、自分たちの自由な意思決定に基づいてイエスを十字架につけて殺したという訳です。

とは言われても、です。

神によって前もって定められていることが、人間の自由な意思決定によって実現されていくって…本当は神が人間の行動をコントロールしてるんじゃないの?

と誰しもが思うと思います。

実際、人間の意思決定がどれほど「自由」かについては、神学者の間でも意見が大きく分かれるところ。その意見・解釈の違いによって、キリスト教の教団・教派が分かれてしまうほどです。13

しかし、聖書に書かれていることを偏りなくみていくと、聖書には、

  • 神は絶対的な主権をもっているが、神の主権のために人間の責任が軽んじられることはない(神が前もって定められていることであっても、その行為の全責任は人間にある)
  • 人間は倫理道徳的責任をもった存在である(人間は自らの意思決定に基づいて選んだり、逆らったり、従ったり、信じたりすることができ、自分が選択した行動の責任を負う。なお、人間の意思決定が神の計画を不確かなものにすることはない)

という二つのことが書かれていることが分かります。たとえその両者が、人間的な常識や理性で考える限り、どれほど相対立しているように思えても、です。14

従って、残念ながら、聖書に書かれていることが正しいとする(信じる)限りにおいて、上記の二つが同時に成り立つことは「神秘(mystery)」としておくしかありません。15

もしこれ以上、人間の常識や理性・論理によって説明付ようとすると、聖書(神)の教えから離れ、人間の教えと化してしまうことになると言えると思います。

苦しみ(悪)の解決

前節では、「この世になぜ苦しみ(悪)が存在するのか?」を考え、この世に存在する苦しみ(悪)の原因として、以下の三つをみました。

  1. 人間自身の罪(神の望まないことをすること)
  2. 敵対関係にある人々

上記一つ目は、人間の罪の罰(裁き)として、苦しみを受けることがあることを意味します。

上記二つ目は、敵対関係にある人が犯す罪(悪)の結果、苦しみ(悪)を受けることがあることを意味します。

上記三つ目は、人間もしくは悪霊やサタンが自らの意思決定に基づいて犯す罪(悪)を通して、神が苦しみ(悪)をもたらすことがあることを意味します。

従って、

この世に存在する苦しみ(悪)と人間や悪霊が犯す罪(神の望まないことをすること)との間には非常に密接な関係がある

ことが分かります。

平たく言ってしまえば、

人間や悪霊が罪を犯さなければ、この世の苦しみ(悪)はなくなる

と言えると思います。

ということは、です。

冒頭で考えた下記の質問は、

全知全能で愛なる神が、なぜ苦しみや悪に満ちた世の中を良しとしているのだろうか?

次のように置き換えることができます。

全知全能で愛なる神がいるのなら、人間や悪霊やサタンが罪を犯さないようにはできないのか?

しかしながら、前節で少し紹介したように、人間の罪(悪)に対する神の関わり方の中には

  • 神は人(悪霊やサタンを含む)が罪を犯すのを許される
  • 神は人(悪霊やサタンを含む)の罪を用いて(導いて)善をもたらすことができる

というものがありました。10

従って、

全知全能で愛なる神は、片っ端から人や悪霊が罪を犯すのを防ぐのではなく、犯した罪(悪)をも用いながら自分の計画を成し遂げていく(善をもたらす)

と言えます。逆説的ではありますが、

犯した罪(悪)をも用いながら自分の計画を成し遂げていく(善をもたらす)ところに愛なる神の全知全能性が表れている

と考えることもできます。

また、別の見方をすれば、聖書(特に旧約聖書)というのは、

悪が存在すること、人が罪を犯すこと・犯したことは前提(既成事実)として、悪や罪に対して神がどう対処するのか・するつもりなのかということを記している

非常に実践的・実用的な書物と言えます。16

そして、悪や罪に対して、神は以下の二つのことをすると聖書は語ります。

  • 神は悪や罪を(いずれ)必ず裁く17
  • 神は悪と罪に満ちたこの世から人々を救い出す

典型的な例は「ノアの洪水」の物語でしょう。

ノアが生きた時代、「地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのご覧になった」神は、人を造ったことを「悔み、心を痛められた」と記されています(創世記6章5-6節)。

