礼拝説教の要旨です(実際の説教の音声はこちら)。
- 日時:2021年9月12日(日)
- 場所:Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)
- 説教タイトル・テーマ:「御心に適う供え物」
- 聖書個所:ローマの信徒への手紙15章14-21節1
導入
7月12日に都内に出された緊急事態宣言がまたもや延長されることとなりました。
ここまでくると「コロナ疲れ」はもちろん、「緊急事態宣言疲れ」も出て来ているように感じます。
また、ある意味、今の「緊急事態」が緊急事態ではなくなり、新しい常態(ニューノーマル)になろうとしているようにも感じます。
新型コロナの脅威が完全になくなる「Postコロナ」ではなく、新型コロナと共に生きる「Withコロナ」の生活が現実味を帯びてきているようにも思えてきます。
PostコロナかWithコロナか…どんな生活が待ち受けているにせよ、永遠に変わることのない神様の言葉が記されているのが聖書です。今日の聖書個所から見て取れる
を確認していきましょう。
恵みによって与えられる使命
パウロが書いたローマの信徒への手紙は今日の聖書個所から手紙の「結び」の部分に入ります。
この手紙の結びの中でも特に今日の聖書個所においてパウロは神様から自分に与えられた使命について、また、与えられた使命に基づいて自分が実際に行ってきたことについて振り返っています。
ローマの信徒への手紙15章15-16節でパウロは、自分が
と言っています。更に、
とも言っています。パウロが務めている「祭司職」の働きは、16節の後半部分にあるように、
ことです。これはつまり、
一言で言えば、「異邦人宣教」です(比較:ローマの信徒への手紙1章5節)。
この使命・務めはパウロが何か素晴らしいことをしたから、またはパウロに特別な才能があるから与えられたのではありません。
あくまでも神様の恵みによって、与えられるに値しないにも関わらず、パウロに与えられた使命です。
使命に忠実な生き方
内容としては少し前後しますが、神様の恵みによって異邦人宣教という使命を頂いたパウロはローマの信徒への手紙15章15節で、
と言っています。
自分が書いた手紙の内容によって、人々から意図せぬ誤解や批判・非難にあうかもしれないことを承知の上でパウロは神様の福音について大胆に書き記したという訳です。
の姿が見て取れます。
また、神様の恵みによって異邦人宣教という使命を頂いたパウロは
と語ります(17節)。
この言葉は、神様の働きが喜びや楽しみだけに満ち溢れていれば、簡単に言うことができるかもしれません。
しかしながら、パウロの宣教活動は苦難や困難にも満ちたものでした(参考:コリントの信徒への手紙二11章23-28節)。
にもかかわらず、パウロはその働きをイエス様にあって誇りに思っているというのです。
の姿が見て取れます。
神の栄光を求める生き方
さらに、神様の恵みによって異邦人宣教という使命を頂いたパウロは、
ことであると宣言しています(ローマの信徒への手紙15章18-19節)。
パウロはクリスチャンであれば誰もが認める偉大な宣教師です。
けれども彼は、その働きは全てイエス様が自分を通して働かれたことだと言うのです。
の姿が見て取れます。
異邦人宣教の中でもパウロに特別に与えられていた使命は
でした(20-21節)。
その宣教活動は苦難と困難に満ちたものでした。
何が起こるか分からない。
これからどうなるか分からない。
先が全く見えない不安と恐れの中にあってもパウロは、イエス様が自分を通して働かれていることを確信していました。
のです。
の姿が見て取れます。
結論
神様の恵みによってパウロには「異邦人宣教」という使命が与えられていました。
その神様から与えられた使命に対して、
パウロの言葉を借りるならば、彼は
と言えます(ローマの信徒への手紙15章16節)。
「御心に適う供え物」として、パウロはたとえどんな批判や非難を受けることがあろうとも、福音について大胆に書き記しました。
「御心に適う供え物」として、パウロはたとえどんな苦難や困難があろうとも、神様のために働くことを誇りに思っていました。
「御心に適う供え物」として、パウロはたとえどんなに大きな功績をあげたとしても、全ての栄光を神様・イエス様に帰そうとしました。
「御心に適う供え物」として、たとえどんなに大きな不安と恐れの中にあったとしても、パウロは神様の主権に信頼して神様の栄光のために生きようとしました。
神様から与えられる使命は人それぞれに異なります。
けれども、
ことが求められています。パウロは自らの生き方・考え方を通して、「御心に適う供え物」として自らを神様に献げるとはどういうことかを示してくれていると言えます。
「御心に適う供え物」として自らを神様に献げながら生きるというのは、時や場所を超えて、また周囲の状況・環境に関わらず求められている生き方です。
それは、
です。
ただし、ここで絶対に忘れてはいけないことが一つあります。それは、
ということです。
「御心に適う供え物」となるために、何かをする訳ではありません。
のです(ローマの信徒への手紙15章16節;比較:ローマの信徒への手紙12章1-2節)。
とはいえ、「御心に適う供え物」として自らを神様に献げながら生きるのは決して簡単ではありません。
にもかかわらず、パウロが神様の望まれる生き方を全うすることができたのは、
からです(ローマの信徒への手紙15章18-19節)。
決して忘れないでください。
誰にも理解されず、相手にもされず、自分は独りぼっちだと思うとき。
いわれのない苦しみや悲しみを経験し、神様に見捨てられたに違いないと思うとき。
先の見えない不安や恐れの中で神様が本当に働いておられるのか分からなくなってしまうとき。
のです。
そのイエス様の存在に気付かされ、喜びと感謝をもって日々、「御心に適う供え物」として自らを神様に献げながら生きることができますように。
参考文献および注釈
- Moo, Douglas J. Romans. The NIV Application Commentary. Grand Rapids, Mich.: ZondervanPublishingHouse, 2000.
- ———. The Epistle to the Romans. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996.
- Schreiner, Thomas R. Romans. 2nd edition. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2018.