なぜ人は罪を犯す?生まれながらに罪人?原罪とは何?―罪の原因―

自爆テロに核実験、セクハラにパワハラ、いじめに自殺に過労死などなど…

世の中、暗いニュースが絶えません(暗い内容のものがニュースになりやすいのかもしれませんが)。

しかも、世の中の状況・情勢は一向に良くなる気配が見えないどころか、どんどん悪くなっているように思えてしまいます。そんなとき、

なぜ人は憎しみ合うのか?
皆が暮らしやすい世の中は来ないのか?
争いのない平和な世界は幻想に過ぎないのか?

といった疑問が自然と湧き上がってきます。

そもそものところ、積極的に怒りや憎しみに満ちた世の中を作ろうと思う人は誰もいないはず…(仮に今はそう思っているとしても、生まれてからずっとそう考えている人はほとんどいないのではないかと思います)。

なのにもかかわらず、この世には怒りと憎しみがあふれている…

積極的に悪いことをしよう・したいとは思っていないのに、つい魔が差して、悪いことに手を染めてしまう自分を止められないのは、一体なぜ?
ひょっとしたら、人間は生まれながらに善いことをすることができないのじゃないか!?

と思う方は少なくないのではないでしょうか。

ということで、今回はテーマを「なぜ人は罪を犯してしまうのか?」と題し、人が罪を犯す原因を考えます。

そもそものところ、「罪って何?」と思われる方、もしくは「罪(罰)にはどんな違いがあるの?」といったことが気になる方は下記の記事を参照ください。

人はみな罪人?キリスト教(聖書)の教える罪とは?―罪の定義と本質―
ある日突然「全ての人は罪人(つみびと)だから、悔い改めなければ救われない」と言わても、納得できない人がほとんどだと思います。今回はキリスト教における罪の定義と本質に焦点をあてながら、「罪とは何か?」「人はみな罪人なのか?」を考えます。
罪に程度や大小の違いはある?赦されない罪は?―罪の種類と結果―
もし本当に「人はみな罪人」であるなら、気になってくるのは当然「罪を犯したらどうなる?」「罪の罰には程度の違いがある?」「イエスを信じれば全ての罪は例外なく赦される?」といったことでしょう。今回は気になる罪の種類と結果(罰)について考えます。

今回の話の流れ(目次)は以下の通り。

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罪の定義と本質

人が罪を犯す原因を考える前に、そもそも、キリスト教(聖書)が教える「罪」とは何かを簡単に記しておきます。

詳細は下記の記事で紹介していますので、興味のある方は参照ください。

人はみな罪人?キリスト教(聖書)の教える罪とは?―罪の定義と本質―
ある日突然「全ての人は罪人(つみびと)だから、悔い改めなければ救われない」と言わても、納得できない人がほとんどだと思います。今回はキリスト教における罪の定義と本質に焦点をあてながら、「罪とは何か?」「人はみな罪人なのか?」を考えます。

色々な定義の仕方がありますが、ここでは「罪」を以下のように定義して話を進めます。1

罪とはどんなかたちであれ、その行いや態度もしくは本性(nature)において、神の道徳律に従わない・従えないこと

そして、この「罪」の根本・根源にあるもの、即ち「罪の本質」と呼べるものは

神(の思いや望み、目的など)に相対すること

と言えます。2

今回の記事の内容に関連するのは、上の定義の中にある「本性(nature)において」という文言。言うなれば聖書は、

人間は生まれもった本性(nature)として、神の道徳律に従うことができない性質(罪深さ)をもっている

と主張していることになります。では、

人間の本性として、神の道徳律に従わない・従えないとは一体どういう意味なのか?

次節でみていきましょう。

罪を犯す内的要因:原罪

人はその本性として、神の道徳律に従わない・従えないことについて、聖書は以下のように語ります。3

ご覧ください。私は咎ある者として生まれ
罪ある者として 母は私を身ごもりました。
【詩篇51篇5節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈旧〉985頁4

この詩篇51篇は、イスラエル王国のダビデ王が自らの犯した姦淫(不倫)の罪がばれてしまったときに記した詩とされています。ここでダビデは、彼の母親は「罪ある者として」彼を身ごもり、彼自身「咎ある者として生まれ」たと言っています。