その結果、神が取った行動は、

  • 悪事ばかり働く人々を洪水によって地上から消し去ること(創世記6章7節)

と同時に

  • 「正しい人で、彼の世代の中にあって全き人」であったノア、および彼の家族を洪水から救い出すこと(創世記6章9節)

でした。

また、神は人々を悪と罪に満ちたこの世から救い出す(祝福する)ため、アブラハムを選び、次のように語られます。

あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す土地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。【創世記12章1-3節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉17頁

端的に言えば、

神はアブラハムとその子孫を通して、悪と罪に満ちたこの世から人々を救い出す計画を進めていくことにした

と言えます。

が、しかし、神の計画は難航を極めます

というのも、神が選んだアブラハムも含め彼の子孫たちは何度となく神の望まないこと(罪)をしてしまうからです。18

結論から言ってしまうと、悪と罪に対する神の裁きと救いの計画を実現させるためには、キリスト(救い主、メシア)なるイエスの登場を待たなければなりませんでした。

前節において、イエスは無実の罪で十字架刑に処せられたこと、およびそれは神が前もって定めていたということをみました。が、その理由というのはまさに、

この世の悪と罪に対する裁きをイエスがその身に引き受けるため

そしてそれによって、

イエスが悪と罪に対する裁きをその身に引き受けてくれた救い主と信じる人々が、悪と罪に満ちたこの世から救われる道を用意するため

に他なりません。この意味において、

イエスの十字架は「神の正義(裁き)と愛(救い)が出会う場所」

と言うことができます。19 そして、先に挙げた

  • 神は悪や罪を(いずれ)必ず裁く
  • 神は悪と罪に満ちたこの世から人々を救い出す

という二つが、イエスの十字架においてはっきりと表されていることが分かります。

が、しかし、です。

イエスが十字架にかかり、死んで葬られ、三日目によみがえったにもかかわらず、この世にはいまだに苦しみ(悪)がはびこっています

悪と罪に対する神の裁きと救いの計画はどうなったんだ!?イエスの十字架で万事解決したんじゃないの!?話が違うじゃないか!

と言いたくなってしまいますが、悪と罪に対する神の最終的な裁きと救いは、イエスが再びやってくると言われている「終わりのとき」を待つ必要があります(比較:マタイの福音書25章31-46節)。

世の終わりのときには、神が全てを正しく裁き、イエスを信じる者は二度と死なない肉体をもってよみがえり、新しい天地で神と共に永遠に生きる

と聖書は語ります(参照:ヨハネの黙示録20章12―21章5節;コリント人への手紙 第一15章20-26節)。20

また、それと同時に、イエスが再びやってくるまでの間にあって、

聖書には「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となる」(ローマ人への手紙8章28節)という約束も記されている

のです。

そして、たとえ今、どのような苦しみに遭っているとしても、なぜ神がその苦しみ(悪)を許されているのか明確な理由が分からないとしても、神への信頼を捨てることなく神の約束に堅く立ち、試練という名の苦しみを耐え忍ぶことを神は望んでいると言えます(比較:ペテロの手紙 第一1章6-7節;2章19-25節;マルコの福音書8章34-38節)。

まとめ

今回はキリスト教(聖書)の「神と苦しみ(悪)の関係」がテーマでした。その中でも特に、

全知全能で愛なる神がなぜ苦しみや悪に満ちた世の中を良しとしているのだろうか?

という疑問を考えました。

そして、まずはこの世に存在する苦しみ(悪)の原因を考えることで、

この世に存在する苦しみ(悪)と人間や悪霊が犯す罪(神の望まないことをすること)との間には非常に密接な関係がある

ことが分かりました。

従って、上記の疑問は

全知全能で愛なる神がいるのなら、人間や悪霊が罪を犯さないようにはできないのか?

という質問に置き換えられることになります。

しかしながら、キリスト教(聖書)の神は、罪(悪)に対して以下のように関わることもみました。

  • 神は人(悪霊やサタンを含む)が罪を犯すのを許される
  • 神は人(悪霊やサタンを含む)の罪を用いて善をもたらすことができる

上記のことが最も良く表れているのがイエスの十字架です。

イエスは無実の罪によって、その当時「最も残酷で屈辱的な処罰」とされた十字架刑に処せられます。

その背後にあったのは、ユダヤ人たちや非ユダヤ人たちの悪(罪)。

しかし神は、イエスが十字架刑に処せられることを「前もって定めていた」と聖書は語るのです。神が人の悪を許された(前もって定めていた)訳です。

しかも、神が人の悪を許されたのは、この世の悪と罪に対する裁きをイエスの身に担わせるため、そして、イエスを救い主だと信じる人々を悪と罪に満ちたこの世から救い出すためでした。

つまり、イエスが無実の罪で十字架に架けられることを通して、

キリスト教(聖書)の神は、人が犯す罪(悪)を裁くと同時に、その罪(悪)を用いて人々を救う道を用意するという善をなした

ことになります。別の言い方をすると、

イエスの十字架に神の正義(裁き)と愛(救い)と全知全能性が最もよく表されている

と言えます。

残念ながら、「全知全能で愛なる神がなぜ苦しみや悪に満ちた世の中を良しとしているか」という疑問に対して、聖書は誰もが納得するかたちで説明を与えてくれそうにはありません。

実際、今回の記事で見てきたように、全知全能で愛なる神自身が、直接的ではないにしても、人や悪霊の悪(罪)を通して間接的に苦しみ(悪)をもたらすことさえあると聖書は語ります。

しかし、神は決して苦しみ(悪)に満ちたこの世を喜んでいる訳ではなく、イエスが再びやってくると言われる「終わりのとき」には全ての悪(罪)を正しく裁きます

そして、その終わりのときには、イエスを信じる者は二度と死なない肉体をもってよみがえり、新しい天地で神と共に永遠に生きると聖書は語ります。

その終わりのときがいつやって来るか、残念ながら、私たちには分かりません(参考:マタイの福音書24章36節)。

が、しかし、私たちが神を信じて祈り求める時、神の救いの約束は私たちに希望を与え、正義を行い愛に満ちた全知全能の神に信頼しつつ、その苦しみをイエスと共に乗り越えていくことができる力を与えてくれるでしょう。