つまり、

まだ母の胎内にいるときから自分は罪ある存在だった

と言っています(比較:詩篇58篇3節;エペソ人への手紙2章3節)。

俗に「性善説」と「性悪説」というものがありますが、聖書は「性悪説」の側に立つということができるかもしれません。

と言ってはみたものの、厳密には、神が天地万物を創造したばかりのときには罪深さはもちろん、「罪」そのものも存在していませんでした(参照:創世記1章31節)。

けれども、

最初の人アダムが犯した罪によって、この世に罪が入ってきた

と聖書は語ります。

こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった【ローマ人への手紙5章12節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉304-305頁

これはパウロがローマに住むクリスチャンたちに宛てた手紙の一節です。上記の「一人の人」というのは「アダム」のことですので、

アダムによって罪が、罪によって死が世界に入ってきた

と言っていることになります。ただし、全ての人が死ぬのは全ての人が罪を犯したからだとも言っています。5

でも、恐らくここで

えっ、全ての人が死ぬことと罪を犯すことと関係があるの?

と思われる方は少なくないと思います。が、聖書では罪の罰は「死」であることが何度となく記されています(例:創世記2章17節;6章13節;出エジプト記32章;レビ記10章1-2節;民数記16章;17章6-15節;21章4-9節;参照:ローマ人への手紙6章23節)。6

また、このすぐ後には次のように記されています。

こういうわけで、ちょうど一人の違反によってすべての人が不義に定められたのと同様に、一人の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられます。
【ローマ人への手紙5章18節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉305頁

ここで最初に出てくる「一人」はまたもや「アダム」のこと、その後の「一人」は「イエス・キリスト」のことを意味します。従って、

アダムの違反 (罪)によって、全ての人が不義(罪人)とされたのと同じく、イエス・キリストの義の行為によってすべての人が義と認められる(義人)とされる

と言っていることになります。以上の聖書個所から明らかなことは以下の二つ。

  • アダムの罪によって、全ての人が罪を犯すようになり、全ての人が死ぬようになった
  • アダムの罪によって、全ての人が罪人とされた

このことから、

アダムの犯した罪と私たち人類の罪深さには非常に密接な関係がある

ことが分かるのではないかと思います。

なお、私たち人類がアダムから受け継いだ「罪」のことをキリスト教用語で「原罪(げんざい、original sin)」と呼びます。7

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ただし、私たち人類がアダムから受け継ぐ「罪」については、以下の二点において、キリスト教の中でも意見が大きく分かれています。

  • 「罪」とは具体的に何を意味するか
  • その「罪」はどのようにして受け継がれたのか

例えば、アルミニウス主義(Arminianism)では、人は生まれながらに罪人ではないが罪深い性質は持っていると考えます。

対して、カルヴァン主義(Calvinism)では、人は生まれながらに罪人で罪深い性質も持っていると考えます。8

どちらの場合も「人は罪深い性質を持って生まれる」ことでは一致していますので、アダムから受け継いだ罪深い性質のことを「原罪」と呼ぶこともあります。9

また、アダムは悪い例・模範を示すことで人間に影響を与えたとペラギウス(Pelagius)が考えたのに対し、アダムの罪深さは遺伝によって伝えられたとアウグスティヌス(Augustine)は考えました。10

カルヴァン主義の中には、アダムが神によって人類の代表とされたため、代表者アダムの決断の結果(罪)を人類全体が享受することになったと考える人たちもいます。11

ここで、アダムが神によって人類の代表にされたと聞くと、

そんなの勝手に決められても困る!不公平じゃないか!?

と感じる人がほとんどだと思います(私もそうでした)。

しかしながら、先に挙げた「ローマ人への手紙5章18節」において、アダムが人類の代表にされたのと同じく、

イエス・キリストもまた神によって人類の代表とされ、代表者イエスの「義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられ」ることにもなる

と解釈できると聞くと、不公平感が和らぐのは私だけではないのではないでしょうか。12

私たち人類がアダムから受け継ぐ「罪」、「原罪」に関して、クリスチャンの間でも色々な意見があるのは確かですが、

私たちが生まれながらにして罪深い性質をもっていることは、聖書が語るように、動かしようのない事実・現実

だと思います。

罪を犯す外的要因

前節では、人が罪を犯してしまう原因として、私たちが生まれながらにもっている罪深さがあることをみました。言うなればこれは、人が罪を犯す内的要因です。

私たちが罪を犯す原因としては、内的要因以外に外的な要因も考えられます。それらは例えば以下の二つ。13

  • 生活環境の影響
  • 悪魔・悪霊の働き

パウロという人物がエペソという場所に住んでいるクリスチャンたちに宛てた手紙に次のように記されています。

さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。【エペソ人への手紙2章1-3節】

出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉385頁

ここで分かりにくいと思われる言葉の意味は以下のようになります。14

  • 「あなたがた」=エペソに住むクリスチャンたち(主に非ユダヤ人)
  • 「死」=霊的な死=神との絆(関係)が切れてしまった状態
  • 「不従順の子ら」=神に不従順に(敵対して)生きている人たち
  • 「空中の権威を持つ支配者」=「不従順の子らの中に今も働いている霊」=悪魔(サタン)=悪霊たちのリーダー
  • 「私たちもみな」=パウロを含めたクリスチャンたち(主にユダヤ人)
  • 「御怒り(みいかり)」=神の怒り=人間の犯した罪に対する神の裁き(罰)

この聖書個所から、私たち人間が罪を犯すとき、(少なくとも)以下の三つが影響していることが分かります。

  • 世の流れ
  • 悪魔
  • 自分の肉の欲

最後の「自分の肉の欲」というのは私たちが生まれ持った罪深さによるものですので、それ以外に周りの世界の影響と悪魔の働きがあることになります(比較:ヤコブの手紙3章15節;ヨハネの手紙第一2章15-17節;3章7-10節)。

周りの世界の影響としては、例えば、世の中の習慣、制度、仕組み、流行といったものが考えられます。15

世の中を構成するのは人々。そしてその中の一人一人には生まれながらに罪深い性質が備わっているとすれば、世の中の習慣、制度、仕組み、流行などの中に神(の思いや望み、目的など)に相対するものが含まれてくるのは、ある意味、自然・当然なことだと思います。

悪魔およびその手下の悪霊たちの主な働きは、人々が罪を犯すように誘惑することです。

事実、最初の人アダムが罪を犯してしまったのは、妻のエバが悪魔の誘惑に負けてしまったことがきっかけでした(参照:創世記3章1-7節;ヨハネの黙示録12章9節)。

また、イエス・キリスト自身も悪魔の誘惑を受けています(参照:マタイの福音書4章1-11節)。

参考まで、人々を誘惑すること以外の悪魔・悪霊たちの働きとしては、以下のようなものがあります(「サタン、ルシファー、デビル、デーモン、悪魔、悪霊、違いは何?―悪霊の性質と働き―」の「まとめ」から再掲)。

  • 誤った教えを広めようとする(参考:ヨハネの手紙4章1-4節;コリント人への手紙第二4章4節;11章3-4節など)
  • 神の言うこと・成すことを邪魔したり非難したりする(参考:創世記3章1-6節;ヨブ記1-2章;ゼカリヤ書3章など)
  • キリスト・イエスを信じる者たちが迫害を受けて苦しむように仕向ける(参考:ペテロの手紙第一5章9節;ヨハネの黙示録2章9節)
  • 悪霊たちが人々に取りついて苦しめる(例:マルコの福音書1章21-28節;5章1-20節; 7章24-30節;9章14-29節など)

いずれの場合も、私たちが「神(の思いや望み、目的など)に相対すること」を行う・思う・考えるように仕向ける働きとなっていることが分かると思います。

まとめ

今回はテーマを「なぜ人は罪を犯してしまうのか?」と題し、人が罪を犯す原因を考えました。

人が罪を犯す原因としては、大きく以下の三つが考えられます。

  • 【内的要因】
    • 生まれ持った罪深い性質
  • 【外的要因】
    • 生活環境の影響
    • 悪魔・悪霊の働き

「生まれ持った罪深い性質」はキリスト教用語で「原罪(げんざい、original sin)」とも呼ばれるもので、私たち人類が最初の人アダムから受け継いだ「罪」とされています。

「生活環境の影響」としては、例えば、世の中の習慣、制度、仕組み、流行といったものが含まれます。

「悪魔・悪霊の働き」には以下のようなものがあります(「サタン、ルシファー、デビル、デーモン、悪魔、悪霊、違いは何?―悪霊の性質と働き―」の「まとめ」から再掲)。

  • 人間に罪を犯させるように誘惑する(参考:マタイの福音書4章1-11節;ルカの福音書22章3節;使徒の働き5章3節など)
  • 誤った教えを広めようとする(参考:ヨハネの手紙4章1-4節;コリント人への手紙第二4章4節;11章3-4節など)
  • 神の言うこと・成すことを邪魔したり非難したりする(参考:創世記3章1-6節;ヨブ記1-2章;ゼカリヤ書3章など)
  • キリスト・イエスを信じる者たちが迫害を受けて苦しむように仕向ける(参考:ペテロの手紙第一5章9節;ヨハネの黙示録2章9節)
  • 悪霊たちが人々に取りついて苦しめる(例:マルコの福音書1章21-28節;5章1-20節; 7章24-30節;9章14-29節など)