参考文献および注釈

  • Belcher Jr., R. P. “SUFFERING.” Edited by Tremper Longman and Peter Enns. Dictionary of the Old Testament: Wisdom, Poetry & Writings. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2008.
  • Carson, D. A. How Long, O Lord?: Reflections on Suffering and Evil. Second edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2006.
  • Cicero, Marcus Tullius. “Against Verres,” translated in 1903. Wikisource. https://en.wikisource.org/wiki/Against_Verres.
  • Erickson, Millard J. Christian Theology. 3rd ed. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2013.
  • Grudem, Wayne A. Systematic Theology: An Introduction to Biblical Doctrine. Downers Grove, Ill.; Grand Rapids, Mich.: InterVarsity Pr; Zondervan, 1994.
  • Mathews, K A. Genesis 1-11:26. The New American Commentary. Nashville, Tenn.: Broadman & Holman, 1996.
  • Thomas, H. A. “SUFFERING.” Edited by Mark J Boda and J. Gordon McConville. Dictionary of the Old Testament: Prophets. Downers Grove, Ill; Nottingham :Inter-Varsity Press: IVP Academic ;, 2012.
  • Wenham, Gordon J. Genesis 1-15. Word Biblical Commentary. Waco, Tex.: Word Bks, 1987.
  • Wright, N. T. Evil and the Justice of God. London: SPCK, 2006.
  • “2018年ノーベル平和賞、紛争下で性暴力と闘う2氏に.” Accessed October 14, 2018. http://www.afpbb.com/articles/-/3192336.
  • “The Nobel Peace Prize 2018.” NobelPrize.Org. Accessed October 14, 2018. https://www.nobelprize.org/prizes/peace/2018/summary/.
  1. とりわけ、2018年のノーベル平和賞受賞者の授賞理由は「戦争や武力紛争の武器としての性暴力を撲滅するための努力」でした。“The Nobel Peace Prize 2018,” NobelPrize.Org, accessed October 14, 2018, https://www.nobelprize.org/prizes/peace/2018/summary/; “2018年ノーベル平和賞、紛争下で性暴力と闘う2氏に,” accessed October 14, 2018, http://www.afpbb.com/articles/-/3192336.
  2. キリスト教(聖書)の語る神の性質について、興味のある方は下記のブログを参照ください。「キリスト教(聖書)の神はどんな神?①-造り主なる神の性質-」「キリスト教(聖書)の神はどんな神?②-救い主なる神の性質-」「キリスト教(聖書)の神はどんな神?③-救い主なる神の性質-」
  3. 詳細は下記を参照。K A. Mathews, Genesis 1-11:26, The New American Commentary (Nashville, Tenn.: Broadman & Holman, 1996), 248–252.
  4. 詳細は下記参考文献の創世記3章19節の注解を参照。Gordon J. Wenham, Genesis 1-15, Word Biblical Commentary (Waco, Tex.: Word Bks, 1987).
  5. 詳細は下記参考文献の創世記3章19節の注解を参照。ibid.
  6. 詳細は下記を参照。Millard J Erickson, Christian Theology, 3rd ed. (Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2013), 397–398.
  7. 詳細は下記を参照。R. P. Belcher Jr., “SUFFERING,” ed. Tremper Longman and Peter Enns, Dictionary of the Old Testament: Wisdom, Poetry & Writings (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2008), 775–776.
  8. 詳細は下記を参照。H. A. Thomas, “SUFFERING,” ed. Mark J Boda and J. Gordon McConville, Dictionary of the Old Testament: Prophets (Downers Grove, Ill; Nottingham :Inter-Varsity Press: IVP Academic ;, 2012), 761–762.
  9. 詳細は下記を参照。Wayne A. Grudem, Systematic Theology: An Introduction to Biblical Doctrine (Downers Grove, Ill.; Grand Rapids, Mich.: InterVarsity Pr; Zondervan, 1994), 323.
  10. 詳細な説明は下記を参照。Erickson, Christian Theology, 372–374.
  11. 詳細は下記を参照。Grudem, Systematic Theology, 323–327.
  12. Marcus Tullius Cicero, “Against Verres,” translated in 1903, 2. 5. 64. 165, Wikisource.
  13. この記事で紹介している立場は「カルヴァン主義(Calvinists)」に基づいていますが、人間の「自由」をさらに強調した立場として、「アルミニウス主義(Arminians)」があります。カルヴァン主義の立場からアルミニウス主義を紹介している文献として、例えば下記を参照。Grudem, Systematic Theology, 338–351.
  14. 詳細な解説は下記を参照。D. A. Carson, How Long, O Lord?: Reflections on Suffering and Evil, second edition. (Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2006), 179–188.
  15. 聖書(キリスト教)内の「神秘」として、他には三位一体説やイエスの神性などが挙げられます。ibid., 205–206.
  16. N. T. Wright, Evil and the Justice of God (London: SPCK, 2006), 22–24.
  17. 「神は悪や罪を必ず裁く」というのは、聖書の最初の11章(創世記1-11章)に繰り返し描かれています。詳細な説明は下記を参照。ibid., 22–29.
  18. アブラハムから始まるイスラエルの民に対する神の関わり方について、興味のある方は下記を参照。ibid., 29–35.
  19. 詳細な解説は下記を参照。Carson, How Long, O Lord?, 161–163.
  20. 世の終わりのときにもたらされる救いについて、興味がある方は下記の記事を参照ください。「イエス・キリストはなぜ復活した(よみがえった)のか?―イエス復活の意味―3 復活と人々の救い」 聖書の語る「世の終わり(終末)」について、興味のある方は下記の記事をご覧ください。「世の終わりは既に始まっている!?―キリスト教(聖書)の語る終末とイエスの再臨―」
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