なお、私たちが罪を犯すとき、これら三つが等しく影響する訳ではありません。時と場合、状況によって、その影響の程度は様々です。

大事なことは、

三つの全てにバランスよく注意を払うこと。

どれか一つだけに注意を捕らわれ過ぎると本当の原因(状況)を見誤ってしまう恐れがあるからです。

そして、決して忘れてはいけないことは、

たとえ自分以外の外的な要因が影響をするとしても、罪を犯した責任は自分自身にある

ということ。

それにしても、罪深い性質を持って生まれただけでも大変なのに、周りの環境や悪魔・悪霊までもが、私たちを神の思い・望み・計画から離れさせようとするというのですから、罪を犯さずに暮らすのはほぼ不可能だと思うのは私だけではないでしょう。

しかも、少し前に下記の記事でみたように、神の求める善悪(罪)の基準は非常に高いため、神の前には「人はみな罪人」と言わざるを得ません。

人はみな罪人?キリスト教(聖書)の教える罪とは?―罪の定義と本質―
ある日突然「全ての人は罪人(つみびと)だから、悔い改めなければ救われない」と言わても、納得できない人がほとんどだと思います。今回はキリスト教における罪の定義と本質に焦点をあてながら、「罪とは何か?」「人はみな罪人なのか?」を考えます。

これはつまり、

誰一人として罪の罰である滅び(死)を免れる人はいない

ことを意味します。が、しかし、です。

神は、人が自らの罪の罰で死んでいくのを良しとされなかった

のです。それ故に、

父なる神は子なる神イエス・キリストをこの世に送り、私たちの罪の身代わりとして十字架に架け、死んだ後に復活させた(よみがえらせた)

と聖書は語ります。ここに神の愛が示されています。

この神の愛(人類の救い)について、興味のある方は下記の記事をご覧ください。

イエス・キリストはなぜ死んだのか?③―十字架のキリスト教的理由・意味―
「なぜイエス・キリストは十字架で死んだのか」について考える三部作シリーズの三つ目。無実の罪を背負わされ十字架刑に処されたイエス。しかしそれは、神が自らの「正義」と「愛」を追求したが故の結果だと聖書は語ります。その意味するところは一体何かをひも解きます。
なぜイエス・キリストは無実の罪で処刑された?十字架の死の理由と意味
十字架刑(磔刑、たっけい)は実は非常に屈辱的で残酷な処罰でした。今回はこの十字架刑の屈辱・残酷性に着目しながら「なぜイエス・キリストはそんなにも屈辱的で残酷な処罰を無実の罪で受ける必要があったのか」を考えます。イエスが十字架で死んだ理由・意味は一体何か。
イエス・キリストはなぜ復活した(よみがえった)のか?ーイエス復活の意味ー
聖書は「イエスは私たちの罪のために十字架刑で死んで葬られ、三日目によみがえった(復活した)」と語ります。が、そもそも「なぜイエス・キリストは死んだ後にわざわざ復活したのか?」「十字架刑で死ぬだけではダメだったのか?」。イエス復活の意味を考えます。

なお、「罪の罰は全て『死』なの?」もしくは「イエスを信じれば全ての罪は例外なく赦される?」といったことが気になる方は下記の記事を参照ください。

罪に程度や大小の違いはある?赦されない罪は?―罪の種類と結果―
もし本当に「人はみな罪人」であるなら、気になってくるのは当然「罪を犯したらどうなる?」「罪の罰には程度の違いがある?」「イエスを信じれば全ての罪は例外なく赦される?」といったことでしょう。今回は気になる罪の種類と結果(罰)について考えます。

参考文献および注釈

  • BLOCHER, H. A. G. “SIN.” Edited by T. D. Alexander and B. S. Rosner. New Dictionary of Biblical Theology. Downers Grove, Ill.; Leicester, UK: InterVarsity, 2000.
  • Erickson, Millard J. Christian Theology. 3rd ed. Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2013.
  • Fitzmyer, Joseph A. Romans : A New Translation with Introduction and Commentary. 2007 Edition. New Haven; London: Yale University Press, 2007.
  • Frame, John M. Salvation Belongs to the Lord: An Introduction to Systematic Theology. Phillipsburg, NJ.: P & R Publishing, 2006.
  • Grudem, Wayne A. Systematic Theology: An Introduction to Biblical Doctrine. Downers Grove, Ill.; Grand Rapids, Mich.: InterVarsity Pr; Zondervan, 1994.
  • Jenson, P. “SIN.” Edited by Bill T. Arnold and H G M. Williamson. Dictionary of the Old Testament: Historical Books. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005.
  • Martens, E. A. “SIN, GUILT.” Edited by T. Desmond Alexander and David W. Baker. Dictionary of the Old Testament: Pentateuch. Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003.
  • Moo, Douglas J. The Epistle to the Romans. The New International Commentary on the New Testament. Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996.
  • MURRAY, J., and B. A. MILNE. “SIN.” Edited by D. R. W. Wood, I. H. Marshall, A. R. Millard, and J. I. Packer. New Bible Dictionary. Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996.
  • O’Brien, Peter T. The Letter to the Ephesians. The Pillar New Testament Commentary. Grand Rapids; Leicester: Eerdmans; Apollos, 1999.
  1. 詳細は下記を参照。Wayne A. Grudem, Systematic Theology: An Introduction to Biblical Doctrine (Downers Grove, Ill.; Grand Rapids, Mich.: InterVarsity Pr; Zondervan, 1994), 490–491.
  2. 詳細な説明は、例えば、下記を参照。J. MURRAY and B. A. MILNE, “SIN,” ed. D. R. W. Wood et al., New Bible Dictionary (Leicester, England ; Downers Grove, Ill: InterVarsity Press, December 1996), 1106; E. A. Martens, “SIN, GUILT,” ed. T. Desmond Alexander and David W. Baker, Dictionary of the Old Testament: Pentateuch (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2003), 764; P. Jenson, “SIN,” ed. Bill T. Arnold and H G M. Williamson, Dictionary of the Old Testament: Historical Books (Downers Grove, Ill.: InterVarsity, 2005), 899–900.
  3. 詳細は下記を参照。ibid., 496–497.
  4. 特に記載がない限り、以降の聖書個所も同じく『聖書 新改訳2017』から引用。
  5. ここでパウロの語る「死」というのは、物理的な肉体の死だけでなく、神との関係の断絶を意味する霊的な死の意味も含まれていると考えられます。詳細は下記を参照。Douglas J. Moo, The Epistle to the Romans, The New International Commentary on the New Testament (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1996), 319–320.
  6. 神に対する罪の代価が「死」であることについて、詳しくは下記の記事をご覧ください。「意味のイエスはなぜ死んだのか?③―キリスト教的理由・意味―1.罰する神:神の正義」
  7. Grudem, Systematic Theology, 495.
  8. アルミニウス主義とカルヴァン主義に関する詳細な説明は下記を参照。Millard J Erickson, Christian Theology, 3rd ed. (Grand Rapids, Mich.: Baker Academic, 2013), 577–579.
  9. Grudem, Systematic Theology, 496.
  10. 詳細は下記を参照。Joseph A. Fitzmyer, Romans : A New Translation with Introduction and Commentary, 2007 Edition. (New Haven; London: Yale University Press, 2007), 407.
  11. 詳細は下記を参照。John M. Frame, Salvation Belongs to the Lord: An Introduction to Systematic Theology (Phillipsburg, NJ.: P & R Publishing, 2006), 109–110.
  12. 神がアダムを人類の代表としたことに対する「不公平感」を和らげてくれるであろう詳しい説明に興味のある方は下記を参照。ibid., 110.
  13. 詳細は下記を参照。H. A. G. BLOCHER, “SIN,” ed. T. D. Alexander and B. S. Rosner, New Dictionary of Biblical Theology (Downers Grove, Ill.; Leicester, UK: InterVarsity, 2000), 786.
  14. 詳しい説明は下記参考文献の「エペソ人への手紙2章1-3節」の注解を参照。Peter T. O’Brien, The Letter to the Ephesians, The Pillar New Testament Commentary (Grand Rapids; Leicester: Eerdmans; Apollos, 1999).
  15. 詳細は下記を参照。H. A. G. BLOCHER, “SIN,” ed. T. D. Alexander and B. S. Rosner, New Dictionary of Biblical Theology (Downers Grove, Ill.; Leicester, UK: InterVarsity, 2000), 786
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